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第一話:プロローグ、そして世界のエピローグ
焔水さん、ムーンでの実質デビュー作。

村上なんちゃらとか、ライトノベルとかそういうサブカルな文体を使ってみたかったのです。
 その日も、ちぃちゃんは夕日の落ちる赤い海を見つめていた。
 いつものように堤防に座り、浜辺の側に脚を投げ出して、夕日に染まった赤い海を見ていた。
 水平線が、ここ数年でやたら大きくなった真っ赤な夕日を飲み込んで行く様を、裸足の脚を風に晒してブラブラさせながら。
 ついこの前まで最後の調整の為、本土への長い出張に出ていた彼によると、あの大きな夕日は、彼の頑張りと、彼曰くの「世界の馬鹿達」によって、大気中になにやら難しい名前の物質が増えたことで、夕日の色を作る層の反射率が変わったせいだということだが――珍しく苦戦した兵器だったらしく、褒めて褒めてと頭をすり寄せて来た――事実上、高校中退が最終学歴のちぃちゃんには分からない。
 ここ百年で一番大きな太陽の沈む入り日のその様子を美しいと言う人もいるのだろうが、そんな人が、恐らくもう誰も居ないことだって、ちぃちゃんは――あれから十二年が経って、二十八になったらしいけど実感がない――ちぃちゃんは知っていた。

 だって、どう認識をねじ曲げても、殆ど洗脳のように染み込まされた、殆どだまし討ちのような約束だったとしても、彼にそうして欲しいと願ったのはちぃちゃんなのだから。
「世界を滅ぼして欲しい?」と聞いた彼に、ちぃちゃんは朦朧としながらも、確かに頷いたのだから。
 夏の終わり、その約束をした十二年前、ピクリとも動かない鉄面皮の下に繊細な感受性を宿していた十六歳のちぃちゃんなら違うかもしれない。
 でも今、二十八歳の心を持つ、少しスレたちぃちゃんは、日焼けを心配した彼が被せた大きな麦わら帽子の鍔を押さえながら、ただ、こう思う。
 海も夕日も、まるで、血の色のようだと。
 そしてちぃちゃんは知っている。この海が、本当に血の色でもおかしくないくらいの血を吸っていることを。

「ちぃちゃん? ご飯が出来たよ」

 その時、ぼうっと赤い海を見つめるちぃちゃんの背中に、聞き慣れたよく通るテノールの声が掛かった。
 そしてそれと同時に、ちぃちゃんの両脇に白い両手が通って、白い生成のワンピースを押し上げる、ちぃちゃんの豊かな胸の下でしなやかに交差した。
 それをちぃちゃんが認識すると共に、ちぃちゃんは、ひょいと抱き上げられ、今まで向いていた海とは反対側――同じ高さで隙間無く並んだ瓦やトタン平屋の並んだ平屋と、その前に横たわる所々剥がれたコンクリートの道路――の側を向かされて立たされた。
 そして、裸足の足をコンクリートに下ろしたちぃちゃんの向かいに、嬉しそうに笑った彼が立っていた。
 思春期の終わりに急に伸びた、細身な割に女性にしてはやや大きいちぃちゃんと同じくらいの身長の、ハーフパンツ型の水着を着て、上にボタンを全部はずしたシャツを羽織った彼――うーちゃんは、身体と同じく、十二年前から全く一切変わらない女の子のように美しい顔の、整った卵形を下膨れに膨らせてちぃちゃんを見た。

「ちぃちゃんってばぁ、ご飯の時間には戻って来て、って僕、言ったでしょ?」
「ごめん……海を見ていたの」
「全く、いくら数ヶ月ぶりの外出だからってねぇー。約束を破ったら駄目だよ」
「……ん、ごめん、なさい」

 そう言うものの、ちぃちゃんは、自分が夕飯の時間までにうーちゃんの所に帰らなかったことを、本当は悪いとは思っていない。
 だけれど、うーちゃんが本当には怒っていないのに『怒っているんだ』という演技をする以上、ちぃちゃんも、例え本当に済まないなどと思っていなくとも『あなたを怒らせたことを済まなく思っている』という態度を取らなくてはいけない。

 それがコミュニケーションというものだと、十二年前から今まで、物心付いてからはいつも一人だったちぃちゃんに、うーちゃんは嫌と言うほどに教え込んだ。
 当時は何かと話しかけて来る、口の早い――口うるさいだけでなく何かとキスをしたがるのでコレで合ってる――うーちゃんが、内心うざったくて仕方なかった。
 だって、コミュニケーションとしてかは置いておいても、うーちゃんは毎日毎日、足腰の立たなくなるまでちぃちゃんを貪るのだから。それでうーちゃんは満足しているし、別に無理に言葉なんて交わさなくても、それでいいんではないかなぁと、ちぃちゃんは思っていた。

 だが、今、大人になったちぃちゃんには、うーちゃんが自分にコミュニケーションという物を取らせたがった理由が少しだけ分かる。
 もし、うーちゃんが会話とか好意を示す言葉を、その秀麗な顔を大げさに歪めたり、強いお酒のようにストレートな好意の言葉を尽くして一生懸命教えてくれなかったなら、ちぃちゃんはソレを取得する機会を逸して、無表情の鉄面皮以外の表情を知らずに死んでいったことだろう。
 だって、うーちゃんはちぃちゃんが他の人間と接触することを極端に嫌がって、この島に誰も居なくなる今日まで、ちぃちゃんを自分の付き添い無しでは家から一歩も出さなかったし、うーちゃんが十二年を掛けて行った『下準備』によって、出た所で誰もがちぃちゃんを、頭のおかしな人間としてしか取り合ってくれなかったし――昨日からこの地球という殆どが海で出来た球体の上に、もうちぃちゃん以外に、純粋な人間はいないのだから。

「全くちぃちゃんは――って、ちぃちゃん、ちゃんと聞いてた?」
「ううん、全く聞いていなかった」

 そう言って、ぺろっと舌を出してみる仕草を教えたのもうーちゃんだ。それを教えられる段階、ちぃちゃんが小さな舌でうーちゃんの指を舐めた時も、いざ顔を作ってみた時も、うーちゃんは偉く感動して何度も何度もさせた。
 だから料理も洗濯も、人並みくらいしか出来ないちぃちゃんは、うーちゃんを舐めるのは結構得意だったりする。

「もー、可愛い顔して見せたって誤魔化されないんだからねっ!」
「……ご飯、ちゃんと食べてたもの」
「なぁんだ、聞いてたんじゃん」

 どうせ、「ちぃちゃんは僕と違って純粋な人間なんだから、ご飯を食べないと死んでしまう」とか「食べなきゃ大きくなれないよ」とかいう内容だろうと思ったら、本当にそうだったらしい。
 ちぃちゃんは、大げさにため息を吐いて俯くと、ワンピースを押し上げる平均的――もう平均を計ろうにも人間はいないのだけど――な膨らみを形作った胸を見下ろして、だめ押しに更に小さくため息を吐いた。
 当時、ちぃちゃんより頭一つ大きかった、うーちゃんの身体の窪みにすっぽりと収まる華奢でやせっぽっちの少女だったちぃちゃんは、そこそこの胸と、うーちゃんと同じくらいの身長を得たというのに、ちぃちゃん的にはまだ足りないというのだろう。

「……全然足りないからね」
「うーちゃん……」
「これからは時間が取れるからね、もっともっと育てるよ」
「……も、育たないよ」

 鉄面皮の目にだけ呆れを乗せて、数秒。
 いつの間にか、またご機嫌な顔を作ったうーちゃんの綺麗な顔を見ていたちぃちゃんの目は、意識せずまた、夕日が殆ど落ちて、いよいよ人間の血液のような赤さを得た海を見ていた。
 ちぃちゃんは余り長く、うーちゃんの顔を見つめることができないのだ。
 じっと見ていると、その美しさが自分のせいで損なわれてしまいそうで。
 いつまでも変わらず綺麗なうーちゃんよりも、廃油やそれこそ人の血肉で赤黒く染まった、十二年前に何百人という人間の血を吸ったこの海の方が、これから老いるばかりの汚い人間でしかないちぃちゃんにふさわしいと思ったのだ。
 夕日は、どういう仕組みになっているのか、中々沈まない。
 まるで、今日という人類――あるいは地球――最後の日を、この世界に引き留めなくていいのかと、ちぃちゃんにお伺いを立てるようにして。
 もう、どうでもいいから勝手に沈めばいいのに、と、ちぃちゃんが二十八年物の鉄面皮の下で舌打ちしてるとも知らずに。

 「はぁ……」

 と、耳元でため息が聞こえて、斜め後ろに首を捻って海を見ていたちぃちゃんは、後ろからうーちゃんに抱きしめられた。
 ちぃちゃんの華奢な肩に、うーちゃんの綺麗な顔が乗り、少年らしく細身な癖に、ちぃちゃんよりもよっぽど筋肉の付いた腕が、やっぱりちぃちゃんの膨らみの下に回った。
 ちぃちゃんの膨らみは、うーちゃんの窪みにすっぽりとは収まらなくなったけど、今度は、どんな角度から抱きつかれても、うーちゃんの少年らしく、青年になる一歩手前の、凹凸の薄い身体にぴったりした形を作る柔らかさを手に入れていた。
 汚れを知らない少女にはない、自分の上の誰かを抱きしめることを知った、大人の女らしい、たおやかな。

「ねぇ、ちぃちゃん」

 相変わらず海を見つめたままだったちぃちゃんの目を覆うようにして、ちぃちゃんの頭に――それこそ蛇のように――腕を巻き付けたうーちゃんが小さく囁いた。

「そんな顔して見つめたって、もう誰も帰ってなんて来ないよ。クラスメートも、駄菓子屋のおばあちゃんも、隣のおばさんも――博士も」
「お母さんに――うーちゃんの博士に帰って来て欲しいのは、うーちゃんの方、でしょ?」
「よくそんなことが言えるよね。僕がどんなにちぃちゃんが大好きだか知っている癖に」

 ちぃちゃんが間髪入れずにそう返すと、うーちゃんは、ちぃちゃんの頭に巻き付けた腕の力をやや強め、クツクツと楽しそうに笑った。

「ちぃちゃんってば、意外とやきもちやきさんっ!」

 ニコニコと笑って、つんつんと頬をつつくうーちゃんに比例して、ちぃちゃんは少しだけ――うーちゃんが熱の籠もった目でじっと見てやっと分かるくらい――にむっと頬を膨らませた。

「……うーちゃんは、やきもち、やかないもんね」
「うん、そうだよぉ」

 ちぃちゃんに、そう答える声は嬉しそうで、ちぃちゃんを抱き寄せる腕の力はちぃちゃんの肋骨が軋みそうな程に強くなる。
 それは、うーちゃんの機嫌の良さをそのまま表したもので、ちぃちゃんは、鉄面皮の下でちょっとだけ笑った。

「もう、世界に僕らしかいないから、これで僕はもう、ちぃちゃんの為だけに生きられるもの」

 今日までの十二年間、うーちゃんはそれこそ蛇のようなやきもちやきで、ちぃちゃんを度々辟易させてきた。

 ちぃちゃんのお母さんの骨壺のある暗く湿っぽい仏間に引きずってって、畳の上に押し倒して、その身体をしつこく舐めたり吸ったりして無理矢理言葉を発させたうーちゃん。
 十二年前の夏休みの最終日、ちぃちゃんの制服も靴も教科書も――お母さん以外に着信の殆ど無かった携帯も、庭で火にくべて焼き払ってしまったうーちゃん。
 そのうち、ちぃちゃんの服を全部捨ててしまい、近所の人に巧みに、「狂ってしまった少女と、その世話係の従兄弟」という関係を染み込ませ、ちぃちゃんを家から一歩も出さなくなったうーちちゃん。
 十二年前の夏休みの終わりから今まで、自分は、あちこちに出かけて、ちぃちゃんの願い通りに世界の全てを破壊して根回しして、寝る間も惜しんで働いて、家にも殆ど帰らなかった癖に。
 ちぃちゃんの家のテレビやラジオは、うーちゃんが本土へと、本格的な『お仕事』の出向へと赴く前に、みんな庭の敷石に叩きつけて壊されてしまったから、ちぃちゃんは、うーちゃんがどんな風に世界を壊したのかは知らないけど。
 予め十一年を準備に費やしたとはいえ――その殆どは、うーちゃんが最終調整の長い最後の出向に向かう間、ちぃちゃんが一人ぼっちで、しかもうーちゃんとうーちゃんとの約束を忘れないで過ごす為の準備だったけれども――たった半年でちぃちゃん以外の人間がいなくなったというのが本当なら――それはとっても優秀な部類なんじゃないかとちぃちゃんは思う。
 尤も、全部がもう一度――四億人の人類と、一匹の怪人という前提までを再現して――最初からやり直しにならないと、世界滅亡までのその手腕だなんて、比べることが出来ないだろうけど。

「ねぇ、ちぃちゃん、ちぃちゃんは僕が怖い?」
「……ううん」
「そっか、良かった」

 ちぃちゃんはこの十二年、うーちゃんを怖いと思ったことは一度もない。
 だって、うーちゃんはどんな無理難題を押しつける時だって、いつも笑顔だし、その笑顔に憎しみや怒りが滲んだことは一度もない。
 確かにうーちゃんの悋気は強いけど、自宅への軟禁も、仏間でも陵辱も、みんな心から、ちぃちゃんの為を思ってやっているのだ。
 今まで、ちぃちゃんを心配する振りをして、その実一切の関心を寄せて来なかった人間よりも、人間じゃないうーちゃんは優しい。ちぃちゃんはそう思う。
 なんせちぃちゃんは鉄面皮だけれども、その内側には誰より繊細な心を持っているのだから。

「私、うーちゃんは怖くないよ」
「他の人は怖いんだもんね」
「うん……」
「大丈夫、もう他の人は誰もいないから。海の向こうにも、ここにも」

 もう何度めかも分からないやりとり――今日は最後のうーちゃんの台詞が違った――を繰り返し、ちぃちゃんの小さな頭を包む腕が緩む。
 うーちゃんは腕の中でちぃちゃんの身体を反転させ、その美しい目を閉じて、「お帰りなさいのちゅーをちょうだい」と言った。
 ちぃちゃんは数日前、「やっぱり最後のカウントダウンは愛する人とするべきだよね」とかいう相変わらずよく分からない理由のもと、実に半年ぶりに帰宅した働き者のうーちゃんを労う為、小さく唇を合わせるキスをした。
 唇を離すとき、ちぃちゃんの蛇のように薄い舌に唇を辿られたけど、気づかない振りをして。

「まだ家に帰ってないからちょびっとだけ」

 薄目で、ややすぼめられた綺麗な唇からちろりと舌を出して――そんな間抜けな格好でも絵になるから卑怯だ――物足りなそうに眉尻を下げるうーちゃんにそう言って、ちぃちゃんは、ぷいっと顔を逸らす。

「じゃあ、途中で利子を貰おう。幸い、抱き合う場所も、帰れるおうちも沢山あるからね」

 そう言って、うーちゃんは両の腕を上げて大の字に延ばし、ぐるりと周囲に目を巡らせた。
 海沿いのこのコンクリートの道は、一応この島のメインストリートで、お土産の民芸品、ジュースや軽食や海産物を出すお店が並んでいる。
 急いで避難していったものだから、鍵も開けっ放し、商品もおきっぱなしになっていて、ちぃちゃんもうーちゃんも、ちゃっかりソレを着服しているのだ。

「何ならこのコンクリートの上で脚を開いてもいいんだよ?」

 今度はちぃちゃんの両手をとって、ニコニコと少年らしい無邪気な笑みを浮かべるうーちゃんの臑を、ちぃちゃんは軽く蹴り上げた。
 腕を取られていた為に力が入らず、おまけにバランスを崩して、うーちゃんの水着の上から足先で股間を撫でる感じになってしまったけれども。

「ちぃちゃんったら、積極的ぃ」
「……そんなんじゃ、ないやい」
「所でちぃちゃん、喉は乾かないかい? 清婆さんのお店に寄ってラムネを飲もう」
「致す気満々じゃん」

 清婆さんは島で唯一の洋食屋であり、実は民宿もやっていた。二階に台所付きの小さなワンルームがあり、何故か『休憩』出来るのだ。
 だからちぃちゃんがまだ学校に通ってた頃、清ばぁの所に行こうと異性を誘うのは、つまりそういうことだった。
 今となっては、勝手に入り込んだって何も言われないのだけれど。

「ふぅん……知ってるんだ、ちぃちゃん」

 半目で睨んで来るうーちゃんに、ちぃちゃんは幼い頃に犯した罪を、当時に戻ってクラスメートに叱責されているような気まずさを覚えて、俯いた。
 ちぃちゃんは、うーちゃんと高校に通ったことなんて、全く一度もないんだけれど。

「……うーちゃんは何で知ってる」
「何度か誘われたからさ」
「うそ!」

 気まずさを振り払う為に咄嗟に口に出した憎まれ口に、予想以上の言葉を返されて、ちぃちゃんは思わず鉄面皮を剥がして大きく目を剥いてしまう。
 だってあの頃、うーちゃんはちぃちゃんの未熟な身体に夢中で、よくそんな飽きもせずと、ちぃちゃんが朦朧とする意識の中で呆れるほど、ずっと二人で『そういうこと』をしていた筈だ。

「勿論、嘘だよ。僕、そんな暇がないくらい忙しかったもん」

 うーちゃんがちぃちゃんの耳元でそう言ったのは、背中を撫でた生ぬるい風に、夏の特に暑い日に、窓の無い仏間で、脱水症状寸前まで求められた時のことを思い出したちぃちゃんが真っ赤になったその時だった。

「だから、ちぃちゃん、僕の初めての相手になってよ」
「……もう、何回もしてるじゃん」
「一個一個が僕にとって初めての経験だよ。世界を壊して手に入れた甲斐がある、ね」

 そう言って無邪気に笑ううーちゃん――ちぃちゃんの母が勤めていた研究所で作った悪の怪人ウロボス――は、美しくも儚い、十五歳の少年らしい顔で笑った。
 うーちゃんは変わらない。まるで、十五歳のまま何度も夏休みを繰り返しているかのように。

 その時、海の向こうの無人になった灯台で五時を告げるサイレンが鳴った。
 ちぃちゃんとうーちゃんの十二回目の夏休みを告げるかのそれは、ちぃちゃんには、うーちゃんを待つ留守番の間、暇にかまけて読んだ聖書に載っていた、終末のラッパの音のように聞こえた。

「ふふっ、僕らの門出を祝福してるみたいだね」

 楽天家のうーちゃんには、全く違うように聞こえたみたいだけれど。
「そんなうーちゃんも好きだよ」とは言わなかった。
 
> 本編 > 第二話:二人の出会い、そして再会
第二話:二人の出会い、そして再会
正しくは『ウロボロス』ですが、まぁ、うーちゃんはウロボスなのです。
 その日、十六歳のちぃちゃんは日課を遂行中だった。
 日課といってもこの夏休みだけの物で、始めたのもつい昨日――今年の夏休み初日――という中途半端さ。それでもちぃちゃんにとって、それはそこそこに大切な日課だった。
 夕方、灯台で鳴る五時のサイレンを聞きながら、自宅である日本家屋の生け垣の前に簀の子の縁台を置いて、海沿いの狭い道の向こうに広がる水平線を見ながら、おやつを食べるのは。

「……」

 ――終始無言で。

 ボロボロのコンクリートの防波堤の向こうで海は夕日で真っ赤に染まり、水平線の上には何もない。
 この島の人間は殆どみんな海で生計を立てていたけれど、だからこそこの近海での漁は禁止されていた。そして、その理由を知る人間にとっては、それで生計を立てる人間ばかりが住み着くこの島は異端だった。だから、連絡船も一切なし。
 なので、やや丸くカーブした赤い海の水平線にはいつも船の影などはなかった。その代わり、ちぃちゃんの家より右に――手前に一キロ程行った所にある海底電車の駅にはちぃちゃんのお母さんと同じ海の底か、向こうの本土からか帰宅してくる学生やら会社員やらが居ることだろう。
 今が本土の高校の夏休み中であり、家人が誰も海から上がって来ないちぃちゃんには関係の無いことだけど。

 ちぃちゃんは今年から通い始めた本土の高校にたまに行く以外に海底列車に乗ることはない。だけれど、その電車がどこまでも乗れば世界の裏側までも行けることは知っていた。
 実際、お小遣いを全て電車賃にして海外に行こうとしている――ちぃちゃんから見たら馬鹿としか言いようの無い――子も、同じ学年には居た。
 出席日数を感覚で計算して、たまにしか学校に行かない、友達もいないし、旅行の許可を得る必要のある身内も居ないちぃちゃんには全くもってどうでもいいことだけれど。
 そう――海底列車は世界の何処にでも行ける。なのに、世界の裏側までも行けるその電車がちぃちゃんのお母さんをちぃちゃんの所に運んでくれることはない。
 簀の子の縁台に膝を揃えて座り、黙々とアイスを口に運ぶ、ちぃちゃんのお母さんは、黒目がちなのに吊り目ぎみの三白眼という希有な瞳のちぃちゃんが無表情で見上げる水平線のすぐ真下、モーターボートでも十分もかからず着く深みの、海底にある海洋研究所でそこそこ偉い立場で研究所員をやっているちぃちゃんのお母さんは。

 ちぃちゃんが家事を一通り出来るようになった十歳の頃から、お母さんはもう五年も帰って来ない。

 黒髪黒目、小柄で肉の薄くて目つきの悪いちぃちゃんとは正反対に、科学者とは思えない豊満な肢体と物言いたげな文学少女のような子鹿の目を持ったちぃちゃんのお母さんは。
 たった海底列車の駅一つ分の距離から、盆も正月も帰ってこず、親の物だという広い日本家屋にちぃちゃん一人を置き去りにして、研究所員とその家族だけが住むこの島で、一切の近所つきあいをせず。
 そのことで結果として、一人残されたちぃちゃんがどんなに居心地悪くなるかなんて、きっと気にしたこともないのだろう。
 おかげでちぃちゃんは、お母さんに文句を付けては何かと煙たがられていた――今でもちぃちゃんに挨拶だけはしてくれる――隣のおばさん以外に同じ町内の人を一切知らない。
 最も、独身世帯も多い島なので、同じ町内で寝に帰って来るのではなく、ちゃんと家に住んでいる人が何人くらいいるのかもちぃちゃんは知らないけれど。

「……チッ」

 ちぃちゃんは、アイスの紙のカップを完全に空にして、木のへらを赤い唇の間に啣えたままで、器用に舌打ちをした。
 十六歳のちぃちゃんは夏休みが、特に夏の夕暮れが嫌いだった。いつもは何も考えないようにしているちぃちゃんを、感傷的な気分にさせるから。母が帰って来ないのはちぃちゃんを疎んでいるからだという噂話を信じてしまいそうになるから。
 近所の、家族の研究所員から何かを聞いているらっしく、ちぃちゃんを見て訳知り顔をする人間も嫌いだったし、本土から呼ばれていきなり主任になったちぃちゃんの母親への不満をなぜかちぃちゃんに言って来る、その家族も嫌いだった。

 ちぃちゃんは、この頃、自分も嫌いだった。こうやって毎日母親のいる方を向きながらおやつを食べて、黒髪のおかっぱ、黒目がちの三白眼のせいで誤解されやすい自分の近所での認識を年相応に寂しさを持つ人間に見せようとする自分が。
 こうやって黙々とアイスを食べ、心の中で悪し様に母を罵ってみても――全くお母さんを憎くも愛しくも思えない自分が。
 もう母の容貌なんて特徴的な所以外殆ど忘れているのに、写真の一つも見たことの無いし生まれる前から居なかった父親というものの方がよっぽど親しみのもてる自分が。

「……っ」

 苛立ちに噛みしめたへらが舌をチクチクと刺してソレにまた苛立ち――その苛立ちが全くお母さんに向かないことに更に苛立ち――白い綿のワンピースが膝上に捲りあがるくらいに振りかぶって海にへらを投げ込もうとしたその時。

「――ねぇ君、ちぃちゃんだよね。そうだよね」

 今まで人が居ないと思っていた自分のすぐ真横で、知らない――だけれど何処かで聞いたことのあるような、女の子より少し低い声がした。
 振り上げた手を下げて――何となくスカートの裾を直してちぃちゃんは簀の子にストンと座り、それからうつむき二秒を数えてみる。
 以外と自分のすぐ近く、ほんの三十センチくらい右脇にある少年っぽい華奢な脚は一歩も動かない。だからちぃちゃんは仕方なく顔を上げる。
 そこには知らない――というかこの娯楽の少ない狭い島に居たら誰もが絶対にそこから目を離せなくなる程の、だから必然的に本土から来たのだろうと分かる――美しい顔立ちの男の子が立っていた。

「そうだ、絶対ちぃちゃんだ! ――僕の、僕の可愛いちぃちゃんだ……こんな大きくなったんだね」

 そう言って垂れ目の黒目をゆるりと細めた男の子。年は十四か十五くらいで、本土の高校で見かけるクラスメートよりやや華奢。真っ白い素肌に濡れてぺったりと張り付く前を開けた半袖の綿パーカー。それはよく見たら白衣っぽいデザインで、陰影の薄い腰の下まで来る。そして腰から下に身につけているのは膝丈の黒い半パン。素材からして海パンのようだ。髪は長く、首を覆って鎖骨の上くらい。その髪と白衣らしき物の裾からは、ボタボタと遠慮なく水滴が垂れ、足下の汚いコンクリートをどんどん黒く染めて行く。
 今にも海からあがったような様子なのに、彼が立つ場所の前にも後ろにも水分を含んだ兆しがなく、正面の防波堤も乾いている。脚は素足でやはり血の気が無い足の甲にきれいな筋が浮かんでいる。

 おかしい。何もかもが。

 このよく分からない綺麗な男の子が持ってる何もかもが。ちぃちゃんには現実に思えない。
 ぶしつけに睨んだ目を水滴の夕日にきらきらと輝く生乾きの黒髪なのに、短くしていないと癖の付いてしまうちぃちゃんと全く違い、重たくない猫っけ。ふと、白衣の裾からちらりと見えたわずかに腹筋のついた脇腹の色の白さに、ちぃちゃんは嫌悪で顔をしかめた。
 顔が美しい人間は身体も美しいのか、と。

 十六歳――つまり年頃のちぃちゃんは、偶に電話を掛けて来るだけの母親との会話での、酷いストレスで十四くらいからアトピーとニキビに悩まされていた。
 一生懸命スキンケアに努めた結果、顔は何とかなったものの、首から下は思春期の女の子だというのに、まるで鮫のようにガサガサだったからだ。
 普通の人にとってニキビが青春のシンボルだというのなら、ちぃちゃんにとって、美しい肌とは何の悩みも無いか悩みを覆い隠せる程の経済力の証のように思えていた。だからちぃちゃんは綺麗な、特に男なんて嫌いだったのだ。
 だから、ちょっと軽蔑を込めて目を伏せただけで、気の弱い振りをしている女子に、あたしを馬鹿にしているとかなんとか泣かれる大きな瞳を半分に眇めて、頭一つ上の方にあるその端正なお顔をギロリと遠慮なく睨んでやった。

「あぁ良かった、その不機嫌そうな目と綺麗な黒髪も、全部、写真の通り。……やっぱりちぃちゃんだ、僕の」

 だというのに目の前の男の子は、やや身を屈めてその高い鼻梁がちぃちゃんのソレと触れ合いそうな所まで顔を近づけてまじまじとちぃちゃんを見る。

「……僕の、って」
「ふふっ、ちぃちゃんは声まで可愛い」

 僕のって何、と、続けて口を開こうとしたちぃちゃんだが、少年が嬉しそうに破顔して、許可もしていないのにどっかりと簀の子に腰を下ろしたので、口を噤みざるをえなかった。
 途端、ぴちゃぴちゃとまるで雨でも降ったような音がして、男の子の骨の浮いた膝頭が、ちぃちゃんのむき出しのソレとぴったりとふれあった。今海から上がったような男の子は氷のように冷たくて、その肌に体温を全て持って行かれそうで、ちぃちゃんはぶるりと身震いをした。
 抗議するつもりで視線を上げれば、男の子は益々嬉しそうに顔をほころばせ、ついにちぃちゃんの片手を両手で握ってさえ来た。

「あのね、僕はウロボス。博士の――ちぃちゃんのお母さんとの約束を果たして、やっとちぃちゃんの所に帰って来た。やっと、ようやく、ついにね」

 花が綻ぶような微笑に釣られて、一回り大きくて骨っぽい両の手のひらに片手を包まれたまま、三白眼を見開いて――ついでに赤い唇を何か言いたげに開けてぽかんとしているちぃちゃんを見てウンウンと何度も感極まったように頷く、自称ウロボス。
 気づいた時にはちぃちゃんの手を自分の額に当ててうっすらと目を細めて、お腹の底から溢れるような――感嘆としか取れないようなため息を吐いた。

「やっと、きた、君の所に――」

 長い睫が影を作る頬はうっすら紅潮して、上目にちらりとちぃちゃんを伺う自称ウロボス。その美貌のせいか、薄く形の良い唇から切れ切れに吐き出される息の鋭さのせいか、それは切実な儀式のようで、ちぃちゃんはどうにも口を挟めず、ただ、自分の手を彼に預けていた。
 まるで寒い雪の中でやっと見つけた人の温もりを愛しむような、巡礼者が旅路の末にやっと神を見つけたかのような、そんな大層な物が自分に向けられているのは凄く居心地が悪い。だから視線は道路の上に逃がし、だけれどその手をもぎ離す気にもなれなかった。

「あのねちぃちゃん、博士の代わりに僕を、君の側に置いて下さい」

 だから、急に聞こえたその突拍子もない言葉に顔を上げた時、黒曜石のように美しい、切れ長の癖に目尻のやや垂れたその目と、ちぃちゃんはまともに目を合わせてしまった。
 今なら分かる、まるでメデューサのような引力を持っているその目の、真摯でありながら有無を言わせぬ光を真正面から。
 何故に何処か目眩のするような懐かしさを持つその瞳がそこまで剣呑に美しく光るのかなんて考えもせずに。

「あ……の……っ」

 どれだけ見つめ合ったのか。それでも何とか言葉を紡ごうとして、まるで石のように重い口をちいちゃんがなんとか開いたその時。
 どぉんという、鈍くお腹を打ち抜くような低音と共に、ちぃちゃんの視界の端、夕日を半分ほど呑み込んでいた水平線からどぼどぼと水が水面に吹き上げた。

「……っ?」

 ちぃちゃんが海に目を向けるまでの少しの間にそれはどぉん、どぉんと祝砲でも上げるかのように地面を伝ってぴりぴりと響きわたり、次いでドボドボ、ドボドボと、まるで大きな蛇が沖からこちらに泳いで来るかのように横に続き、やがて、ちぃちゃんの右手側にある、ちょうど家の前の道路のカーブの終点に立つ家の屋根に隠れるようにしてその端が見えなくなった時。どこん、と、鈍い音が一つして、今度はガラガラと何かの崩れる音。ついで遠くから尾を引くような悲鳴や泣き声が聞こえ始めた。
 ちぃちゃんが、海から水柱を上げて横切ったそれが、島にある海底列車の駅までの線路の沿線上で起こったことに気づいたのは、誰かが「駅が爆破された」と叫んだ時だった。

「んっ……」

 次いで、くん、と片腕が引っ張られ、額の上にポタポタと水が落ちてきた。
 今の爆風でここまで吹き上げられた水が飛んだのだろうか。そんな冷静なことを考えて拭う端から、水はボタボタ、ボタボタとちぃちゃんの頬に絶えず落ちて。

「だって……博士は、もう、ここには来れないから」

 それが、爆発の先までの会話の続きであることと、自分の頬に落ちるそれが、立ち上がりちぃちゃんの正面にたって、自分の左胸にちいちゃんの手を当てたまま泣き笑いでほほえむウロボスの涙であったことに。
 その背後にある、静かさを取り戻し始めた海でただ一カ所、今度は黒煙を吐き出し始め、海を夕日では無い赤にじわじわと染め始めている、爆発の始点であるそこが、海底にある海洋研究所であったことに。

 ちぃちゃんはウロボスに抱き寄せられ、耳元から首筋に何度も何度も口づけられながらやっと気づいた。
 
> 本編 > 第三話:長い長い物語の完結、そして終末へ
第三話:長い長い物語の完結、そして終末へ
この話だけ長くてエロいです。
 最初の出会いの、それから三日後。
 ちぃちゃんは夏の暑い午後を、何畳もあるお寺の本堂で過ごしていた。
 俯き、正座するちぃちゃんは、本堂の入り口から右側奥に――遺族席に、今まで一度も会ったことのない母の同僚や部下の家族と一緒に座っていた。
 泣きはらした目の他の大人や、ちぃちゃんより小さな子ども達と同じように、研究所の物と思われる拳大の破片の入った骨壺を膝に抱えて。

 あれから。
「ねぇ、ずっとこんな所に立ってたら風邪をひいちゃう。お家に入ろう?」
 そう言ってちぃちゃんの両手を掴んで立たせた自称ウロボスは、そのままちぃちゃんの家に居着いてしまい――挙げ句自分を「うーちゃんと呼べ」とちぃちゃんに強要してきた――今日の葬儀にも、いつの間にか「夏休みを利用して遊びに来た叔母の訃報に偶然立ち会ってしまった従兄」として、ちぃちゃんと一緒に親族席に座っていた。

 ちぃちゃんと同じく正座をして静かに俯いてちぃちゃんの右側に座り、どこから持ってきたのか白いシャツに黒いスラックとネクタイを纏った、ウロボスと名乗る、従兄といいながらもちぃちゃんより一つ二つ年下に見える美しい少年は、制服ではなく喪服のワンピースを選んだちぃちゃんの右手をずっと握っている。

「んく……」
「ふぅ……」

 二人が違いに吐く小さな息の音は、あちこちから響く泣き声でかき消されているけれど、それでも何処か苦しそうに浅い。だけれど二人とも、決して嗚咽を堪えている訳ではなかった。
 他の皆の手前、頭を下げて俯いているけれど、ちぃちゃんは泣いてはいなかった。というか、母が死んだと直感した二日前から、母に対して何も感じることがなかった。

「……く、ふぅ」

 どころか、さっきからうーちゃんが、ちぃちゃんと繋いだ手を、木魚のテンポに併せて、まるで幼い子がお母さんに手を繋いで貰った時のようにしきりに揺するものだから、ちょっと笑いそうになってしまうくらいだ。
 程なくして、余りのしつこさに耐え兼ねて、「ひぃっ」と小さく声を飲んで、後は膝の上に乗せた骨壺に額を押しつけて唇を噛んだ。
 そんなちぃちゃんを慰めるように背中を撫でながら、ぎゅっとちぃちゃんの右手を握り返して一層に俯くうーちゃんも、泣いてないことをちぃちゃんは知っていた。
 何故なら、ちぃちゃんが抱えるこの骨壺の中の破片を、二人の出会った家の前の海に潜って取って来たのはうーちゃんで――他の遺族は砂浜の砂とか駅の破片とかで我慢していたのに――しかもうーちゃんは、素潜りから上がってすぐ、ちぃちゃんの手にその骨のような色をしたコンクリートの欠片を握らせてこう言ったのだ。



「さ、これを使って合同葬儀に出ようか。それで、遺影を飾ってお仏壇を作ろうそしたら、これで、博士のことは忘れられるよね? だから――博士のことはもう忘れて、二人で幸せになろう?」

 綺麗なテノールで、そう歌うように言って、ちぃちゃんのざんばらなおかっぱ頭を撫でたうーちゃんの目は全くもって笑っていなくて、あぁこの男は狂っているなぁとちぃちゃんは言わないまでも思ったのだ。
 そして、ちぃちゃんはこうも思った。実の母に対してこんな――まるで行方不明のペットか何かの代わりにその辺の石を埋葬するような――扱いを受けていて、全く腹の立たない自分も、多分どうしようもなく狂っているのだろうと。

「じゃ、僕らのお家に帰ろうか。ちぃちゃんは今日何が食べたい? っていっても残念ながら、僕はまだ余り上手くは料理が出来ないんだけれど」

 ちぃちゃんが、その破片を乗せられた手を握るのを確かめてから、話はこれで終わりだというように満面の笑みを浮かべたうーちゃんは、そのままちぃちゃんの背中をグイグイ押して家へと戻った。
 家に戻るまでの短い時間、すれ違った近所の人間は、皆落ちくぼんだクマの浮いた目に、悲壮な色を浮かべたり、携帯を片手に泣き崩れたりしていたけれど、ちぃちゃんとうーちゃんは、子猫のじゃれ合うようにして――うーちゃんなんかは、心底嬉しそうに笑いながら――家に帰った。

 そして、家に入った途端、ちぃちゃんの握っていた『博士』を取り上げ、家の奥の窓がなく全く掃除していない埃っぽく蒸し風呂のようになった仏間に放り込んでさっさと襖を締めてしまった。
 その後、「ばっちい物を触ったんだから、ちゃんと手を洗っておいで」と笑顔で言ってのけたうーちゃんは、ちぃちゃんを居間に座らせて素麺を茹で出した。

「人間は悲しい時って、食欲がないって聞いたよ。だから、特に食べたい物がなければ素麺にしようね。本当は、ごちそうがいいんだけど……それはお葬式が終わってから、ね?」

 そう言って、残っていた夏野菜を手際よく添えて出された見た目にも涼しげな噐に感嘆していると、「ちぃちゃんの為に、これからもっと練習するからね」と、ちぃちゃんの額に掛かる汗に濡れた前髪を軽く払い、さも愛しい物にするように――ちぃちゃんがお母さんにもされたことが無いような――キスをされた。
 ちぃちゃんはちゅぅ、ちゅ、と、妙に響くリップ音が、黒目がちの三白眼の目尻とか、鱗のように頬に残ってしまったニキビ跡とか、自分が嫌いな所ばかりに執拗に吸い付くのを意識して、「あぁ、こいつは本当に狂っているなぁ」と思った。
 そしてこうも思った――ちぃちゃんが狂っているから、ちぃちゃんのお母さんではなく、同じく狂ったうーちゃんが帰って来たんじゃないかな、と。



「く……っ」
 ふと、横から漏れた苦鳴のような音にちぃちゃんは肩をびくりと震わせた。とたん、ちぃちゃんの手を包むように持つ節くれ立った指先に力が入る。泣くのを我慢しているかのように。
 でも、手を繋いでいるちぃちゃんには分かった。読経と蝉の聲と人々の啜り泣きが渦のように巻くこの空間で、長い髪でその秀麗な顔を覆い隠した彼は、時折クツクツと笑っている。
 それはまるで泣いているみたいに見えるらしく、しっかりと手を繋ぎあって骨壺に縋りついて涙を流す年の近い従兄従妹の二人は他の参列者の涙を誘った。そんなこと、ちぃちゃんにもうーちゃんにも一切関係のないことだったけれど。
 だって、ちぃちゃんにもうーちゃんにも、繋がれた手の向こう側の方が、骨壺の中でカランコロンと転がるばっちぃ『お母さん』や『博士』よりも、よっぽど気になることだったから。


「ご挨拶は僕が済ますからね、さっ、ちぃちゃんはここに座っておいで」
 無事かは置いておき、何のトラブルもなく一通りの課程を終えた葬儀の後、うーちゃんはちぃちゃんを本堂の縁側に座らせ、縁側の横に広がる庭に用意された一般参列者用の無骨なパイプ椅子の方へと、歩いていった。
 ちぃちゃんはソレを『お母さん』を抱えたまま無言で見送っていた。けど、数歩歩んだ所でうーちゃんが戻ってきた。

「博士のこと、ずっと抱えているのも疲れるでしょ? ちぃちゃんは膝から下ろして楽にしておいで」

 言い方こそは優しかったけれど、やっぱり目が笑っていないし、有無を言わさぬような雰囲気があったので、ちぃちゃんは大人しく従い、自分の隣に『お母さん』を置き、ぶらぶらと脚を投げ出した。
 うーちゃんはそれを満足そうに目を細めて見守ると、花輪の前で談笑しながら、向かって来るうーちゃんを目に留めて色めき立つ中年の女性客ら――その中には隣のおばさんも含まれているのが遠目に分かった――の方へと歩んで行った。
 ちぃちゃんは、うーちゃんがその中に混ざって行くのを確認し、顔を上げ、寺の正門の下から――正面の水平線に浮かぶ島の方から吹く、海から吹き抜ける湿った夏風に目を細めた。

 合同葬儀の行われた寺は、本土の海辺の街にある、有名な山寺の上だった。
 曰く、島の中では外部の偉い人が参列できないからとかで。今朝早く、遺族だけが、海洋研究所のスポンサー企業が回した妙に乗り心地の良いソファ席のクルーザーに連れ込まれた。
 漁と船の往復が禁止された島に久々に来た船だから、幼い子どもの中には初めて船に乗った子もいるだろう。しかし、船に乗り込んだ皆は、息を殺し、寄り添うようにしてずっと静かに座っていた。

 葬儀の企画は海外にあるという海洋研究所のスポンサー企業――どんな仕事をしているのかは、研究所に勤めていた所員以外は知らないという――が勤め、海底列車の企画団体も少なからず関わっていると、葬儀前、大人の噂話で聞いた。
 何でも、海洋研究所に関しては生存者が居ない為に分からないが、海底列車に関しては事故と事件両方の痕跡があったから、団体側の過失として、一部の遺族に責任を問われているのだそうだ。
 だが、ちぃちゃんを含めた島の遺族らは、少なくない額の見舞金を貰っているし、今回亡くなった所員らは皆、不測の事故に対して同意書を書いていたという。
 つまり、あれだけの大事故で、島の稼ぎ頭の殆どが居なくなってしまったのに、島の人間は誰も責めることが出来ないのだ。
 ちぃちゃんには、今日の葬儀までの間、島には常にやり場の無い怒りが渦巻いているように感じられた。それはまるでとぐろを巻いた蛇のように鎌首をもたげ、噛みつく先を探しているようにも。
 ちぃちゃんはふと、隣の『お母さん』を見て、それをばっちぃ物として仏間に放り込み、桐の箱に入れる今日までちぃちゃんに線香を上げるどころか仏間に入ることを禁じていたうーちゃんのことを思った。
 ……あんな風に無造作に、島の蛇の中に一石を投じたならば、その蛇は何も考えずに噛みついて来るのではないかと。

「お待たせ、ちぃちゃん」

 気づけばいつの間にか俯いて、自分の黒いエナメルのつま先を見ていたちぃちゃんは、頭上から掛かった声にゆっくりと顔を上げた。
 真っ黒な革靴。折り目のしっかりと付いた黒いスラックス。少年らしく細身だけれど、ちゃんと筋肉の線が分かる白いシャツを纏った胸。第一ボタンまでしっかり留められた襟元に結ばれた黒いネクタイ。

「さ、さっさと僕らのお家に帰ろう?」

 そして、その上にある、秀麗さが台無しの、しっぽを振る子犬のように脂下がった顔。表情らしい表情の無いちぃちゃんを写すキラキラとした黒目。
 初めて会った時のようにそうやって不躾に――でも格段に和らいだ視線でうーちゃんをジロジロと思うまま眺めた後、頷こうとしたちぃちゃんは、ふと、うーちゃんの肩越しに視線を向けた。
 そこでは、先ほどまでちぃちゃんらを程良い無関心という、比較的に好意的に見ていた隣のおばさんが、ちぃちゃん達をチラチラ見ながら、自分の隣の女性の耳元に何かを囁き掛けていた。
 時折ちらりとこちらを見る、その目に浮かぶのは明らかな憎悪で。そうやって気づいて見回すと、寺を囲む笹が夏風に擦れて鳴る音に混じって、まるで獲物を定めた蛇がシューシューと喉を鳴らすように響く囁き声の主が、あちこちでちらりとちぃちゃん達を見ている。
 まるで互いに「あれが獲物だ」と確認し合うように。

「ちぃちゃん、どーかした? なんか怖い顔してるよ? ――折角、願いが叶ったのに」
「ねが、い?」

 そしてソレは、うーちゃんが――人の目を引きつける、綺麗な顔のうーちゃんが――わざとらしく首を傾げてそう言って、ちぃちゃんに覆い被さるようにして、その眉間の皺を指先で伸ばしながら、蠱惑的な笑みを浮かべたことでついに爆発した。
 ざわざわと強くなった怨嗟の声の殆どは、「お前のせいで」とか「お前に悲しむ権利なんてあるものか」とか、そういった感じの音に聞こえた。そして、たちまちのうちに「人殺し」といった意味の慟哭に変わり、その全てが、ちぃちゃんに覆い被さるようにして向かい合っているうーちゃんの背中へとぶつかって行った。
 そして、人々の怨嗟の声を背中から被るうーちゃんはといえば――笑っていた。
 葬儀の時よりだらしなく、舌を出した犬のような顔で。ちぃちゃんの頬を目の縁まで舐め上げて、またちぃさくキスをしながら。

「へーんなの、僕はただ、叔母さんは――博士は、危険な生物の研究をしてて、開発に成功したその危険な化け物が、あの日逃げ出したんでしょ、大変ですね? って、聞いただけなのにねぇ」

 あぁ、この男は狂っているなぁと、ちぃちゃんは今日まで何度も思ったことをまた思った。

「僕はちゃんと言ったのに……ちぃちゃんのことは責めないであげてください。だってまさか電話越しに言った『お母さんなんて死んじゃえばいいのに』の一言で、本当にお母さんが死ぬだなんて思わないでしょ? って」

 そして、やっぱりちぃちゃんも――少なからず、うーちゃんの話を聞いた島民から見れば――狂った科学者の狂った娘なのだ。

 だって、うーちゃんの言い方では――とっても悪い考え方をすれば、こうとも聞こえるじゃないか。
「娘に拒絶された母親が、自分の研究成果と共に無理心中を計ったのだ」と。
 そして、無理心中の原因であるちぃちゃんは、それを知っていて、従兄のうーちゃんに教えた、と。

「ちぃちゃんはなぁんにも悪くないのにね。大丈夫、ちぃちゃん、僕がずっと守ってあげる。僕だけはちぃちゃんの味方だから」

 永遠に、と囁いたうーちゃんは、それはそれは嬉しそうに笑った。獲物を捕らえ、後は絞め殺すばかりとなった蛇みたいに。


 それから、それから。
 ちぃちゃんを引きずるようにして家に帰ったうーちゃんは、あの汚く蒸し暑い仏間にちぃちゃんを連れ込んで、ちぃちゃんの手からもぎとった骨壺を、仏壇の無い仏間の、辛うじてある床の間に置いた。

「ねぇ、博士に見せてあげようちぃちゃん。僕らがどれだけ仲良しになったか。これから毎日」

 そう、少年らしい上擦った声で囁くうーちゃんは、自分の胸に寄りかからせるようにして座らせたちぃちゃんの、汗の浮いた項を舐め上げて、汗で張り付いた黒いワンピースの上から、ちぃちゃんの小さな胸をつんつんとつついて揺らした。
 人より華奢で、少年であるうーちゃんよりも少年っぽい体躯のちぃちゃんは、自分の二つの脂肪の柔らかさも無い固まりでも、そんな風に揺れるんだなぁと、まるで他人事のように思った。

「ね、何……するの?」

 今日初めて、ちぃちゃんが何とか発した声は掠れて、カラカラになってしまっていた。これでは何かを怖がっているみたいじゃないかと、ちぃちゃんが眉をしかめると、同じことを思ったのだろう。うーちゃんは苛立ったように舌打ちをして、ちぃちゃんの項に噛みつき、ついでにワンピースの張り付いた窮屈な胸をギリギリと思い切り握りしめた。

「セックスを、しよう? 僕はちぃちゃんと一つになりたい、全部欲しい」

 だって僕は、その為に生まれたんだと、耳元で囁かれると共に、ジリジリと晩夏の蝉の断末魔のような音をたてて、ちぃちゃんの背中のファスナーが引き下ろされた。
 黒いワンピースを肩から落とされると、次に現れるのはその色味とはまるっきり逆の、真っ白いスリップドレス。
 カップの入ってないそれが汗で張り付いて淡いピンクの乳輪を透かすのを、くるりと撫でながらうーちゃんは、ちぃちゃんの脚を自分の膝で大きく割った。

「……ちぃちゃん、恥ずかしい?」

 その時、ちぃちゃんの下腹の正面にあるのは『お母さん』だったから、ちぃちゃんは頬を真っ赤に染めて何度も何度も頷いた。
 うーちゃんはソレを、たまらなく愛しい者でも眺めるようにして眺めて、から「そういえばここにしたこと無かったね」なんて笑って、ちぃちゃんの唇を何度も啄んで。いつの間にか無遠慮に口の中をかき回した。

 実の所ちぃちゃんはその後、全身が写る鏡の前だったり二階のちぃちゃんの部屋で、家の前の道路に集まって、ちぃちゃんを罵る同級生を見下ろすような位置にある大きな窓の前にちぃちゃんを立たせて、カーテンだけで窓の向こうに隠した肌をうーちゃんにしきりに貪られたり、なんてことをほぼ日常的にするようになるけれど。

 それでも、それから十二年が経っても、ちぃちゃんが一番恥ずかしいと思うのは、いつも、『お母さん』の前で身体を開かれたその日のことだ。
 豆電球だけの蒸し暑い仏間で子どもっぽい綿の下着のクロッチを撫でる指にクチクチという音が響いてきたこと。チュウチュウと子どもみたいに乳首に吸いついて来たうーちゃんの、綺麗な顔に汗で張り付いた黒髪を払って、嬉しそうに、それでいて熱っぽく微笑まれた時のお腹の疼き。
 ニキビとアトピーで鱗のように荒れた背中に「可愛いよ」「綺麗だね」と言う言葉と共に落とされた口づけ。
 それを全部、小さい時からちぃちゃんに関心の無かった母に見られている。――そう思った時、ちぃちゃんの中に芽生えていたどす黒い蛇が、ぶわっと鎌首を擡げた。

「んぁふ……」

 そしてそのどす黒い蛇は、ちぃちゃんに強烈な快感とか征服感とかいうものを植え付けて、下着をするりと抜かれた脚を一層大きく開かせた。
 それに、殆ど自分の胸とお腹の境に頭を預けるようにしてずりおちたちぃちゃんを抱えていたうーちゃんが、本当に嬉しそうに笑って。身を屈めてグリグリとちぃちゃんの額に額をすり付けた。

「……こうして、ちぃちゃんを汚すのも、きっと可愛がるのと同じくらいに、僕の夢だったんだ」

 そう笑ううーちゃんの顔は、欲望にグズグズでも美しく、均等が取れて手入れが行き届いていて。――人の手が入ったことのある美貌だった。
 お母さんに放置され、どころか、体中に鱗のような跡の残る酷い皮膚疾患を、そのお母さんによるストレスで引き起こした自分とは違う。手入れされた美貌。
 ――ちぃちゃんは気づいていた。うーちゃんの言動からして、少なくともうーちゃんは、研究所に居たのだろうということを。
 自分には決して許してくれなかったその場所に、お母さんはこの子のことは許して自分の懐に入れたんだと。
 そして今――そんなお母さんの大切に、お母さんの目の前でちぃちゃんは身体を暴かれている。お母さんの美しいウロボスは、ちぃちゃんの汚い肌に口づけを落として、汚い所から溢れる蜜でその手を汚し、ちぃちゃんの背中に熱気より熱くて芯のあるものを押しつけて。
 綺麗なうーちゃんは、お母さんの捨てたちぃちゃんに狂っている。

「ねぇちぃちゃん、博士が――お母さんが見ているね。もっと見せてあげようね」

 うーちゃんは羞恥を煽る為に呟くそれが、まるでお経や呪文のように、ちぃちゃんの思考力を奪っていく。

 ――積極的な陵辱、そんな言葉がちぃちゃんの頭に浮かんだ。
自分は彼に、積極的に汚されている。かび臭い畳の敷かれた蒸し暑い部屋で、は虫類の鱗のように汗でしとどに濡れた肌をすり合わせながら、積極的に陵辱されている。
 まるでうーちゃんと同じく、昔からそうしたかったかのように。

 脚から引き抜かれた下着が、ぺちゃっと嫌な音を立てて濡れた畳を落ちる。もうこの下着を使うことは出来ないだろうなぁと、ちぃちゃんは他人事のように思いながら、うーちゃんのシャツと、ちぃちゃんのワンピースが敷かれた畳の上に横たえられた。殆ど全裸だというのに、汗でべちょべちょに濡れたスリップがお腹に溜まっている様はどうにも卑猥で、ちぃちゃんは蛇のように脚をすり合わせた。

「綺麗、ちぃちゃん、綺麗……」
「……うーちゃんのが、きれい」

 うーちゃんは、拳大の『お母さん』をばっちぃと罵ったうーちゃんは、きれいを何度も繰り返し、ちぃちゃんの汗と抹香の匂いが染み着いた白い肌をじゅるじゅると嫌らしい音を立てて啜った。

「もっと、脚を開いてみせて……いいでしょ?」

 そうして、ちぃちゃんの脚の間に――とってもばっちぃ所に口づけたうーちゃんは、閉じられないように開かせたちぃちゃんの脚をおさえつけて、そのとば口に指を含ませ、綺麗な舌で赤く熟れた蕾を舐めた。

「ぁ……うぁ……ひっく」
「怖くないよ、怖くないよ、ちぃちゃん。僕らはまた、一人に戻るだけなんだから……」

 ぐぷぐぷと鳴る水音と、じんじんと痺れる、自分の身体の奥の、お腹側の壁だということしか分からない所から感じる心地に啜り泣くように喘ぎながら喉を反らし、仰向かせたちぃちゃんの顔が、鮮やかな布に包まれた箱に向いた。

「ねぇちゃんと言ってちぃちゃん、博士にお母さんに、僕が好きって、気持ちいいって」

 言うまで離さないと、そう嘯きながら、ちぃちゃんの脚の間にいたうーちゃんは、伸び上がってちぃちゃんの口を塞いだ。
 口の中で動く薄い舌からは海みたいな味がして、ぬめって、そしてぐちゃぐちゃと脚の間で未だ鳴る音と混ざってちぃちゃんの頭の中をぐずぐずにしていった。

「ぁ……う、きもち、ぃ……うぁ!」
「……やっぱ、もっと慣らさないとダメだったかもね」

 唐突に押し込まれた物の痛みと熱さに、ちぃちゃんは汚い畳の上を何度も何度も引っかいた。でも、そんなちぃちゃんに構わず、うーちゃんはちぃちゃんの身体に体重を掛けて、傷跡みたいに引き攣れる孔に灼熱の蛇をぐいぐいと押しつけてきた。

「あ、やめ、いたっ、ごめんなさい……ごめんな……さ」

 自分でも何を言ってるのか分からないけれど、何でかちぃちゃんは謝らなければいけないような気持ちになって、泣きながら、何度も何度もそう繰り返した。

「許してあげるちぃちゃん――だから、僕の物になって。僕を君にあげるから」

 けれど、この時ばかりは、うーちゃんはちぃちゃんを許してなんてくれなかった。
 股関節が引き攣れて、お腹が生理の時のように痛くなっても、ぐぷぐぷという音に嫌々と首を振っても。




 夏の朝早く、空の白み始めた頃になって、二人は、汗と抹香の匂い。それとなんか余ったるくて粘っこく生臭い臭いと――わずかな血の臭いが充満する仏間に、ごろりと大の字で横になった。
 いつも運動不足のちぃちゃんのお腹の筋肉は、ひきつれたようになって、がびがびに乾いた体液を纏わせたまま、はくはくと浅い呼吸に波打った。
 それをうーちゃんはやっぱり、相変わらず愛しくて仕方ない物を見るような目でみながら、撫でさすった。

「畳に、シミが出来てしまったね」

 汚い畳に出来た、人でも殺したような血のシミを見て、うーちゃんは嬉しそうに笑った。同じように寝返りを打ってその少年らしく引き締まった腹筋に何となく撫で出したちぃちゃんの旋毛にキスを落としながら。
 殆ど脱水症状を起こしたようになって微睡むちぃちゃんに、うーちゃんは寄り添って抱き寄せ、は虫類の皮膚のようにしっとりした肌の腕と胸に後ろから抱き込んで捕らえながら、「長い長い、おとぎばなしをしてあげる」なんてお決まりの枕詞と共に長い長い話を始めた。
 ちぃちゃんは毎回途中で寝てしまうので、全てを聞くのに何回も眠って起きて、何回もセックスをしなくてはいけなかった。

「ちぃちゃんは、僕と離れていた十六年の分、僕と四六時中一緒にいなくちゃいけないんだよ」

 そんな無茶苦茶な理論で始まったそれは、一回一回がしつこくて濃厚で、ちぃちゃんの中身をグズグズに溶かして行くようだった。汗だくになったちぃちゃんは、その後の全て――お風呂からご飯まで、全部うーちゃんに委ねなければいけないほどに。
 だから、全ての話を理解した頃には、ちぃちゃんはうーちゃんが居ないと生きられない、快感に従順で甘えん坊の女の子になっていた。
 相変わらず、愛想はなくて言葉すくなだったけど。

「昔々、世界が今の老人達の物だった頃、ちぃちゃんが生まれる前のこと。まだ将来有望な若者だった博士は――ちぃちゃんのお母さんは、とある企業の研究員となりました。だけれど其処は、研究所とは名ばかりで、実は幾多の怪人を作り、世界の転覆を狙う悪の組織だったのです」

 汚れた畳を撫でながらそこまで言って、うーちゃんは面白くてたまらないといった風にくつくつと笑って、小さなちぃちゃんの首筋に顔を埋めた。

「それでも人は、正義よりも悪に染まりやすい生き物です。ちぃちゃんのお母さんはそのうち、研究所に響き渡る人体実験の材料の悲鳴を聞きながら美味しいコーヒーを啜るまでになりました」
「研究所のコーヒーは、そんなに美味しいの?」
「うん、格別みたいだよ。博士は毎日飲んでたから」

 カーテンに爪を立てながら、一階の、雨戸の閉まった窓に向かって石を投げる同級生を見下ろしながら、後ろから入ってたうーちゃんを締め付けて絶頂を迎え、熱を冷ますように、冷たい窓に額を当てながらそんなことを言ったちぃちゃん。

「尤も、僕はその頃の僕はまだ、試験管の中でオブジェクトのようにぷかぷかと浮いていたから、コーヒーの味なんて知らなかったけれど」

 その頭を撫でながら、うーちゃんはちぃちゃんの耳を甘噛みしながら言った。

「そんなお母さんはある時、最高傑作を、と、とーっても偉い人に言われました。丁度その頃、お母さんは『素材』を手に入れたのです」
「んくっ……」
「まぁ、素材が人間なら、本来は怪人じゃなくて改造人間だと思うけどね」

 そう言ううーちゃんの引き締まった腹筋の上に手を突いて、自分の中に埋まっていたものを引き抜かせられたちぃちゃんは、正面からうーちゃんの目を覗き込んで首を傾げた。

「……じゃあ、私は、改造人間?」
「――いいや」

 そう答えたうーちゃんは、相変わらず少年の姿のままの癖に、うーちゃんの美味しいご飯によって、少しだけふっくらとしたちぃちゃんを簡単に裏返して上に覆い被さって来た。

「僕が、その改造人間さ」
「んぁ……っ」

 そう言ったその後は、その言葉の重さに耐えきれないとでも言いたげに眉をしかめ、ちぃちゃんの赤く腫れた唇を思うさまに貪り、細い脚に何度も噛みついて口づけて抱え上げて、抜いたばかりの杭を一気に押し込んできた。

「お母さんがちぃちゃんを産んだちょうどその頃、ちぃちゃんのお母さんの弟――ちぃちゃんの叔父さんが亡くなりました。男の子を一人遺して。男の子は赤ん坊だった従妹と同じ家に暮らすうち、すっかり可愛さの虜になりました。やがて、男の子は彼女の為に、その身を研究に捧げました」

 うーちゃんの留守を狙い、箪笥を漁って唯一出てきた白い男物のワイシャツを愛咬や鬱血の跡ばかりの身体に引っかけて、ふらりと家を出たちぃちゃんを迎えに来たうーちゃんは、ちぃちゃんの膝裏と首を支えて抱え上げて歩きながら、そう話した。
 ちぃちゃんは、ぶらぶらと揺れる自分のつま先とを見つめながら聞いていた。今は平日の昼間だと思うのだけれど、誰も歩いてはいなかった。皆、こんな島から逃げ出したのかも知れない。
 ――そして、残った少ない島民が、殆ど全裸のような格好で、ふらふらと道を歩くちぃちゃんを見つけて、うーちゃんに通報するか、何処かの道で泣き叫ぶかしたのだろう。

「うちの千尋がご迷惑をおかけしました」
「……あんたも大変だねぇ。親戚ってだけでこんな狂人の世話をさせられて」

 その会話を聞いて、ちぃちゃんは、愚かにも、穏やかにも漸く理解していた。自分は、うーちゃんによって、家に監禁されているのではなくて、島の中という『世界』に監禁されているのだと。

「幼い身体に色々な注射や点滴をして、元の形を忘れて行きながら、それでも一つ僕を支えていたのは、ちぃちゃんの存在だった。僕は博士にこう言われていたから。
「あなたには、この世界の為、正義の味方になって欲しい」って。
 ちぃちゃんは僕を覚えてないだろうね。
 だって、ちぃちゃんと僕が一緒に暮らしたのは三ヶ月くらいだった。でも、僕にはちぃちゃんが全てだったんだ。僕がどんなに醜くなったとしても、人を殺す為の生き物だとしても、生きていればちぃちゃんに会えると思ったんだ。テレビの正義の味方みたいに、ちぃちゃんを守れるならそれで。そうして僕は――『怪獣ウロボス』は誕生した」

 ちぃちゃんは確かに監禁されていた。
 ちぃちゃんの檻はこの島で、鎖は今、愛しげに額を寄せてくるうーちゃんではなく、島の人々。この島の中で、狂っているのはちぃちゃんなのだ。

「でも、ちぃちゃんのお母さんは博士だけれど人だった。ちぃちゃんを僕に会わせたくないと言った。うちの子をお前のような化け物に近づけるものかと……言ってしまったんだ。だから僕は、手始めに、僕の世界を滅ぼしてみた。彼らの狙い通りに」

 結局、うーちゃんの長い物語は、夏休みの最終日に完結した。
 朝晩に少しだけ気温を下げるようになった部屋で、ぶるりと震えたちぃちゃんを抱き寄せて、行ってらっしゃいのちゅーをねだった。

「ねぇちぃちゃん、僕と君を引き離し、君からお母さんを奪って、それでもまだありつづける世界は、滅びるべきではないかな」

 その睦言は何度も何度も繰り返されて、頷くまで酷いことをしてくうーちゃんだったから、ちぃちゃんはこくりと頷いた。
 その一言でちぃちゃんのお腹はきゅうんと痙攣して、汗に湿ったシーツを、お腹の底に残った白濁で汚してしまった。

「さぁ、夏休みが終わったね……僕は今日から働かなきゃ。ちぃちゃんとずっと一緒に居る為に」

 それからだけれどちぃちゃんの夏休みは終わらないまま、うーちゃんは休みなく働き続け、うーちゃんが言った通り、本当に、世界の方が先に終わってしまった。

 そして、今日からは、十二年を一生懸命に働いたうーちゃんの夏休みだ。
 
> 蛇足編
蛇足編
 
> 蛇足編 > ちぃちゃんの話
ちぃちゃんの話
 
> 蛇足編 > ちぃちゃんの話 > 1
2013/02/13
1
エロと説明不足を補う蛇足編です。
「うーちゃん、大丈夫……痛いの?」
「ちぃちゃん……ちがうよ、ぼくは、ゆうちゃんだよ、いってごらん……ね?」
「……うーちゃん?」
「ちぃちゃん……ぼくの……」

 俯せに倒れ、汗の滲んだ額を撫でるちぃちゃんの手を掴んで不安そうに瞳を揺らしたうーちゃんは、そのままいつものように、糸が切れるかのように眠りについた。
 うーちゃんには、数ヶ月に一度くらい、急に発熱して倒れ、動けなくなる時がある。
 それは丸一日の時もあれば、ほんの数時間のこともある。
 共通するのは、その間、暫く意識が錯乱し、四肢が麻痺するのか、布団の上で蛇のようにもがき苦しみ――唐突に糸が切れたように眠りにつくということ。
 その後、血の気が引いた青白い顔で、死んだように動かないうーちゃんは人形や陶器の置物のようなのに。
 その身体は汗でベタベタになって、下肢は、何故か精液で汚れている。
 ちぃちゃんは、赤ん坊のように丸まって汗みずくで眠るうーちゃんを、いつも自分がして貰うようにお湯で濡らしたタオルで拭いて清めて着替えさせ、その隣に乾いたタオルケットを敷いて横になる。

 苦痛と快楽は紙一重だと言うけれど、うーちゃんの場合、どちらが勝った結果なのかはちぃちゃんにはよく分からない。
 局地的な我慢の聞かないような止めどない快感が――ちぃちゃんもうーちゃんの手や舌や挿入で何度か経験したことがある――苦痛になってうーちゃんを責め苛むのか。
 はたまた、その身に起こる何かによる余りの苦しさに、身体が――人間にない強靱な身体が――防衛本能を働かせてそれを快感に変えるのか。
 ちぃちゃんには分からない。
 出来ることもない。
 出来るのは、苦しむ彼を隣で見守ることと。

「……うーちゃん?」

 安らぎ、死体のように眠る彼が、早くこちらの――ちぃちゃんの居る側の世界に戻って来れるようにと願いを込めて、抱きしめて、名前を呼ぶことだけ。

「うーちゃん……」

 だけれど、うーちゃんは、呼んでも、答えない。
 そして、こんな時。ちぃちゃんがいつも思い出すのは、あの時のうーちゃんだ。
 十代の頃、初めてちぃちゃんにこの症状を気付かれた時の、自分の汗と体液で汚れた身体を見下ろして、今にも泣きそうな顔で「ごめん、ごめん」と膝を抱えて呟き続けたうーちゃん。

「……好き、うーちゃん」

 ひくりと震える瞼の下で、ちぃちゃんが背中を撫でても目覚めないような深い眠りの中で。
 十四年という年月を経ても、作り物のように、作りかけのように、十五歳のままで止まった肉の器の中で。
 あの時のようにうーちゃんが――うーちゃんの心が、膝を抱えて蹲っているような気がするのだ。
 うーちゃんを汚すばかりのちぃちゃんを、「汚したくない、汚したくない」と泣きながら。
 
> 蛇足編 > ちぃちゃんの話 > 2
2
濃厚なエロありです。
 ちぃちゃんの所で一緒に暮らし初めて、初めてソレが起こった時。
 うーちゃんは、夜中にいつもなら決して離れないちぃちゃんの横から静かに抜け出して、よりによって二人が初めて交わった仏間に逃げ込んでいた。
 朝になって、居なくなったうーちゃんを探しに来たちぃちゃんは、中から衣擦れが聞こえたその襖を一気に引き開けた。
 薄暗い部屋の中、部屋の隅に敷いた布団で上半身裸で膝を抱えたうーちゃんは「来ないで、ばっちぃから触らないで」と初めてちぃちゃんを強く拒否した。
 パジャマ代わりの半パンは、汗と精液でぐっしょりと濡れて酷い有様で。
 高熱の余韻の中、どうにかTシャツだけは脱いだらしいうーちゃんは、気持ち悪そうに膝をすり合わせながら、顔に掛かった髪の中で、スンと小さく鼻を鳴らしていた。
 まるで、おねしょを見つかった小さな子どもみたいだと、その時、ちぃちゃんは思った。
 ちぃちゃんだって年頃だったから、そのうーちゃんの身体を汚しているものが、大人にしか起こらないことだと分かる年齢だったけども。
 今日は何処を侵略した、誰を殺してしまったと、綺麗な顔を喜悦に染めて楽しそうに話すうーちゃんの。
 ちぃちゃんを好き勝手に犯しながら、それを合意の上での行為だと本当に思っているうーちゃんの、初めて見せた「人間」みたいな弱さ。
 その時、ちぃちゃんは急に胸の奥がきゅうんとし、次には仏間に入り込み、俯くうーちゃんの顔を上げさせた。
 困ったように自分を見上げるうーちゃんは、乾いた汗や目尻に浮いた涙で綺麗な顔が台無しの、それはそれは酷いありさまで。
 だから――ちぃちゃんは初めて、自主的にうーちゃんの唇に口づけて。そのドロドロでばっちぃ脚の間に座り込んで。未だ熱を持ったそこに、自分の腰を押しつけるようにして、うーちゃんに抱きついた。

「好き。うーちゃん、すき……」

 今にして思えばそれは、ちぃちゃんが初めて、うーちゃんを愛しいと思った瞬間だったのだと思う。

「ちぃちゃ……んぅ」
「好き、うーちゃんが、いっぱい好き……」

 ちぃちゃんはそう言いながら、何度もちぃちゃんの綺麗なのに寝起きでカサついた唇に口付けて、そのうちに唇だけでなく、汗や涙で濡れた頬や目尻にも口付けて、小さく舌を這わせた。
 そのうち息が続かなくなって来て、うーちゃんから顔を離し、はぁと息をつき、大きく息を吸う。
 途端、狭くじめじめとした部屋中に漂う青臭さと汗の臭いを肺一杯に吸い込んで蒸せた。蒸せながら、それでいて酷く興奮して、じわりと目尻から涙が落ちた。

「ちぃちゃん、ちぃちゃん……」

 気付けば泣いていた筈のうーちゃんはちぃちゃんの細い腰に両脚を絡めて、縋るように抱きついていた。ちぃちゃんは服ごしにくっつきあった腰を小さく揺らしてみる。
 べちゅ、べちょ、と、いつもならちぃちゃんが立てるようなはしたない音が、くっつけた腰と腰の間からして――やがて堅いものがすり付けられた。

「んくっ……ちぃ、ちゃん」
「……かわい」

 ちぃちゃんは、うーちゃんとまた唇を合わせて、口の中で縮こまっている舌に舌を絡ませ扱き上げて唾液を吸って。

 ――……もっと、かわいいうーちゃん、みたい。

 汗でぬるつく胸を滑り落ちるようにして身体を落として、ぐっちょりと濡れて白く乾いた跡のある半パンの、ゴムの所に手を掛けた。

 綺麗なうーちゃんの――ちぃちゃんには綺麗な所しか決して見せようとしない、壊れたうーちゃんの――汚い所を見て、ちぃちゃんは初めて思ったのだ。
 ちぃちゃんみたいに汚れちゃったうーちゃんを、綺麗にしてあげたくて、それと同じくらい、もっと汚してあげたいと。
 ちぃちゃんは、そう思ったのだ。

「うーちゃん、腰、あげて……」

 だから、手を掛けた半パンをずるっと一気に引き下ろした。いつもうーちゃんがちぃちゃんの脚の間を、べちゃべちゃに舐め回した後にぐちゃぐちゃのドロドロになった下着を脱がせる時に掛ける言葉を耳元で囁いて。
「や、ちぃちゃんや……っ」
「……や、じゃない」

 抵抗するうーちゃんに思い知らせるように、ぐっと半パンのゴムを引っ張り、べちんと間抜けな音をさせる。それの振動にぶるっとお腹を震わせたいうーちゃんは、真っ赤になった顔を両手でおさえて隠したまま、促すように引っ張るちぃちゃんに合わせて、僅かに腰を上げた。

 綺麗な癖に綺麗な腹筋から腰までの筋肉を半パンが滑り降りて、膝の下まで落とすと、ちぃちゃんはヌルヌルとした粘液を纏わせて、いつも見る時より元気の無い物をじっと見下ろした。

「……べった、べた」
「いわ……な……い……で」

 思わずぽつりと呟いた声への返答が、つむじの上に熱い吐息混じりで返る。うーちゃんがちぃちゃんに頬を寄せるように俯き、その荒い呼吸が首筋に入り込んだ。それだけでちぃちゃんは背中がゾクゾクとして、それを逃がすようにして頬をうーちゃんの胸にすり寄せる。

「んっ……ちぃ、ちゃん」

 すると、うーちゃんがちぃちゃんの華奢な背中に両腕を縋るように回し、ちぃちゃんをぎゅっと抱き寄せた。

 ――……くるし?

 ちぃちゃんが見上げて目で問うと、うーちゃんは頬を染めたまま目を伏せて、フルフルとちいさく首を振って、その代わりに更に強くちぃちゃんを抱き寄せる。
 はふ、と、ちぃちゃんから漏れた吐息がうーちゃんの肌に当たって、ちぃちゃんの耳に当たるうーちゃんの呼吸を荒くした。
 それがどうしようもなくちぃちゃんの胸をきゅうっと締め付けて高鳴らせて――愛しい気分にさせて。

「……じゃ、もっと、しよ?」
「ちぃちゃ……ん、ぁっ!」

 ちぃちゃんは少し顔を下げて、うーちゃんの腹筋に何度も小さなキスを落としながら顔を下に下ろして行って。精液に汚れた下腹部と腹筋の境にまで達し、筋肉の溝に溜まった白濁を、ちゅくりと控えめに啜った。

「だめ……ぺっ、って、してちぃちゃん、きたないから!」

 今まで疲労と排泄のの余韻とで、ぼーっとしていたらしいうーちゃんが、両手でちぃちゃんの頬を押さえて上を向かし、狼狽した顔でちぃちゃんを見る。
 思い切り首を引っ張られたちぃちゃんは、だけれどそれで開きそうになった口をぎゅっと閉じて片手で押さえることでガードして。

「ん……くっ……けふっ、ごほっ」

 結果として、うーちゃんとしっかり目と目を合わせたまま、それを味を見るように舌の上で転がして、喉を嚥下させてゆっくりと飲み込み、くはぁと、詰まった吐息と共に口を開けるまでの一連の動作を全て見られることになってしまった。
 舌に絡まった数滴は生臭く、それでいてピリピリと舌が痺れさせた。けれどうーちゃんのそれは噂で聞いたような吐く程不味い物でなかった。
 飲み込み辛いそれを飲み込もうとして震える華奢な喉を捕らえて、うーちゃんが一層目を見開いて、こくり、と喉を上下させる。

「ちぃ……ちゃん、なんで……?」

 それもやっぱり可愛く見えて、ちぃちゃんは返事の代わりに首を傾げて、自分の顔を包むうーちゃんの両手をそっと外して――自分がどんな顔をしているか、全く意識することなく自然に微笑んで首を傾げた。
 そして、そんなちぃちゃんの様子にうーちゃんが息を飲んだ隙に更に身体を下げ――僅かにだけ持ち上がっていたうーちゃんのモノに両手を掛けて持ち上げて、ベタベタに汚れた砲身にチロリと小さく舌を這わせた。

「はうっ……や、やめて、ちぃちゃん! はずかしいから、ばっちいからあぁ……っ!」

 珍しく狼狽えたうーちゃんの声に、ちぃちゃんは腰の辺りがゾクゾクして、止めようと頭を掴むうーちゃんの手を軽く振って払い、さっきより熱を持ったその側面にちゅう、と、少し強めに吸い付いた。

「んぅ……」
「んくっ……ね、ちぃちゃん、いいこだから、てぇ、離して?」

 苦みに思わず眉をしかめ、うーちゃんを包む手に思わず力が入る。それにうーちゃんが唸ったのを、おずおず見上げたちぃちゃんに、うーちゃんはそう、荒くなった息を整えながらそれでも笑顔で言った。
 けれどちぃちゃんはむっと頬を膨らませると、ぶるぶると頭を振ってそして。

「ちぃちゃん! だめっ……!」

 大きく口を開けて、ふくらみ出した先端をがぶりと口に含んで舐め出した。
 くちゃ、べちゃと大きく唾液の音を立てると、弱々しいうーちゃんの否定は聞こえなくなって、ちぃちゃんは自分の手の中でどんどん持ち上がり、口の中で上顎を押し上げて頬の中を擦り上げる熱にばかり集中した。
 口の中が一杯になるのは苦しいけれど、口の中の粘膜が擦られるのは
今までで散々慣らされたキスとはまた違って心地いいと、ちぃちゃんは初めて知った。
 吸いつくというのがこんなに気持ちがいいから、うーちゃんはちぃちゃんの小さな胸ばかり執拗に吸うのかも知れない。
 気付けば手の中の熱はちぃちゃんの手のひらを押し返すくらいの張りを持ち、ビリビリと舌が痺れ、その痺れがうーちゃんに背骨を撫でられた時のように背中から腰の間に落ちて行くように感じられて。

「はぁ……あぁ……あ、ちぃちゃん」

 ふと、今まで軽くちぃちゃんの頭を掴んでいたうーちゃんの手が、ちぃちゃんの髪を梳いて、耳を撫で、そのまま口の端を垂れる涎を拭った。うーちゃんの手はひんやりと冷たくて、それでちぃちゃんは、自分の頬が紅潮していることを知った。
 頬の火照りを冷ます手のひらの感触にうっとりしながら、一杯になっている口の中をうがいでもするように震わせながらうーちゃんを見上げると、うーちゃんは恍惚と苦悶の半分混ざったような顔で、長い睫を伏せてちぃちゃんを見下ろしていた。
 それに心臓が壊れそうになるくらいドキドキした時、くっと眉間に皺を寄せたうーちゃんの右目から、一筋涙がこぼれた。
 それが何の涙かちぃちゃんが考えるより早く。

「ごめん……ごめんね、ちぃちゃん!」

 うーちゃんはそう叫んで、ちぃちゃんの頭を押さえつけて、ちぃちゃんの口に向け、ぐっと腰を突き上げた。
 手で止めるまでもなく、唾液で塗れた唇を端がピリピリするくらい開いて、一杯に含まされた粘膜を刷り上げて、入らないと思っていた奥までぐいっと突き入れられた。

「うぐぅ……」
「ごめん、お願い、すぐ終わらすから、ごめ、ごめん、ごめん……!」

 言葉の通り、白い頬を赤く染め、ちぃちゃんから視線を逸らすように目線を落としたうーちゃんは、ちぃちゃんの小さな口の中にがむしゃらに突き入れてすぐ果てた。
 出る、と、喘ぎ混じりに小さく言ったうーちゃんは自身をちぃちゃんの口から引きだそうとしたけれど、ちぃちゃんは喉の奥を突かれた苦しさで口全体に力を入れて吸い上げるようにしてしまった。
 
> 蛇足編 > ちぃちゃんの話 > 3
3
濃厚なエロ引き続きます。
「ぐふっ、けほっ……」

 それでも引き抜かれたモノは、けふ、けふと、何度も咳をするちぃちゃんの額や頬を精液まみれにして、更に痺れて上手く閉じられない唇からも滴った。

「ん、んくっ……」

 うーちゃんは荒い息のまま、その頬を指で撫でて、小さく喘ぐちぃちゃんの口に含ませる。ちぃちゃんは無意識なのか、それともうーちゃんの意図が分かったのか、その指に吸い付いて、ちゅぅ、ちゅぅと吸い付いた。
「あはぁ、ちぃちゃんべったべたぁ……」

 笑い声混じりの、恍惚とした顔でそう言ったうーちゃんは、ちぃちゃんの唇から指を引き抜くと、生臭い精液にまみれたちぃちゃんの頬を包むように持って軽く唇を合わせた。

「うふっ、ちぃちゃんも汚れちゃったぁ……僕ので……」

 同時に、そのぬるつく手をちぃちゃんの首から鎖骨に滑らせて――ちぃちゃんが着ているうーちゃんのシャツの襟に両手を掛けて、一気にボタンを引き裂いた。

「ちぃちゃん、もーっとよごしてあげる……」

 そして、露わになった下着を付けていないちぃちゃんの胸を露わになった小さな胸を、うーちゃんは塗れた自分の両手を滑らせる。ちぃちゃんのミルク色の肌に白い粘液がまぶされる姿に恍惚となりながら、うーちゃんは、そのままぐにぐにとちぃちゃんの乳を揉みしだいた。

「んんっ、はぁぁん……」
「ふふっ、はやくおぉきくなぁれっ」

 慣れた感触と先ほどまでの口淫の余韻で息を荒げ、甘い声を上げるちぃちゃんに、うーちゃんは簡単に夢中になる。そのまま玩具を遊ぶようにむにむにと細かく揉んだり、淡い色をした乳輪の周りを撫でたりを繰り返していたうーちゃんは、ごくりと喉を鳴らすと、ちぃちゃんの胸の間に顔を落とし、胸の先端に吸い付いた。

「あぅ、あ……うーちゃ、きたな……」
「んくっくっ……ひぃひゃん……」

 ちぃちゃんは、いつもと違い、幼い子どものようにがむしゃらに強く吸い付いて来るうーちゃんに胸と尾骨の辺りがじんじんと痺れて、肋の下で心臓が暴れるような――愛しい気分になって、うーちゃんの頭を抱きしめて、さっき自分がされたように髪を撫でて、うーちゃんの口に拙い動きで胸をすり付けた。

「うーちゃん、すき……」

 熱に浮かされたようにそう繰り返すちぃちゃんに、うーちゃんは返事の代わりに、その背を撫でたり、空いた側の胸を揉み込むことと――嬉しそうに細めた目で答えた。
 だけれど、ちぃちゃんの身体の揺れ幅が大きくなった頃、幼い子みたいだったうーちゃんは、唐突にちぃちゃんの胸から口を離して、ふはぁと、熱く息を吐いた。
 その吐息でさえブルブルと震えたちぃちゃんを、うーちゃんは目元を赤く染めて見上げた。

「……うーちゃん?」

 ちぃちゃんのその呼びかけに、うーちゃんは、照れたように身体を揺すり一層目を潤ませ、自分の身体の横にある、ちぃちゃんの両方の足首から膝を撫で、そこに手を掛けた。

「あのね、ちぃちゃんねさっきね、気持ちよかったからね……」
「……っ!」

 瞬間、うーちゃんを写していたちぃちゃんの視界はうーちゃんを見失って、代わりに仏間の低い天井を写していた。

「僕もちぃちゃん、綺麗にしてあげるの」
「はふ……!」

 くちゅ、っと、控えめな音と共に、大きく開かれたちぃちゃんの脚の付け根にあるヌルヌルと濡れ、興奮に咲き誇る華をうーちゃんの舌がちろりと這った。
 それは花芯を擽り外側の花弁を舐めて――くっと奥の蜜口に突き入れられた。
「ふふっ、きもちぃんだ……」
「あ、や、そこでしゃべるのや……」

 くち、くち、と小さく鳴る音の合間、響いた声と濡れて興奮に赤く腫れた花弁に当たる吐息と、意地悪な響きのその言葉に、ちぃちゃんは身をくねらせ、じたばたと脚を暴れさせた。

「……あ、っ」

 と、ちぃちゃんの太股を掴む手に強いが加わり、ちぃちゃんは思わず眉を顰めて呻いた。更にまだ肉の薄い恥丘のまろみに軽く歯を立てられて、恐怖と生理的な反応で、腰がびくっと跳ねる。

「……ちぃちゃんは、僕がや、って言ってもやめてくれなかった」
「あっ、あ……」

 自分が噛みついた毛の薄い丘を慰めるように舐めながら、脚の間で発されたうーちゃんの声は、しっとりしているのに、低い。
 うーちゃんの不機嫌を感じ取ったちぃちゃんは、びくっと身体を震わせ、恐怖に硬直しながら、恐る恐ると頭を起こし、自分の脚の間にあるうーちゃんの顔を見つめた。

「ちぃちゃんは、僕に汚されるのが嫌いなんだね……だからちっとも汚れてくれないんだ」
「ちが、う、ちがう、うーちゃん……」
「じゃあ何で逃げようとするの、ちぃちゃん」

 ちぃちゃんの脚を押さえつけて、その間に顔を埋めるように伏せていたうーちゃんは、人間とも思えない素早さでちぃちゃんの両手を片手で捕まえて、余ったもう片方の手で太股を押さえ込んで閉じられないように開いて、ちいちゃんを押しつぶすようにして組み敷いた。

「ねぇ、ちぃちゃん。逃げちゃ駄目なんだよ? 恥ずかしいとこもやらしいお漏らしも、いやらしい穴も、みんな僕に見せなきゃ駄目なの」

 お漏らし、といいながら、うーちゃんがぐちゅぐちゅと、音を立ててぱっくりと開かれた花弁の上に腰をすり付ける。
 その感覚に喉から上がりそうになった喘ぎにブンブンと頭を振る。

「分かった? 分かったよね? 分かったからちぃちゃんはきもちいいの我慢しないで、腰を振ってるんだよね?」

 耳元で囁かれた言葉のせいか、花芯にすり付けられる熱さのせいか、ちぃちゃんは気づけば何度も何度もがむしゃらに首を縦に振った。
 うーちゃんは滅多に怒らない。だから、ちぃちゃんはうーちゃんを怒らせるのが怖い。
 そして、今のように、ちぃちゃんには人間に見えるうーちゃんが、もしかしたら本当に人間じゃないのではないか、と思わせる行動を取る時が怖い。
 そう、怖いのだ――今にも零れそうに瞳を潤ませる心と、ドキドキする心臓と、勝手にぴくぴくと震える腰は、怖いからなのだ。
 うーちゃんは好きだけど、怖いものは怖い。
 だから陰花にうーちゃんのおっきくて熱い物を飲み込まされる時は震えるし、こうやって急に組み敷かれると、ビクビクと身体が震えて、目元に熱が集まって涙が溢れて来るのだ。
 だってそうじゃないと――ちぃちゃんは、うーちゃんに怒られながら濡らす、変態じゃないか。
 余りの恥ずかしさに、ついにぽろぽろと涙を流すと、うーちゃんは「ちぃちゃん、おいしそうで可哀想」と一言ぽつりと呟いて、べろべろと、うーちゃんの精液や唾液で不細工に汚れたちいちゃんの顔を犬のように舐め始めた。
「ちぃちゃん、僕のこと好きなんだよね? 優しいちぃちゃんは、好きだから、やらしいことも、何でもしちゃうんだもんね? ね、言って、もっと好きって言って、ね?」

 ――あぁ、うーちゃんは優しいなぁ。
 そうやってペロペロと舐められながら、少しだけ落ち着いたドキドキと共に、泣き腫らした目で綺麗なうーちゃんを見ながら、ちぃちゃんは何となくそう思った。
 だってうーちゃんは――自覚があろうと無かろうと、うーちゃんに、こんな目をさせるくらいまで、ちぃちゃんはこんなうーちゃんを汚したというのに――ちぃちゃんを汚すうーちゃんは、まだちぃちゃんに言い訳をくれる。
 ――ちぃちゃんは、うーちゃんが好きだから、こんな反応をしてしまうんだと。
 今までのちぃちゃんなら、またはちぃちゃんより頭の良かったり、好きとか嫌いとかいう感情や性行に慣れてる大人だったなら「相手の好きに絆されている」とか「恥ずかしいことを一杯されて、そう思うように追い込まれた」と言うのかも知れない。
 だけれ今のちぃちゃんは――いつもの卒のない様子がなくなって無防備で、お漏らしやおねしょをした子どもみたいで、今にも泣きそうな顔をしていて放っておけないうーちゃんを見たちいちゃんは、そうは思わない。

「ね、僕が好きなちぃちゃんは、僕に全部見せてくれるでしょ? 何でもくれるよね??」

 顔だけでなく、精液で汚れた胸や汗で濡れた首筋に何度も小さなキスを落とされ、押さえつけられていた腕を解放される。

「ね、ちぃちゃん、僕が好きでしょ? ね、そうだよね?」
「あぁんっ! うーちゃん……うー……ちゃっ、ん!」

 そう何度も何度も囁かれながら、戒められていた両手を解かれ、うーちゃんの細い腰が割り込んで、大きく広げられた脚の付け根に掛けさせられる。
 何度も、言ってと囁いていた口が、ちゅう、と胸の先端を吸い上げた時。性行に慣れてはいないけれど、うーちゃんとのそれには慣らされつつある、うーちゃんを愛しいを思い始めたちぃちゃんは、うーちゃんに「うーちゃんが好きだ」という気持ちを免罪符に何を望まれているのか、完全に理解した。
 だから、本当はうーちゃんの背中に回して、そのふわふわの黒髪と少年らしく肩幅が狭い癖にしなやかで筋肉質な白い背中を撫でたいという気持ちを押さえて、手を掛けさせられている脚の付け根を押さえつけるようにして、膝を曲げた自分の脚を限界まで大きく開いた。
 うーちゃんの熱がずっとすり付けられてる粘膜の花を大きく開いてうーちゃんの動きに合わせて揺れていた腰を畳から浮かせて更にすり付け、長い睫を伏せ、艶っぽい吐息を吐く綺麗な顔と目と目を合わせて言った。

「好き……うーちゃんすき、あげる、ぜんぶちょう……だ……っ!」

 ちぃちゃんの叫んだ言葉は、溶けた蜜洞に一気に突き込まれた熱に圧迫されて最後まで言葉にならなかった。

「あぅん、ちぃちゃん……ちぃちゃん好き! 大好き!!」

 その代わりに、うーちゃんが感極まったようにそう叫んで、慣らす間もなく大きなストロークで腰を振り出した。
 濡れてはいても広げられてはいなかったちぃちゃんはびっくりしたし、痛いと思ったし、やっぱり怖いと思ったけれど、あったかい大きな手に背中を撫でられると――うーちゃんが綺麗な顔をしかめて、形の良い唇から小さく舌を出して喘いだり、睫を伏せて美しい曲線の喉がぴっちの早い呼吸を刻むのを見るうちにどうでも良くなって来て。
 どころか、うーちゃんが自分の身体で気持ち良さそうにしていると思うだけで、上からも下からもどうしようもなく涎が垂れて、ぬちぬちと濡れた音がする空洞を満たす物を、お腹に力を入れてきゅっ、きゅぅと締め付けた。
 まるで、ちいさいそこでうーちゃんを懸命に抱きしめようとするかのように。

「……ぁ、ちぃちゃん、ちぃちゃん……ごめん、ちぃちゃんっ!!」
「うーちゃん、うちゃん……すき……して、もっと、もっと」

 もっとと好きを繰り返しながら、きゅう、きゅうと何度も何度もうーちゃんを締め付けて、細い脚をうーちゃんの腰に絡めた。
 謝らなくていいよ、いくらしてもいいよ、気持ちいいよと伝えたくて。お腹の中にあるモノも、うーちゃんも愛しいんだと。
 うーちゃんは、ちぃちゃんの腰を大きな両手で掴んで何度も何度もごめんを繰り返しながらガツガツとちぃちゃんを突き上げて、ぶるりと獣みたいに震えて果てた。
 それより先に何度も何度も気持ち良くなって、殆ど朦朧としていたちぃちゃんは、中でぶるぶると震えて熱を注ぎ込んで来る感触と、お腹の奥を目一杯に広げていたモノが抜き去る感触に、ふぁと小さな声を上げて、涙を一つ零した。

「ちぃちゃん――」

 熱っぽい息しか上げられないようになったちぃちゃんの唇を貪って、横に転がったうーちゃんはちぃちゃんを抱きしめながら何か言ったようだったけど――ちぃちゃんには殆ど聞き取れなくて、ただ、うんと頷いてうーちゃんを抱きしめた。
 もしかしたら、うーちゃんがちぃちゃんを抱きしめたのかも知れないけれど。
 でも、どっちも同じことだな、と、疲労と眠気にうとうとしながらちぃちゃんは思った。
 今まで、そんな風に思ったことなんてなかったのに。
 
> 蛇足編 > ちぃちゃんの話 > 4
4
「――ちゃ、ん」
「うーちゃん……?」

 小さく呼ばれた名前に、ちぃちゃんは、うっすらと目を開けた。
 ぼやける視線を何度も瞬きして凝らすと、ちぃちゃんの頬に一つ、ぽろりと涙が零れる。

「あぁ、零れちゃった」
「……ん」

 それをぺろりと舐められて、ちぃちゃんは自分の目の前にある綺麗な顔が、うーちゃんのものだと分かって、ちぃちゃんは珍しく――本当に珍しく、赤ん坊のようにへんにゃりと笑ってから、小さく首を巡らせた。
 うーちゃんを抱えて撫でていた筈のちぃちゃんは、うーちゃんの横でいつの間にか子猫のように丸くなって眠っていた。
 それを、いつの間にか目を覚ましたうーちゃんが、抱えるようにして、ずっとちぃちゃんの顔を見ていたらしい。
 ちょっと頭を上げてみると、横になったうーちゃんの向こうにある、カーテンの掛かった窓の外はまだ暗くて。
 それがちぃちゃんには不思議で、思わず首を傾げ眉間に皺を寄せてみた。
 いつもうーちゃんはこうなると、朝になるまで手足の自由が利かない様子なのに。まだ暗い今、ちぃちゃんの身体に腕を回して添い寝している。
「……」
「うん、もう元気だよ?」

 ちぃちゃんがちらと物言いたげに視線を合わせると、うーちゃんはそう言って肩を竦めて悪戯っぽく笑う。

「……」

 ちぃちゃんは一層不機嫌な顔で眉間に皺を寄せ、非難を込めてうーちゃんを睨み、自分の肩の上に置かれたうーちゃんの手を両手で掴み、力一杯爪を立てた。

「ふふっ、ちぃちゃん。いたぁいよ、爪の跡ついちゃう」
「……」
「僕はちぃちゃんに貰える物はなんでも嬉しいけどさ」

 そう言ううーちゃんの手は、どんなに力を込めても、指先一つとして、ぴくりとも動かない。
 それにちぃちゃんは益々眉間の皺を深くして、うーちゃんの手を口元に引き寄せて、がぶっと噛みついた。

「だぁめだよ、ちぃちゃん、ばっちぃよ」
「……んぐ」

 そうは言うものの、うーちゃんはクスクスとくすぐったそうに笑うだけで抵抗も何もしなければ、空いた方の手でちぃちゃんを諫めようともしない。
 ちぃちゃんは力一杯顎に力を加えたけれど、それも長くは続かなくて、ついに口を離して、ベッドの上に俯せに突っ伏した。
 普段、そうすると子猫か何かにそうするように、ちぃちゃんの頭や背中を撫でる手は、今日はやっぱりだらりとシーツに落ちている。

「……ちぃちゃん、ご機嫌斜め?」
「……なんで」
「ん?」
「うーちゃん……腹筋、だけ……」

 うーちゃん、腹筋だけしか動かないでしょ。
 と、そう言う代わりに、ちぃちゃんはシーツに額をすり付けてうーっと唸るように息をついた。
 そのちぃちゃんの上に、いつもの手のひらの代わりに、こてん、と、俯せに寝返りを打ったうーちゃんの胸と頭が乗っかった。
 昔は重たくてちぃちゃんを全身で包んだその体温は、今はちぃちゃんとほぼ同じ位置で、ちぃちゃんの上に重なる。

「うん、僕はちぃちゃんの為なら何ぁんでも出来るんだよ」

 ちぃちゃんの旋毛の上に乗ったうーちゃんの額は、愛しくてしょうがない動物にするかのように、スリスリとすりつけられた。

「……」
「ちぃちゃんがちぃちゃんなら、僕はなぁんでも出来るからいいの」

 ちぃちゃんは、どうしても何でも十代のうちに言い飽きて、もう完全に擦り切れてしまっていたので「そう」とだけ言って、蛇のようなうーちゃんにのし掛かられたまま、また目を閉じた。

「……ちぃちゃんがいるから、僕は僕なの」

 ちぃちゃんの上でほうと溜息を付きながら、うっとりとちぃちゃんが呟いた言葉は、安心と人肌の温度で再びうとうとし始めたちぃちゃんには届かなかった。
 
> 蛇足編 > うーちゃんの話
うーちゃんの話
 
> 蛇足編 > うーちゃんの話 > 1
1
うーちゃんが眠るちぃちゃんに話しかける形で進みます。
がっつき過ぎというか、ヤンデレ度を高めようとして変態度が高まってるのでご注意下さい。
 ……、ん。
 あーもう、まだ動けないみたい。
 ってことは……始まってから、余り時間が経ってないのかな。

「ん……っ」

 あぁ、良かった。ちぃちゃん居た……。
 ちぃちゃん、ちぃちゃん、眠ってるの?
 ねぇ、今日もちぃちゃんが僕を綺麗にしてくれたんでしょ? ね、ね、そうだよね。
 ……ちぃちゃん、泣きながら寝ちゃったの? ほっぺた、涙の跡がある。
 ちぃちゃん、ごめんね。ちゃんとご飯は食べられた? 今、怖い夢を見ていない? ……眠ったままで聞いていて。また、長いお話をしてあげるから。
 あのね、僕ね、脱皮だったんだ。
 ちぃちゃんに説明しないのはさ、どう言っていいのか分からなかったの。
 それに……こういうの、余り知られたくないんだよね。
 んもう、だって恥ずかしいじゃんか。脱皮なんて普通の人は絶対にしないもん。……だって、ちぃちゃんはまだどっかで信じてるでしょ?
 僕がただの、発育の悪くて、頭のおかしな、ちぃちゃんのお母さんにヤなことをされた、親戚のおにーちゃんか、赤の他人だって思いたがってる。
 世界が滅びたって言ってるのにねぇー。ちぃちゃんのお馬鹿さんっ。
 ふふっ、僕、ちぃちゃんに一人で生きて
 あーぁ、ちぃちゃんのほっぺたツンツンしたい。……もう、なぁんで手と足に感覚が無くなるんだろう。
 ……これじゃまるで、芋虫みたいだ。いや、本当の蛇になったってことなのかなぁ……僕、ウロボスだから、ね。
 ちぃちゃん、ちぃちゃんは今日もあったかいんだよね。ふふっ、知ってるかなちぃちゃんは。見た目は僕よりもうんと大人になったのに、寝てる時は赤ちゃんみたいにあったかいんだよ。
 ねっ、ほっぺたにほっぺた付けてもいいかな? いいよね? ……あぁ、あったかい。ちょっとしっとりしてて、それで、少しだけシャンプーのいい匂いがして――僕の、ちぃちゃんだ。
 んっ……腕、回せたかな。あーぁ、早くぎゅうっとしたいなぁ。ちぃちゃん、起きないかなぁ。
 ……こうやって僕の横であったかくなって寝てるちぃちゃんも好きなんだけどね。やっぱり脱皮の後はぎゅっとしたいなぁ。
 不安なんだもん……脱皮の前と後で、僕が僕じゃなくなったり、違う僕になってそうで。
 あのね、蛇と違って身体の皮膚が剥けたりはしないけどねぇ、辛いものなんだよー、怪人の――僕の、脱皮って。
 手足がジンジンと痺れてね、感覚が無くなって突然床に倒れるの。それで全身がゾワゾワしてねぇ……いつからだろう、ゾワゾワが溜まって腰の辺りがジンジンするようになってきて。
 それで、意識や視界が、回ってる途中のフィルムの端をいきなり火で焼いたみたいにじわじわとどっかに行って、世界が真っ暗になってね。
 終わってみたら……精液だっけ。脚の間とお尻の辺りがべったべったに濡れていて。それを一人でふき取る時、僕はとっても情けなかった。十歳にもなってお漏らししたみたいで……博士はそれを何処かで見てるんだって気付いたら余計に恥ずかしかったの。
 あのね、動けるようになった途端、ドアから博士が入って来てね、何も言わないで着替えとタオルを置いていくんだ。何にも言わないで、目も合わさない。「ちゃんと分かっているわ」って態度で……酷いよね。
 そ、僕、この大きさになったのは十歳の時なんだ。ちぃちゃんはその頃五歳だよね……きっと、さぞ可愛かったんだろうと思うと、また胸と……性器かな。ドクドクするね。生きているみたいだ。

「んん……っ」

 ふふっ、ちぃちゃんに伝わっちゃったかなぁ。ドクドクって。ちぃちゃんが好きって、欲しいって、ちぃちゃんより熱くなってるの。
 でもね、ちぃちゃんがいつも身体を開いて受け止めてくれるから、前みたいにドロドロに戻したりしないんだよ。起きたらべちゃべちゃになってたってこともない……いつか、ちぃちゃんにね、全部話せる時が来たら、僕のゾワゾワをどうにかしてくれないかな。
 あのね、あの、前みたいにね口でね、咥えてて欲しいの……こんな風に……っあ! ごめん……ちぃちゃんを汚す気なんてなかったのに。……でちゃった。
 ふふ……でも可愛い。ばっちくても綺麗なちぃちゃん、とても可愛い。ちぃちゃんは綺麗。僕に汚されれば汚されるほどちぃちゃんは綺麗。綺麗でいやらしい。
 ……ちぃちゃんの身体は凄いね、ほっぺた擦りつけただけでドキドキしちゃう? 腰が動いちゃう? 寝てるのにねぇ……やらしぃなぁ。
 あーぁ、もう動いてよ両手も両脚も。ちぃちゃんのおっぱい、むにってして、細い腰に両脚を回してぎゅってしたい。
 一杯舐めて、匂い嗅いで、あと、あと……入れたい。ちぃちゃんに。
 やらしくて可愛いちぃちゃんを、一杯一杯欲しい。
 ちぃちゃんはどこもかしこも柔らかいし――それに、凄いね……。
 だって、ちぃちゃんの身体の主は、二十八年間、僕の名前を上手く呼べなくて俯せになって泣いていた頃からずっと、ちぃちゃんなんだもん。
 ぷにぷにってした頬も、んく……んちゅ……こんな甘い口の中も、お腹の中も、その奥も、みんなちぃちゃんのものなんだもん。
 ……ちぃちゃん、なんだもんね。このうねって僕の指を飲む込む所も、肌に浮かぶ汗も。
 腰の辺り、シーツとシャツの裾を濡らしてる、このねちょねちょしたのも……動けるようになったら舐めていい? いいよね。ちぃちゃんは僕のちぃちゃんだもん。
 僕、僕はねちぃちゃん……五歳の時はそうだったけど、今ではもう、時々分からなくなるんだよ。どうやったら自分が自分の身体の主だって、身体に分からせることが出来るのか。
 僕が僕――ウロボスであるのは、ちぃちゃんが居るからなんだよ? 今からその、話をするね?
 ちぃちゃんはそのまんま、眠っていていいよ。僕は勝手に一杯話して一杯舐めて、ちぃちゃんを味わうだけだから。
 僕はそれこそ蛇のように、ちぃちゃんの過去も今も未来も飲み込んでしまいたいと思っているけど――食べちゃいたいくらい可愛いと思っているけど、ちいちゃんが僕にそう思う必要なんてないんだから。
 
> 蛇足編 > うーちゃんの話 > 2
2
王様云々は、某漫画から着想を得ています。
この状態のうーちゃんは結構なキメラアント状態でして。
 あのね、ちぃちゃん、僕はね、思うんだ。
 生きるっていうことは――命を得て、自分の身体を自分の意のままに操るということは、その肉の器の何処かにある王座に座って、王冠を頂くことなんでないかと。
 そういう意味ではね、僕は、二度の戴冠式に出席したことになるのかな……五歳の僕は、身体を奪われて、みんなが安心して座っていられる王座から、引きずり降ろされてしまったんだ。
 その後は、僕の中に起こる嵐にかき回されながら、熾烈な王座の争い。あのね、ちぃちゃんのお母さんがね――博士がね、あんまりに欲張って、色々な物を僕に合成したからね、僕が分からなくなってしまったの。
 最初の五年、僕の頭にあった王冠には『僕』の名前と、男の子であることと――ただの、混じりっけの無い人間であることが書かれてた。
 でも、それはドロドロのぐちゃぐちゃに踏みつけられて、何だか分からない形になってそれで――どっかに行ってしまったの。
 だから、王座の下に広がる混沌の中で、僕は熊だったし蛇だったし、狼だったし狐だったし……鮫や鯨になりかけた時もあったかも知れない。
 あの頃の事は曖昧でね、上手くさ、言えないんだけどね……なんていうか、複数の動物の頭がある一匹の生き物になった感じだった。 なのに、身体は一つ――しかも小さな男の子の分しかないからね、沢山の頭のそのうち、どれかが目を覚ますとね、あとの全部は意識が薄くなるの。
 でも、あいつらは狡いんだ。
 あ、あいつらってね、僕の他の頭のことなんだけどね。
 あいつら、痛い注射や点滴の時にだけ、僕を前に押し出すの。だから僕は痛いことを一杯された。でも、痛くて気絶したらまた他の奴らに変わられちゃう。
 そうして、変わったあいつらはね……えぇと、なんていうかな、けだものだから、さぁ。
 人に噛みついたり、引っ掻いたり、涎垂らして唸ったり――なんてまだ可愛い方で。
 どうやら、その辺に糞尿を撒き散らしたり、いきなり服を脱ぎ出したり……人間だったら恥ずかしいこと、一杯していたみたいなんだ。僕のこの身体で……僕の顔で。
 それでさ、あのけだものども、けだものらしくずる賢くて、捕まって首を絞められたり、動物にやるみたいにして、遠くから麻酔針なんかを打ち込まれた時に限って、僕に変わるんだ。
 まるで僕が、今まで理性を失って、けだもののフリをしてたみたいに……酷いよね、ねぇ。
 まぁ……今はみんな居なくなっちゃったから、責めることも出来ないんだけど。
 だから僕は、点滴や注射の時以外は、外側の皮ベルトで着せたまま両手を縛れる袋のような服や、ベッドについた鎖なんかで、誰も居ない部屋で首以外動かせない状態で転がされていたみたい。
 ……あーっ、やぁだな。思い出しちゃった。どーしよう、あの頃の記録と形跡、みんな爆発したと思うんだけど。どうしよう、ちぃちゃん、アレを見たら僕のこと、嫌いになっちゃうかも。
 お願い、お願いだから嫌いにならないでねちぃちゃん……! 今の僕は、そんなこと絶対にしないからっ。
 そう、僕は、ちぃちゃんが居れば僕で居られるんだから……大丈夫、大丈夫だよね。
 あのね、僕はね、青あざだらけになった腕に新しい注射を打たれながら、試験管の向こうからにやりと口を歪めた博士を見ながら――あぁこれは、僕の中に居た誰かの記憶かも――とにかく、自分の知ってる単語を呟き続けることで、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にすることでそれに耐えたよ。
 知ってる単語を組み合わせた言葉遊びだったりね、頭に浮かんだ名前を組み合わせて長い名前を唱えたり。
 でもね、最初に一杯あった言葉はどんどん消えてったんだ。
 そうしたら、最後に一個だけ残ったのが、人の名前。だからそれをお守りとして、僕は何度も何度も唱えた。
 それは、僕の唯一の財産で、だから、僕の全部だった。

「ねぇ、ちぃちゃんはどこ? ちぃちゃんってだれ? 教えて博士」

 って、馬鹿みたいに何度もなんども。それでも痛いのに慣れて、やがて、眠くなってしまう。
 そうなったら、僕は怖くて仕方なかった。次に目覚めた時も、僕は僕なのか、もしかしたら、ずっと覚えている「ちぃちゃん」って言葉も忘れてしまうんじゃないかって。
 だから、意識が薄れる度、何度も何度も、誰かに願った。それは自分だったかも知れないし、他の奴らにかも知れないし、神様にだったのかも知れない。
 何せあの頃僕は、君の名前しかね、それが名前ってことも分からないくらいたったのにね、知らなかったから。

「お願いです、ちぃちゃんのことを教えて下さい。ちぃちゃんを僕からうばわないでください。次に目覚める時も僕は僕でありますように」

 ――でも、僕は、何て名前だっけ。僕が支配しなくちゃいけない僕の身体は、何て名前なんだっけ。
 ある時ね、そんな風に思ったのが良かったのか、それとも僕がいよいよ駄目だと思った博士が無理に別の腕に挿した点滴の薬が良かったのか、沈んだ僕は夢を見た。


……ちぃちゃんの、夢を見た。
 
> 蛇足編 > うーちゃんの話 > 3
3
『ねぇ、いってみて、――って。――だよ? いってごらん?』
『……あーぅ?』
『ちがうよぉ! あのね、――! ね、もっかい! いってよぉ、ちぃちゃん!!』
『――君、無駄よ。千尋はまだ、喋れないわ』
『やぁだよぉっ!! ぼくがおばさんと、とーくにいっちゃうまえによんでほしいんだよーっ!!』

 夢の中で僕は、何処か懐かしいような感じのする部屋の中に居た。そこには研究所のように白い壁とベッドがなくて、研究所より天井が低い。僕の視点は、その低い天井の辺りくらい。
 僕は、研究所しか知らないと思っていた。でも、僕には分かった。そこが和室って部屋で、床に敷いてあるのが畳って奴で、その上にある低い四本脚がこたつで、その横に置かれてるのは座布団で――僕はみんな知っていた。
 あのね、僕は分かったんだ、どれが何か、全部ね。今まで、忘れてたことを思い出すみたいにして。
 座布団は、こたつと並ぶようにして窓側に三つ置かれていて、その上にそれぞれ生き物が居た。
 手前の座布団には、困った顔をした博士。その隣には博士より少し小さな生き物。
 今の僕より、少しだけ小さなその生き物は、今にも泣きそうな顔をして、自分の後ろに居る博士を見上げていたよ。
 そして、小さな生き物におばさんと呼ばれている博士は、その小さな生き物がもっと小さな生き物をあやしているのを見守っている。
 その様子を――僕は見ていたんだ。他人のようにね、天井の高さから。

『うぎゃああああああ!』
『あぁっ、ちぃちゃんなかないで!』

 その小さな生き物は多分雄で、その雄が益々泣きそうに顔を歪ませながら、小さな爪でつんつんとつついているもっと小さな生き物は、むにむにした丸いほっぺたと、大きな目をしていて。ピンク色の布にぐるぐる巻かれながら、ばたばたと小さな手足らしきものを動かしながら、真っ赤になって大きな声で泣いていた。
 その力一杯の、まるでサイレンのようなその泣き声に耳を塞ごうとしたその時。

『ちぃちゃん、いいこだからなかないで、おねがいだから……』

 小さい生き物が、殆ど泣き声みたいな声を上げながら、座布団からそれを抱き上げて自分の膝の上に乗せて、ぎこちなく揺すり始めた。

「……ちぃちゃん?」

 小さい生き物は、抱き上げたもっと小さい生き物を確かにそう呼んだ。
 ちぃちゃんっていう、僕がいつも呟いてる言葉でね、僕の唯一の財産を使ってね、その生き物を呼んだんだ。

「君は、ちぃちゃんなの?」

 そしてね、それだけじゃないんだよ?
 僕が思わず口に出した言葉にね、ちぃちゃんって生き物はね――僕の愛しい君はね、天井の僕を見上げて、涙を止めたんだよ。
 君は嫌いだって言う、あの、白が多いおっきな目に涙を一杯に溜めて、小さい生き物に抱き寄せられて仰け反ったまま、君は確かに僕を見て、はくはくと口を動かしてね、そして。

『おばさん! ちぃちゃんわらった!!』
『そう、良かったわねぇ』

 笑ってくれたんだよ、君は。
 その、君が嫌いだというキツい……この目を細めて僕を見て。この可愛いくて食べてしまいたいくらい小さい唇をね、横に引っ張って笑ったの。胸がドキドキするような笑顔で。
 さっきまで泣いてたのにね、誰にも見えない、僕にも分からない僕をね、見つけてくれたんだ。凄いでしょ?
 それでね、僕は思ったの。ちぃちゃんなら、僕が誰だか知ってるんじゃないかなってね。僕が、蛇なのかほ乳類なのか、海の生き物なのか人間なのか……僕の身体の持ち主は本当に僕なのか、僕は僕に間借りしているだけの別の生き物なのか……。
 それが分かれば、僕は、僕の王様になれると思ったんだ。……ちぃちゃんが、この可愛い唇で僕の形を、その目で僕の色を、捕らえてくれたら――捕らえて貰うには、僕は、僕は何になればいい?

「ちぃちゃん、ちぃちゃん教えて、僕は――」
『ちぃちゃん、ちぃちゃん呼んで、僕の――』

 それでね、変なんだよ。僕の思ったのと同じことを、その小さい生き物も君に聞くんだ。

「誰なの?」
『名前は?』

 さっきまで情けなく泣きそうな顔をしていた癖に、期待に目を潤ませて、その小さい生き物に自分の名前を聞くんだよ。馬鹿じゃないのって思ったけどね――ふふっ、ちぃちゃん、勝手に耳借りるよ。内緒のお話。
 雄ってね、男ってきっと、馬鹿なんだみんな。いくつだって、どんなに年を取ったって――人じゃなくったって。恋を知った男はみんな、馬鹿なんだ。
 そして、馬鹿な男を救ってくれるのはね、何時だって可愛い女の子なんだよ、きっとね。どんなに真っ暗な所からでも、沢山の心がドロドロに溶けた中でも、いつでも小さな明かりになってくれるんだ。
 ……ま、明るいからこそ、自分の醜さがね、よく見えて死にたいくらいに悲しくなる時もあるんだけどね。
 でも、僕は男の子だから。馬鹿な男だから、こうやってちぃちゃんを感じるだけで、ちぃちゃんが僕を認識してくれるだけで、そんなことすぐに忘れてしまえるの。

『うー……』

 あの時もそうだよ。君はただ、自分を抱きしめる小さい生き物の腕が不愉快で小さく唸っただけかも知れない。

「ちぃちゃん、僕は……」
『ちぃちゃん違うよ、僕は――』
「うーちゃんなんだね、僕は……ちぃちゃんのうーちゃんなんだね!!」
 でもね、僕は思ったんだその時。君は僕を呼んでくれたんだって思った。


僕は僕の主で、うーちゃんなんだって、僕はそう思ったんだ。
 
> 蛇足編 > うーちゃんの話 > 4
4
またエロいです。
 それでね、夢はそこで終わって――次に目を覚ました時、僕はね、もう眠くならなかった。
 目が覚めたのは真夜中でね、僕は、ずっと見ていたよ。怪しい蛍光色の液体がね、管を通って僕のボロボロの腕の中に落ちてく所。ずっと、ずうっと。
 でもね、来ないんだ。僕と一緒にこの中に居た筈の沢山の頭が。誰も、僕に逆らわないの。居ないんだ。
 そしたら心がぱぁって明るくなって、まだ暗いのに部屋の中がよく見えるようになってね。――そして唐突に閃いた。
 何で眠くならないのか、怖くないのか。
 僕はまた、王座に戻って来たんだって。他の奴らを取り込んで、僕は僕として僕の主に返り咲いたんだ。
 ぜぇーんぶ、ちぃちゃんのおかげ。ちぃちゃんが居たから、僕は僕になれたんだ。それが分かって、僕は膝を抱えてね、それでニィっと笑ったの。
 ――ちぃちゃんが、欲しいと思った。
 僕の王冠、僕の星。僕の形を教えてくれる人。身体を無くした、僕の唯一の財産。僕の物。ぜぇんぶ。
 どうやったら手に入るのか、考えると全然眠くならなくて、ほっぺたが痛くなるくらい笑い続ける頃、天井の明かりがついた。
 新しい朝がやってきた。
 それでね、朝一番に、僕の様子を見に来た博士にね――小さい生き物のおばさんにね、僕は言ったんだよ。

「博士、ちぃちゃんと僕を見つけたよ。僕はうー、ちゃんだ多分」
「ええそうね……あなたの殆どは蛇で安定したみたい――会えて嬉しいわ、私のウロボロス」
「うん、ただいま、おばさん」
「……記憶が混乱してるのね。私に身内は娘しか居ないわ」
「あれ、僕は博士とお話したことあったのかな?」
「さぁ? 奇声を発して噛みついた事はあったけれど」
「えー、覚えてないや」
「……」

 博士は僕が起きていることには驚いたみたいだったけれど、後はもういつも通り。一言二言を話したら、僕に目をくれず、僕や、ベッドに繋がっている機械の数値を見るばかりで、ついに相づちを打つことさえしなくなった。

「ねーえー、はかせー」
「……」

 しかも、折角聞いてみたいのに、博士は顔を上げてくれない。だから僕は、ベッドの上で胡座をかいて、ユラユラと膝を揺らしてみた。
 身体は、初めて僕の思い通りに動いた。今まで手足に鉛が詰まってるみたいだったのに。
 試しにベッドに立ち上がってみたら、初めて博士の背中の向こう側が――今まで、博士やベッド横の機械の陰になってて見えなかった机に置かれた写真立てが見えたけれど――夢の中のちぃちゃんそっくりの顔をした、へちゃむくれた女の子の写真が見えたけどね。
 あのね、ゆらゆらしてすぐに脚から力が抜けて、お尻からベッドに転んでしまったんだ。

「あはは、全然立てないよぉ、へーんなの」
「……」
「ね、博士――ちぃちゃんは、僕のお嫁さんは元気かな?」
「……なんの、ことかしら」
「えーっ、約束したじゃん。ちぃちゃんをお嫁さんにしたげるって」
「……思い違いじゃないかしら。ウロボス、まだ眠くないんだったら、これからお薬を飲みなさい」
「はぁーい」

 博士はそう言って、何かをメモしていたノートを畳んで立ち上がると、すぐに部屋を出てってしまった。
 そうして僕は、きっかり三秒を数えたあと……くくく……ははは……嬉しくて笑っちゃった。
 だってね、僕はね、ちぃちゃんをお嫁さんにするだなんて、そんな約束した覚えはないんだよ? でも僕は見たの。ちゃんと見えた――博士が、僕がそう言ったとき少しだけ、浅い呼吸をして体温を上げたの。

 くくく…っ、馬鹿なんだから博士。ばぁか。
 自分でちぃちゃんを捨てた癖に、ちぃちゃんを捨てきれなかったから、こうやって僕に取られちゃったんだ。
 あのね、ちぃちゃんのお耳に、また内緒のお話ね? 
 ――見えるんだ、僕にはね、人間の心がね。僕、人じゃないから。
 ちぃちゃんと結婚の約束をした、本物の「従兄のうーちゃん」じゃあ、ないから。それっぽく復元した、別の生き物だから。
 ちぃちゃんの嘘や本当も――この柔らかいおっぱいの下の心臓が教えてくれるし、このちんまいお鼻も、可愛いお口も……んふ。みんなね、僕の身体に見せてくれるよ。ちぃちゃんの心を。
 あのね、だからね、嘘つきな博士が僕に教えたんだ。ちぃちゃんが僕の物で、僕のお嫁さんだって。
 ちぃちゃん、ちぃちゃん、僕のこと好き? 好きだよね? 僕、ちぃちゃんに僕を全部あげたんだもん。
 あのね、ちぃちゃんちいちゃん……愛してる。
 っぁ……くくっ、ちぃちゃん感じちゃったぁ? 僕に、耳、ぺろっ、はむってされて?
 やらしぃー。好き? 僕のことそんなに好き? ね、こんなことしても寝てるくらい好き? 嬉しいなぁー。
 ねーえー、僕にもっともっと一杯ちょーだい、可愛い可愛い、僕のお嫁さん。
 眠ったままでいいからさぁ、もっと脚を開いて。お腹の奥で僕のことぎゅーってして。僕の形を教えてよ。
 そう……いいこいいこ。おっぱいも、アソコもほっぺたも、脚も、お尻も。僕の形を覚えて受け入れて、教えてちぃちゃん。
 僕が何なのか、どれだけ僕が好きか、君の中にどれだけ僕が残っているのか、ナカに僕の出されるとどんな気持ちか。

 ふふっ、ねぇ、僕は馬鹿な男だからね、こんな風に思うの。ちぃちゃんの中に取り込まれてちぃちゃんと一つになってしまいたいって。
 出来るならね、僕を一度ドロドロに溶かして、全部ちぃちゃんの良いように作り直して欲しいんだ。
 あの日――君が、僕に、名前を付けてくれたみたいにして。あの日、君がお母さんの前でいやらしい子になってみせたみたいに。
 僕が、君と一つになって、ドロドロのぐっちゃぐちゃにして、『脱皮』の時と違って、初めて自分の意志で気持ちよくなったように。

 ――全部、作り直して欲しいって。僕が壊しちゃった、この世界と一緒に。
 んふふっ……よぉし、決めた。次に『脱皮』する時は、ちぃちゃんに握ってて貰おうねっ。僕が、僕を見失わないように。
 んっ……も、限界かも。いっぱい出ちゃったらごめんねちぃちゃん。
 好きだよ、大好き。愛してる。一生、一生大好きだよ。
 世界が終わるまで――当然だよね、僕らが死んだその時が、この世界の終わりなんだもの。


 ねー、まるで絵本の中みたいだねぇ。僕とちぃちゃんだけが登場人物で、だぁれもいない。
 だから、二人で、二人だけの世界で、一生、幸せに暮らして行こう? ね?

 世界の終わりまで。
 
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