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私小説の娘
お題:小説の中の言い訳 制限時間:15分 文字数:820字
私小説とは言い訳の文化だと、そう言ったのは父だった。

父は、私が人生で初めて出会い、唯一尊敬している小説家だ。私小説を生業とし、口癖は「どんなことでも芸の肥し」であった。

父は己の小説を「現実では言葉に出来ない言い訳」だといい、「口下手な俺には小説しかなかったのだ」と言って自分を蔑んでいた。
「己の恥部を晒すことでしか、自己実現を図れなかったのだ」と、洋酒の入った切子グラスを転がしながら。

けれど、私はそうは思わなかった。

なんせ、片親の私は、高学歴で元華族の傍流嫡男の父が、世間様に恥部を晒すことによって、その質のいい羽織りを一枚一枚脱いで、屈辱を酒の酩酊で誤魔化しながら、父のような恵まれたおつむと生まれを持つ人間のことを知りたがっている人間に向けて、ついに褌さえ脱いで土下座することによって得た僅かばかりの賃金で育てられたのだから。

学者一家の嫡男でありながら、男の甲斐性、芸の肥しと言って嵌まった芸者遊びで流された享楽の白い一雫が私の乳であり、芸者と一緒になり、勘当された後、彼と私を養うことを三年で放棄した母に引っかかれて流れた血が私の地肉となり。

そうして、私と同じような年頃の娘達と、肌を合わせないものの、毎日添い寝して楽しいお酒を飲んで、時折懐から何銭かのおあしが娘と共に行方不明になる、しかもうち1人の母が私の母だったといった内容の笑い話が載った本が、手紙の代わりに、お嫁に行った私の所に便りが届く。

「あんらお父様、その子はお母様に似ていたかしら」

なんていうお手紙などを、父を嫌っている夫の目を盗んで送ると。

「いんや、俺に似たお前とは似ても似つかぬちんくしゃだったよ」

なんてお返事が、私の買う夫人雑誌の連載に載るのですから、まぁなんとお手軽な文通でしょう。

父や世間様は、父の文書を「所詮は小説家の言い訳」だなどと言うけれど。
私は父程に公私の区別なく、人を悪く言うことを知らない正直で気持ちの良い人間など、私は他に知らない。
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