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第三話:長い長い物語の完結、そして終末へ
この話だけ長くてエロいです。
 最初の出会いの、それから三日後。
 ちぃちゃんは夏の暑い午後を、何畳もあるお寺の本堂で過ごしていた。
 俯き、正座するちぃちゃんは、本堂の入り口から右側奥に――遺族席に、今まで一度も会ったことのない母の同僚や部下の家族と一緒に座っていた。
 泣きはらした目の他の大人や、ちぃちゃんより小さな子ども達と同じように、研究所の物と思われる拳大の破片の入った骨壺を膝に抱えて。

 あれから。
「ねぇ、ずっとこんな所に立ってたら風邪をひいちゃう。お家に入ろう?」
 そう言ってちぃちゃんの両手を掴んで立たせた自称ウロボスは、そのままちぃちゃんの家に居着いてしまい――挙げ句自分を「うーちゃんと呼べ」とちぃちゃんに強要してきた――今日の葬儀にも、いつの間にか「夏休みを利用して遊びに来た叔母の訃報に偶然立ち会ってしまった従兄」として、ちぃちゃんと一緒に親族席に座っていた。

 ちぃちゃんと同じく正座をして静かに俯いてちぃちゃんの右側に座り、どこから持ってきたのか白いシャツに黒いスラックとネクタイを纏った、ウロボスと名乗る、従兄といいながらもちぃちゃんより一つ二つ年下に見える美しい少年は、制服ではなく喪服のワンピースを選んだちぃちゃんの右手をずっと握っている。

「んく……」
「ふぅ……」

 二人が違いに吐く小さな息の音は、あちこちから響く泣き声でかき消されているけれど、それでも何処か苦しそうに浅い。だけれど二人とも、決して嗚咽を堪えている訳ではなかった。
 他の皆の手前、頭を下げて俯いているけれど、ちぃちゃんは泣いてはいなかった。というか、母が死んだと直感した二日前から、母に対して何も感じることがなかった。

「……く、ふぅ」

 どころか、さっきからうーちゃんが、ちぃちゃんと繋いだ手を、木魚のテンポに併せて、まるで幼い子がお母さんに手を繋いで貰った時のようにしきりに揺するものだから、ちょっと笑いそうになってしまうくらいだ。
 程なくして、余りのしつこさに耐え兼ねて、「ひぃっ」と小さく声を飲んで、後は膝の上に乗せた骨壺に額を押しつけて唇を噛んだ。
 そんなちぃちゃんを慰めるように背中を撫でながら、ぎゅっとちぃちゃんの右手を握り返して一層に俯くうーちゃんも、泣いてないことをちぃちゃんは知っていた。
 何故なら、ちぃちゃんが抱えるこの骨壺の中の破片を、二人の出会った家の前の海に潜って取って来たのはうーちゃんで――他の遺族は砂浜の砂とか駅の破片とかで我慢していたのに――しかもうーちゃんは、素潜りから上がってすぐ、ちぃちゃんの手にその骨のような色をしたコンクリートの欠片を握らせてこう言ったのだ。



「さ、これを使って合同葬儀に出ようか。それで、遺影を飾ってお仏壇を作ろうそしたら、これで、博士のことは忘れられるよね? だから――博士のことはもう忘れて、二人で幸せになろう?」

 綺麗なテノールで、そう歌うように言って、ちぃちゃんのざんばらなおかっぱ頭を撫でたうーちゃんの目は全くもって笑っていなくて、あぁこの男は狂っているなぁとちぃちゃんは言わないまでも思ったのだ。
 そして、ちぃちゃんはこうも思った。実の母に対してこんな――まるで行方不明のペットか何かの代わりにその辺の石を埋葬するような――扱いを受けていて、全く腹の立たない自分も、多分どうしようもなく狂っているのだろうと。

「じゃ、僕らのお家に帰ろうか。ちぃちゃんは今日何が食べたい? っていっても残念ながら、僕はまだ余り上手くは料理が出来ないんだけれど」

 ちぃちゃんが、その破片を乗せられた手を握るのを確かめてから、話はこれで終わりだというように満面の笑みを浮かべたうーちゃんは、そのままちぃちゃんの背中をグイグイ押して家へと戻った。
 家に戻るまでの短い時間、すれ違った近所の人間は、皆落ちくぼんだクマの浮いた目に、悲壮な色を浮かべたり、携帯を片手に泣き崩れたりしていたけれど、ちぃちゃんとうーちゃんは、子猫のじゃれ合うようにして――うーちゃんなんかは、心底嬉しそうに笑いながら――家に帰った。

 そして、家に入った途端、ちぃちゃんの握っていた『博士』を取り上げ、家の奥の窓がなく全く掃除していない埃っぽく蒸し風呂のようになった仏間に放り込んでさっさと襖を締めてしまった。
 その後、「ばっちい物を触ったんだから、ちゃんと手を洗っておいで」と笑顔で言ってのけたうーちゃんは、ちぃちゃんを居間に座らせて素麺を茹で出した。

「人間は悲しい時って、食欲がないって聞いたよ。だから、特に食べたい物がなければ素麺にしようね。本当は、ごちそうがいいんだけど……それはお葬式が終わってから、ね?」

 そう言って、残っていた夏野菜を手際よく添えて出された見た目にも涼しげな噐に感嘆していると、「ちぃちゃんの為に、これからもっと練習するからね」と、ちぃちゃんの額に掛かる汗に濡れた前髪を軽く払い、さも愛しい物にするように――ちぃちゃんがお母さんにもされたことが無いような――キスをされた。
 ちぃちゃんはちゅぅ、ちゅ、と、妙に響くリップ音が、黒目がちの三白眼の目尻とか、鱗のように頬に残ってしまったニキビ跡とか、自分が嫌いな所ばかりに執拗に吸い付くのを意識して、「あぁ、こいつは本当に狂っているなぁ」と思った。
 そしてこうも思った――ちぃちゃんが狂っているから、ちぃちゃんのお母さんではなく、同じく狂ったうーちゃんが帰って来たんじゃないかな、と。



「く……っ」
 ふと、横から漏れた苦鳴のような音にちぃちゃんは肩をびくりと震わせた。とたん、ちぃちゃんの手を包むように持つ節くれ立った指先に力が入る。泣くのを我慢しているかのように。
 でも、手を繋いでいるちぃちゃんには分かった。読経と蝉の聲と人々の啜り泣きが渦のように巻くこの空間で、長い髪でその秀麗な顔を覆い隠した彼は、時折クツクツと笑っている。
 それはまるで泣いているみたいに見えるらしく、しっかりと手を繋ぎあって骨壺に縋りついて涙を流す年の近い従兄従妹の二人は他の参列者の涙を誘った。そんなこと、ちぃちゃんにもうーちゃんにも一切関係のないことだったけれど。
 だって、ちぃちゃんにもうーちゃんにも、繋がれた手の向こう側の方が、骨壺の中でカランコロンと転がるばっちぃ『お母さん』や『博士』よりも、よっぽど気になることだったから。


「ご挨拶は僕が済ますからね、さっ、ちぃちゃんはここに座っておいで」
 無事かは置いておき、何のトラブルもなく一通りの課程を終えた葬儀の後、うーちゃんはちぃちゃんを本堂の縁側に座らせ、縁側の横に広がる庭に用意された一般参列者用の無骨なパイプ椅子の方へと、歩いていった。
 ちぃちゃんはソレを『お母さん』を抱えたまま無言で見送っていた。けど、数歩歩んだ所でうーちゃんが戻ってきた。

「博士のこと、ずっと抱えているのも疲れるでしょ? ちぃちゃんは膝から下ろして楽にしておいで」

 言い方こそは優しかったけれど、やっぱり目が笑っていないし、有無を言わさぬような雰囲気があったので、ちぃちゃんは大人しく従い、自分の隣に『お母さん』を置き、ぶらぶらと脚を投げ出した。
 うーちゃんはそれを満足そうに目を細めて見守ると、花輪の前で談笑しながら、向かって来るうーちゃんを目に留めて色めき立つ中年の女性客ら――その中には隣のおばさんも含まれているのが遠目に分かった――の方へと歩んで行った。
 ちぃちゃんは、うーちゃんがその中に混ざって行くのを確認し、顔を上げ、寺の正門の下から――正面の水平線に浮かぶ島の方から吹く、海から吹き抜ける湿った夏風に目を細めた。

 合同葬儀の行われた寺は、本土の海辺の街にある、有名な山寺の上だった。
 曰く、島の中では外部の偉い人が参列できないからとかで。今朝早く、遺族だけが、海洋研究所のスポンサー企業が回した妙に乗り心地の良いソファ席のクルーザーに連れ込まれた。
 漁と船の往復が禁止された島に久々に来た船だから、幼い子どもの中には初めて船に乗った子もいるだろう。しかし、船に乗り込んだ皆は、息を殺し、寄り添うようにしてずっと静かに座っていた。

 葬儀の企画は海外にあるという海洋研究所のスポンサー企業――どんな仕事をしているのかは、研究所に勤めていた所員以外は知らないという――が勤め、海底列車の企画団体も少なからず関わっていると、葬儀前、大人の噂話で聞いた。
 何でも、海洋研究所に関しては生存者が居ない為に分からないが、海底列車に関しては事故と事件両方の痕跡があったから、団体側の過失として、一部の遺族に責任を問われているのだそうだ。
 だが、ちぃちゃんを含めた島の遺族らは、少なくない額の見舞金を貰っているし、今回亡くなった所員らは皆、不測の事故に対して同意書を書いていたという。
 つまり、あれだけの大事故で、島の稼ぎ頭の殆どが居なくなってしまったのに、島の人間は誰も責めることが出来ないのだ。
 ちぃちゃんには、今日の葬儀までの間、島には常にやり場の無い怒りが渦巻いているように感じられた。それはまるでとぐろを巻いた蛇のように鎌首をもたげ、噛みつく先を探しているようにも。
 ちぃちゃんはふと、隣の『お母さん』を見て、それをばっちぃ物として仏間に放り込み、桐の箱に入れる今日までちぃちゃんに線香を上げるどころか仏間に入ることを禁じていたうーちゃんのことを思った。
 ……あんな風に無造作に、島の蛇の中に一石を投じたならば、その蛇は何も考えずに噛みついて来るのではないかと。

「お待たせ、ちぃちゃん」

 気づけばいつの間にか俯いて、自分の黒いエナメルのつま先を見ていたちぃちゃんは、頭上から掛かった声にゆっくりと顔を上げた。
 真っ黒な革靴。折り目のしっかりと付いた黒いスラックス。少年らしく細身だけれど、ちゃんと筋肉の線が分かる白いシャツを纏った胸。第一ボタンまでしっかり留められた襟元に結ばれた黒いネクタイ。

「さ、さっさと僕らのお家に帰ろう?」

 そして、その上にある、秀麗さが台無しの、しっぽを振る子犬のように脂下がった顔。表情らしい表情の無いちぃちゃんを写すキラキラとした黒目。
 初めて会った時のようにそうやって不躾に――でも格段に和らいだ視線でうーちゃんをジロジロと思うまま眺めた後、頷こうとしたちぃちゃんは、ふと、うーちゃんの肩越しに視線を向けた。
 そこでは、先ほどまでちぃちゃんらを程良い無関心という、比較的に好意的に見ていた隣のおばさんが、ちぃちゃん達をチラチラ見ながら、自分の隣の女性の耳元に何かを囁き掛けていた。
 時折ちらりとこちらを見る、その目に浮かぶのは明らかな憎悪で。そうやって気づいて見回すと、寺を囲む笹が夏風に擦れて鳴る音に混じって、まるで獲物を定めた蛇がシューシューと喉を鳴らすように響く囁き声の主が、あちこちでちらりとちぃちゃん達を見ている。
 まるで互いに「あれが獲物だ」と確認し合うように。

「ちぃちゃん、どーかした? なんか怖い顔してるよ? ――折角、願いが叶ったのに」
「ねが、い?」

 そしてソレは、うーちゃんが――人の目を引きつける、綺麗な顔のうーちゃんが――わざとらしく首を傾げてそう言って、ちぃちゃんに覆い被さるようにして、その眉間の皺を指先で伸ばしながら、蠱惑的な笑みを浮かべたことでついに爆発した。
 ざわざわと強くなった怨嗟の声の殆どは、「お前のせいで」とか「お前に悲しむ権利なんてあるものか」とか、そういった感じの音に聞こえた。そして、たちまちのうちに「人殺し」といった意味の慟哭に変わり、その全てが、ちぃちゃんに覆い被さるようにして向かい合っているうーちゃんの背中へとぶつかって行った。
 そして、人々の怨嗟の声を背中から被るうーちゃんはといえば――笑っていた。
 葬儀の時よりだらしなく、舌を出した犬のような顔で。ちぃちゃんの頬を目の縁まで舐め上げて、またちぃさくキスをしながら。

「へーんなの、僕はただ、叔母さんは――博士は、危険な生物の研究をしてて、開発に成功したその危険な化け物が、あの日逃げ出したんでしょ、大変ですね? って、聞いただけなのにねぇ」

 あぁ、この男は狂っているなぁと、ちぃちゃんは今日まで何度も思ったことをまた思った。

「僕はちゃんと言ったのに……ちぃちゃんのことは責めないであげてください。だってまさか電話越しに言った『お母さんなんて死んじゃえばいいのに』の一言で、本当にお母さんが死ぬだなんて思わないでしょ? って」

 そして、やっぱりちぃちゃんも――少なからず、うーちゃんの話を聞いた島民から見れば――狂った科学者の狂った娘なのだ。

 だって、うーちゃんの言い方では――とっても悪い考え方をすれば、こうとも聞こえるじゃないか。
「娘に拒絶された母親が、自分の研究成果と共に無理心中を計ったのだ」と。
 そして、無理心中の原因であるちぃちゃんは、それを知っていて、従兄のうーちゃんに教えた、と。

「ちぃちゃんはなぁんにも悪くないのにね。大丈夫、ちぃちゃん、僕がずっと守ってあげる。僕だけはちぃちゃんの味方だから」

 永遠に、と囁いたうーちゃんは、それはそれは嬉しそうに笑った。獲物を捕らえ、後は絞め殺すばかりとなった蛇みたいに。


 それから、それから。
 ちぃちゃんを引きずるようにして家に帰ったうーちゃんは、あの汚く蒸し暑い仏間にちぃちゃんを連れ込んで、ちぃちゃんの手からもぎとった骨壺を、仏壇の無い仏間の、辛うじてある床の間に置いた。

「ねぇ、博士に見せてあげようちぃちゃん。僕らがどれだけ仲良しになったか。これから毎日」

 そう、少年らしい上擦った声で囁くうーちゃんは、自分の胸に寄りかからせるようにして座らせたちぃちゃんの、汗の浮いた項を舐め上げて、汗で張り付いた黒いワンピースの上から、ちぃちゃんの小さな胸をつんつんとつついて揺らした。
 人より華奢で、少年であるうーちゃんよりも少年っぽい体躯のちぃちゃんは、自分の二つの脂肪の柔らかさも無い固まりでも、そんな風に揺れるんだなぁと、まるで他人事のように思った。

「ね、何……するの?」

 今日初めて、ちぃちゃんが何とか発した声は掠れて、カラカラになってしまっていた。これでは何かを怖がっているみたいじゃないかと、ちぃちゃんが眉をしかめると、同じことを思ったのだろう。うーちゃんは苛立ったように舌打ちをして、ちぃちゃんの項に噛みつき、ついでにワンピースの張り付いた窮屈な胸をギリギリと思い切り握りしめた。

「セックスを、しよう? 僕はちぃちゃんと一つになりたい、全部欲しい」

 だって僕は、その為に生まれたんだと、耳元で囁かれると共に、ジリジリと晩夏の蝉の断末魔のような音をたてて、ちぃちゃんの背中のファスナーが引き下ろされた。
 黒いワンピースを肩から落とされると、次に現れるのはその色味とはまるっきり逆の、真っ白いスリップドレス。
 カップの入ってないそれが汗で張り付いて淡いピンクの乳輪を透かすのを、くるりと撫でながらうーちゃんは、ちぃちゃんの脚を自分の膝で大きく割った。

「……ちぃちゃん、恥ずかしい?」

 その時、ちぃちゃんの下腹の正面にあるのは『お母さん』だったから、ちぃちゃんは頬を真っ赤に染めて何度も何度も頷いた。
 うーちゃんはソレを、たまらなく愛しい者でも眺めるようにして眺めて、から「そういえばここにしたこと無かったね」なんて笑って、ちぃちゃんの唇を何度も啄んで。いつの間にか無遠慮に口の中をかき回した。

 実の所ちぃちゃんはその後、全身が写る鏡の前だったり二階のちぃちゃんの部屋で、家の前の道路に集まって、ちぃちゃんを罵る同級生を見下ろすような位置にある大きな窓の前にちぃちゃんを立たせて、カーテンだけで窓の向こうに隠した肌をうーちゃんにしきりに貪られたり、なんてことをほぼ日常的にするようになるけれど。

 それでも、それから十二年が経っても、ちぃちゃんが一番恥ずかしいと思うのは、いつも、『お母さん』の前で身体を開かれたその日のことだ。
 豆電球だけの蒸し暑い仏間で子どもっぽい綿の下着のクロッチを撫でる指にクチクチという音が響いてきたこと。チュウチュウと子どもみたいに乳首に吸いついて来たうーちゃんの、綺麗な顔に汗で張り付いた黒髪を払って、嬉しそうに、それでいて熱っぽく微笑まれた時のお腹の疼き。
 ニキビとアトピーで鱗のように荒れた背中に「可愛いよ」「綺麗だね」と言う言葉と共に落とされた口づけ。
 それを全部、小さい時からちぃちゃんに関心の無かった母に見られている。――そう思った時、ちぃちゃんの中に芽生えていたどす黒い蛇が、ぶわっと鎌首を擡げた。

「んぁふ……」

 そしてそのどす黒い蛇は、ちぃちゃんに強烈な快感とか征服感とかいうものを植え付けて、下着をするりと抜かれた脚を一層大きく開かせた。
 それに、殆ど自分の胸とお腹の境に頭を預けるようにしてずりおちたちぃちゃんを抱えていたうーちゃんが、本当に嬉しそうに笑って。身を屈めてグリグリとちぃちゃんの額に額をすり付けた。

「……こうして、ちぃちゃんを汚すのも、きっと可愛がるのと同じくらいに、僕の夢だったんだ」

 そう笑ううーちゃんの顔は、欲望にグズグズでも美しく、均等が取れて手入れが行き届いていて。――人の手が入ったことのある美貌だった。
 お母さんに放置され、どころか、体中に鱗のような跡の残る酷い皮膚疾患を、そのお母さんによるストレスで引き起こした自分とは違う。手入れされた美貌。
 ――ちぃちゃんは気づいていた。うーちゃんの言動からして、少なくともうーちゃんは、研究所に居たのだろうということを。
 自分には決して許してくれなかったその場所に、お母さんはこの子のことは許して自分の懐に入れたんだと。
 そして今――そんなお母さんの大切に、お母さんの目の前でちぃちゃんは身体を暴かれている。お母さんの美しいウロボスは、ちぃちゃんの汚い肌に口づけを落として、汚い所から溢れる蜜でその手を汚し、ちぃちゃんの背中に熱気より熱くて芯のあるものを押しつけて。
 綺麗なうーちゃんは、お母さんの捨てたちぃちゃんに狂っている。

「ねぇちぃちゃん、博士が――お母さんが見ているね。もっと見せてあげようね」

 うーちゃんは羞恥を煽る為に呟くそれが、まるでお経や呪文のように、ちぃちゃんの思考力を奪っていく。

 ――積極的な陵辱、そんな言葉がちぃちゃんの頭に浮かんだ。
自分は彼に、積極的に汚されている。かび臭い畳の敷かれた蒸し暑い部屋で、は虫類の鱗のように汗でしとどに濡れた肌をすり合わせながら、積極的に陵辱されている。
 まるでうーちゃんと同じく、昔からそうしたかったかのように。

 脚から引き抜かれた下着が、ぺちゃっと嫌な音を立てて濡れた畳を落ちる。もうこの下着を使うことは出来ないだろうなぁと、ちぃちゃんは他人事のように思いながら、うーちゃんのシャツと、ちぃちゃんのワンピースが敷かれた畳の上に横たえられた。殆ど全裸だというのに、汗でべちょべちょに濡れたスリップがお腹に溜まっている様はどうにも卑猥で、ちぃちゃんは蛇のように脚をすり合わせた。

「綺麗、ちぃちゃん、綺麗……」
「……うーちゃんのが、きれい」

 うーちゃんは、拳大の『お母さん』をばっちぃと罵ったうーちゃんは、きれいを何度も繰り返し、ちぃちゃんの汗と抹香の匂いが染み着いた白い肌をじゅるじゅると嫌らしい音を立てて啜った。

「もっと、脚を開いてみせて……いいでしょ?」

 そうして、ちぃちゃんの脚の間に――とってもばっちぃ所に口づけたうーちゃんは、閉じられないように開かせたちぃちゃんの脚をおさえつけて、そのとば口に指を含ませ、綺麗な舌で赤く熟れた蕾を舐めた。

「ぁ……うぁ……ひっく」
「怖くないよ、怖くないよ、ちぃちゃん。僕らはまた、一人に戻るだけなんだから……」

 ぐぷぐぷと鳴る水音と、じんじんと痺れる、自分の身体の奥の、お腹側の壁だということしか分からない所から感じる心地に啜り泣くように喘ぎながら喉を反らし、仰向かせたちぃちゃんの顔が、鮮やかな布に包まれた箱に向いた。

「ねぇちゃんと言ってちぃちゃん、博士にお母さんに、僕が好きって、気持ちいいって」

 言うまで離さないと、そう嘯きながら、ちぃちゃんの脚の間にいたうーちゃんは、伸び上がってちぃちゃんの口を塞いだ。
 口の中で動く薄い舌からは海みたいな味がして、ぬめって、そしてぐちゃぐちゃと脚の間で未だ鳴る音と混ざってちぃちゃんの頭の中をぐずぐずにしていった。

「ぁ……う、きもち、ぃ……うぁ!」
「……やっぱ、もっと慣らさないとダメだったかもね」

 唐突に押し込まれた物の痛みと熱さに、ちぃちゃんは汚い畳の上を何度も何度も引っかいた。でも、そんなちぃちゃんに構わず、うーちゃんはちぃちゃんの身体に体重を掛けて、傷跡みたいに引き攣れる孔に灼熱の蛇をぐいぐいと押しつけてきた。

「あ、やめ、いたっ、ごめんなさい……ごめんな……さ」

 自分でも何を言ってるのか分からないけれど、何でかちぃちゃんは謝らなければいけないような気持ちになって、泣きながら、何度も何度もそう繰り返した。

「許してあげるちぃちゃん――だから、僕の物になって。僕を君にあげるから」

 けれど、この時ばかりは、うーちゃんはちぃちゃんを許してなんてくれなかった。
 股関節が引き攣れて、お腹が生理の時のように痛くなっても、ぐぷぐぷという音に嫌々と首を振っても。




 夏の朝早く、空の白み始めた頃になって、二人は、汗と抹香の匂い。それとなんか余ったるくて粘っこく生臭い臭いと――わずかな血の臭いが充満する仏間に、ごろりと大の字で横になった。
 いつも運動不足のちぃちゃんのお腹の筋肉は、ひきつれたようになって、がびがびに乾いた体液を纏わせたまま、はくはくと浅い呼吸に波打った。
 それをうーちゃんはやっぱり、相変わらず愛しくて仕方ない物を見るような目でみながら、撫でさすった。

「畳に、シミが出来てしまったね」

 汚い畳に出来た、人でも殺したような血のシミを見て、うーちゃんは嬉しそうに笑った。同じように寝返りを打ってその少年らしく引き締まった腹筋に何となく撫で出したちぃちゃんの旋毛にキスを落としながら。
 殆ど脱水症状を起こしたようになって微睡むちぃちゃんに、うーちゃんは寄り添って抱き寄せ、は虫類の皮膚のようにしっとりした肌の腕と胸に後ろから抱き込んで捕らえながら、「長い長い、おとぎばなしをしてあげる」なんてお決まりの枕詞と共に長い長い話を始めた。
 ちぃちゃんは毎回途中で寝てしまうので、全てを聞くのに何回も眠って起きて、何回もセックスをしなくてはいけなかった。

「ちぃちゃんは、僕と離れていた十六年の分、僕と四六時中一緒にいなくちゃいけないんだよ」

 そんな無茶苦茶な理論で始まったそれは、一回一回がしつこくて濃厚で、ちぃちゃんの中身をグズグズに溶かして行くようだった。汗だくになったちぃちゃんは、その後の全て――お風呂からご飯まで、全部うーちゃんに委ねなければいけないほどに。
 だから、全ての話を理解した頃には、ちぃちゃんはうーちゃんが居ないと生きられない、快感に従順で甘えん坊の女の子になっていた。
 相変わらず、愛想はなくて言葉すくなだったけど。

「昔々、世界が今の老人達の物だった頃、ちぃちゃんが生まれる前のこと。まだ将来有望な若者だった博士は――ちぃちゃんのお母さんは、とある企業の研究員となりました。だけれど其処は、研究所とは名ばかりで、実は幾多の怪人を作り、世界の転覆を狙う悪の組織だったのです」

 汚れた畳を撫でながらそこまで言って、うーちゃんは面白くてたまらないといった風にくつくつと笑って、小さなちぃちゃんの首筋に顔を埋めた。

「それでも人は、正義よりも悪に染まりやすい生き物です。ちぃちゃんのお母さんはそのうち、研究所に響き渡る人体実験の材料の悲鳴を聞きながら美味しいコーヒーを啜るまでになりました」
「研究所のコーヒーは、そんなに美味しいの?」
「うん、格別みたいだよ。博士は毎日飲んでたから」

 カーテンに爪を立てながら、一階の、雨戸の閉まった窓に向かって石を投げる同級生を見下ろしながら、後ろから入ってたうーちゃんを締め付けて絶頂を迎え、熱を冷ますように、冷たい窓に額を当てながらそんなことを言ったちぃちゃん。

「尤も、僕はその頃の僕はまだ、試験管の中でオブジェクトのようにぷかぷかと浮いていたから、コーヒーの味なんて知らなかったけれど」

 その頭を撫でながら、うーちゃんはちぃちゃんの耳を甘噛みしながら言った。

「そんなお母さんはある時、最高傑作を、と、とーっても偉い人に言われました。丁度その頃、お母さんは『素材』を手に入れたのです」
「んくっ……」
「まぁ、素材が人間なら、本来は怪人じゃなくて改造人間だと思うけどね」

 そう言ううーちゃんの引き締まった腹筋の上に手を突いて、自分の中に埋まっていたものを引き抜かせられたちぃちゃんは、正面からうーちゃんの目を覗き込んで首を傾げた。

「……じゃあ、私は、改造人間?」
「――いいや」

 そう答えたうーちゃんは、相変わらず少年の姿のままの癖に、うーちゃんの美味しいご飯によって、少しだけふっくらとしたちぃちゃんを簡単に裏返して上に覆い被さって来た。

「僕が、その改造人間さ」
「んぁ……っ」

 そう言ったその後は、その言葉の重さに耐えきれないとでも言いたげに眉をしかめ、ちぃちゃんの赤く腫れた唇を思うさまに貪り、細い脚に何度も噛みついて口づけて抱え上げて、抜いたばかりの杭を一気に押し込んできた。

「お母さんがちぃちゃんを産んだちょうどその頃、ちぃちゃんのお母さんの弟――ちぃちゃんの叔父さんが亡くなりました。男の子を一人遺して。男の子は赤ん坊だった従妹と同じ家に暮らすうち、すっかり可愛さの虜になりました。やがて、男の子は彼女の為に、その身を研究に捧げました」

 うーちゃんの留守を狙い、箪笥を漁って唯一出てきた白い男物のワイシャツを愛咬や鬱血の跡ばかりの身体に引っかけて、ふらりと家を出たちぃちゃんを迎えに来たうーちゃんは、ちぃちゃんの膝裏と首を支えて抱え上げて歩きながら、そう話した。
 ちぃちゃんは、ぶらぶらと揺れる自分のつま先とを見つめながら聞いていた。今は平日の昼間だと思うのだけれど、誰も歩いてはいなかった。皆、こんな島から逃げ出したのかも知れない。
 ――そして、残った少ない島民が、殆ど全裸のような格好で、ふらふらと道を歩くちぃちゃんを見つけて、うーちゃんに通報するか、何処かの道で泣き叫ぶかしたのだろう。

「うちの千尋がご迷惑をおかけしました」
「……あんたも大変だねぇ。親戚ってだけでこんな狂人の世話をさせられて」

 その会話を聞いて、ちぃちゃんは、愚かにも、穏やかにも漸く理解していた。自分は、うーちゃんによって、家に監禁されているのではなくて、島の中という『世界』に監禁されているのだと。

「幼い身体に色々な注射や点滴をして、元の形を忘れて行きながら、それでも一つ僕を支えていたのは、ちぃちゃんの存在だった。僕は博士にこう言われていたから。
「あなたには、この世界の為、正義の味方になって欲しい」って。
 ちぃちゃんは僕を覚えてないだろうね。
 だって、ちぃちゃんと僕が一緒に暮らしたのは三ヶ月くらいだった。でも、僕にはちぃちゃんが全てだったんだ。僕がどんなに醜くなったとしても、人を殺す為の生き物だとしても、生きていればちぃちゃんに会えると思ったんだ。テレビの正義の味方みたいに、ちぃちゃんを守れるならそれで。そうして僕は――『怪獣ウロボス』は誕生した」

 ちぃちゃんは確かに監禁されていた。
 ちぃちゃんの檻はこの島で、鎖は今、愛しげに額を寄せてくるうーちゃんではなく、島の人々。この島の中で、狂っているのはちぃちゃんなのだ。

「でも、ちぃちゃんのお母さんは博士だけれど人だった。ちぃちゃんを僕に会わせたくないと言った。うちの子をお前のような化け物に近づけるものかと……言ってしまったんだ。だから僕は、手始めに、僕の世界を滅ぼしてみた。彼らの狙い通りに」

 結局、うーちゃんの長い物語は、夏休みの最終日に完結した。
 朝晩に少しだけ気温を下げるようになった部屋で、ぶるりと震えたちぃちゃんを抱き寄せて、行ってらっしゃいのちゅーをねだった。

「ねぇちぃちゃん、僕と君を引き離し、君からお母さんを奪って、それでもまだありつづける世界は、滅びるべきではないかな」

 その睦言は何度も何度も繰り返されて、頷くまで酷いことをしてくうーちゃんだったから、ちぃちゃんはこくりと頷いた。
 その一言でちぃちゃんのお腹はきゅうんと痙攣して、汗に湿ったシーツを、お腹の底に残った白濁で汚してしまった。

「さぁ、夏休みが終わったね……僕は今日から働かなきゃ。ちぃちゃんとずっと一緒に居る為に」

 それからだけれどちぃちゃんの夏休みは終わらないまま、うーちゃんは休みなく働き続け、うーちゃんが言った通り、本当に、世界の方が先に終わってしまった。

 そして、今日からは、十二年を一生懸命に働いたうーちゃんの夏休みだ。
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