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「事故、だったんです」

 その秀麗な顔から表情を消し、青い瞳をオードリーに向けて。
 抑揚の薄い、ぞくりとするくらい低くしっとりとした声でそう言ったリアンの声を、オードリーは自分の膝に縋って未だ泣き続けるマリアンヌの頭を、猫か何かにするようにぎこちなく撫でながら聞いていた。

 やはりこちらも表情を一切無くした、幼い聡明さの光が消えた石榴石の色の目をリアンのそれと合わせて見つめる。

 瞬きも忘れた様子のオードリーの機械的に動き続ける手は、まるで幼い子どものように泣き叫び続ける、自分より年上の家庭教師への哀れみではなく、理性と共に残った、貴族の矜持のような動いていた。

 自分の使用人が泣いている。だから、主として宥め、慰める義務がある。例えそれが――自分の保護者も同じ家庭教師であり、今ここに居る中で一番近しい近親であるとしても。

 そうした認識と貴族として刷り込まれている矜持が、たったソレだけが、この哀れで幼い小さな君主の手を動かしている。
 家柄こそ違えど、同じ貴族の子女として幼少期を過ごしたリアンには、それが痛い程に伝わって来て、それが彼の表情を奪っている。

「お嬢様らの乗った馬車と擦れ違った、馬車の車輪が外れて――それが運悪く、お嬢様達の馬車を引く馬の脇腹に――」

 しかし、表情の無い、作り物か何かのような彼の声だけは、全く抑揚がなく、それこそ懐中時計のように機械的であるのに、聞いているこちらの胸が痛くなるような苦みが籠もっている。

 ――その中に、僅かに砂糖のような甘さを感じるのは、それだけ自分の心が弱っているからだろうか。

 遠い間隔のどこかで、何処か他人事のように自分の心の機微を観察しながら、オードリーはそんなことを考え、リアンが、内容だけは努めて事務的に説明する事故の状況を在り在りと頭に描こうとする己の想像力から逃避していた。

「じゃあ、馬車が揺れたあの時――?」
「えぇ、恐らくその時に事故が起こったのでしょう。馬車から投げ出されたお嬢様を見たという方がいらっしゃりました」

 それでも、リアンの言葉は聞き取りやすく、それでいて適度な重さと、その瞳の色のように冷たい煌めきを持って、空っぽのオードリーの中に情報として蓄積して行き、その中に生じた疑問を、リアンに質問することで勝手に補って行く。

 知りたくない、それは今でも思っている。だけれど、自分を、家族を襲った惨劇について――聞けば聞く程、最早そうとしか表現出来ない――知らない箇所がある方が怖いと、オードリーは思い始めていた。

 それに、グレイス公爵家令嬢として、自分の家に何が起こったのか――これからどうなるのか、厭でもオードリーは知らねばいけないのだ。
 それが、グレイス家の娘として生まれた、己の義務であると、幼くも貴族である彼女は本能で知っていた。

「なら、私の擦り傷と打ち身は、その時……?」
「えぇ、お嬢様の怪我とその様子は、聞いた箇所と一致しています。――幸いなのは、聞いて浮かべた想像よりも、よっぽど軽傷だったことですが」
「――ひいいいっ!」

 淡々と情報を交わすリアンとオードリーの話を聞く度、オードリーの膝に縋った哀れなマリアンヌは、引き攣れたような悲鳴を上げて、一層激しく、頑是無い幼子のように泣き出す。

 散々頭を振ったせいで飾り立てた花が抜け、ただ泣き続けるその哀れな姿は、まるで、怪談で聞くパンシーのようだ。 

 アニュゼットと二人で、木々を抜ける風が女の悲鳴のように聞こえる、風の強い夜に思い出して、二人で震えながら抱き合って眠ったその怪談。
 死者の出る家に赴いては、本人を前に悲壮感漂う泣き声を上げて泣きじゃくる女の幽霊――その不吉な想像に、オードリーはびくりと肩を震わせた。

 これじゃあまるで、みんな死んでしまうみたいではないか――そこまで考え、オードリーは肩を竦めて内心で苦笑した。

 オードリーの頭は、もう、現状を受け止めたつもりでいるのに、大人のように振る舞っているつもりなのに、オードリーの幼い心は、まだ現実を受け入れられずに悪あがきをしている。

(死んでしまうも何も、みんな、きっともう――)

「腹に車輪の一撃を受け、その勢いのまま転んだ馬に引きずられて――折しも、上がったばかりの雨に濡れた石畳に滑り、馬車はその場で横転。投げ出された中でお嬢様だけが道の端の側溝に落ちました」

 小さな身体であったのと、早くに気絶してそのまま抵抗無く投げ出されたのが良かったのでしょう。

 良かった、というその一言を言うのに僅かに躊躇うような間を開けて、リアンはそう言った。派手に転がったし、その側溝の壁で、額や頬に僅かに擦り傷を作ったけれど、地面にそのまま投げ出されるよりは、よっぽど幸運だった、と。

 自分の身体の幅と殆ど変わらないような側溝に投げ出され、打ち身と擦り傷を負ってまだ幸運だったとは、一体どういう状況なのだろうか。
 オードリーはぶるりと身震いをしたが、次には自分の恐怖を認識するより先に、頭に浮かんだ疑問を口にしていた。

「――ねぇ、リアン、様。アンは、アンはどうしたの? 私が小さくて助かったんなら……頭から爪先まで、全く同じ大きさのアンは?」

 オードリーのその質問を、リアンは予見していたのだろう。オードリーがマリアンヌを撫でる手さえ止め、今まで何の色も無かった石榴石の瞳に燃えるような炎を宿し。

 半身を乗り出して唸るようにそう聞けば、リアンは今までで一番苦しげに顔を歪め――オードリーに縋り付くマリアンヌを心配するかのようにして目を伏せた。
 ごくり、と、蝋燭による濃い陰影を宿した喉仏が動くのを、彼が次に何を言うのかを、オードリーは拳を握りながらじっと見据えた。

「お嬢様以外の皆さんは、馬車の走っていた道とは反対側の、道の上にそのまま投げ出されました。ちょうど、横転した馬車が目隠しになるような角度で。三人ともすぐには起き上がらず――強く身体を打って起き上がれなかったのかも知れませんが――その為、対向から来た馬車は咄嗟に気付くのが遅れ……」

 その時、先に顔を歪めて俯いたのは、オードリーだったろうか、それともリアンだったろうか。

「旦那様は――グレイス公爵は、車輪の下敷きになりかけたアニュゼット様を抱えて庇い、馬に背骨を踏み抜かれて前輪に踏まれ。奥様はといえばその車輪にドレスの裾を巻き込まれて、石畳に俯せたまま引きずられて――どうやら強く頭を打ったのが直接の、原因のようですが」
「やめて下さい!!」

 その時、ずっとオードリーの膝に伏せていたマリアンヌが、突然大声と共に顔を上げ、半身を捻って涙で濡れた大きな目を細め、キッと射すくめるような視線でもって、リアンを睨み上げた。

「お嬢様は、オードリー様はまだ幼くていらっしゃいます!! それなのに、なのに、こんな残酷な話をするなんて………!」
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