> わたくしとロメオ様のこれまで > 1
2013年 11月11日
例によってヤンデレです。
 全ての始まりは、或る、気持ちの良い春の朝に期せずもたらされた報せでした。
 ――昨晩、私の恋人が死にました。

 お父様にもお母様にも、女学校の友人にも、誰にも内緒の秘密の恋人でございました。
 私は彼の、彼は私の、秘密にして唯一無二の、互いを互いの半身と呼び合う程の。
 秘密の恋人でありながら、何時公にされても何ら疚しいことのない、仲むつまじい恋人で同士で御座いました。

 ――ですが、私は愛しい彼が死んだということを、彼が死んだ翌朝に、自宅のサンルームにて知ったのです。
 嗚呼何故、こんな残酷な巡り合わせてとなったのでしょうか。

 昨晩、約束の通りに訪れて下さらなかった彼を詰りながら眠りについたのがいけなかったのでしょうか。
 本気で恨んだ訳ではなかったのに。


※ 

 それは、開いた両開きの窓から僅かに吹く風に、土の臭いと朝霧のざらつきが未だ混ざったような、朧気なる春の朝、朝食の席でのことでした。

「そういえばね、昨晩佐々木の所の書生で……あぁ、確か常磐ときわと言ったかな。屋敷から抜けだそうとして木から落ちて亡くなったらしい。何でも、運悪く落ちた所に片付け忘れて幹に刺された鎌があったそうで。こう、鶏のようにばっさりと、ね」


 目を通していた新聞を閉じたお父様が、お茶目に片目を瞑ってみせながら、今日もしっかりと締めたタイの上から、親指で首を左から右に撫でたのと、お母様が「あなた!」と非難のお声を上げたのと。
 私が、持ち上げたばかりの、父が知人から貰ったという紅茶の入ったカップを取り落とし、真っ白なレエスのクロスを茶色く染めたのは、ほぼ同時のことでした。

 生意気にも西洋式に、ねえやに買わせたパンと、輸入して挽いている珈琲との朝食。その匂いに、一気に鉄さびの臭いが混ざったような気がし、私はそのまま部屋へと駆け戻り、寝台へと潜り込んで延々と泣き崩れ、ついにはそのまま気を失い、眠りにつきました。

 扉の向こうから様子を尋ねたお母様とねえやは、私がお父様の話に気分を悪くしたのと、冬から春という今の季節の変わり目での不調が合わさって貧血を起こしたのだろうと言いました。

「さくらや、お医者様を呼ぼうか?」
「いいえ、いりません」

 扉の向こう、そう言うお父様、お母様の言葉に寝台の中で首を振り、私の秘密の恋人が天上の人となったその日から丸二日日。
 私は、昼はぼうっと天上を眺め、そのうち日が暮れ、いつも彼が尋ねて来て下さった夜半になると、もう辛抱溜まらず、溺れるかのように泣き崩れて過ごしました。

「常磐様、常磐様が……私のロメオさまが、いなくなってしまった。わたしを置いていってしまった……」

 常磐様。私は、あなたのジュリエッタは、あなたが私を置いて主様の所に行ってしまうこの日まで、あなたが水木様というお名前であったことさえ、お父様のお知り合いの、士族上がりの学者様の書生であったことさえ知らなかったのです。




「前にも言ったように、僕の名前はいつか、学問で身を立てて、君に妻問いする時に名乗ることにするよ。それまでは、君の名前も聞かないでおこう。もしもうっかり呼んでしまったなら、きっと僕は、今日初めて許された、この夜半の逢瀬だけでは満足できなくなるだろうから」

 ええ、確かに。
 初めて手紙では無く直に言葉を交わしたその時に、そう最初にお約束を立てた私達です。
 でも、その日の私は我が儘で、いつのなら聞き分け良く頷くことにさえ首を振り、私と彼の間とを隔てる、自室のカーテンの裾を握ってこう言い返しました。

「……ですが、それ以外に何の約束も無い、『あなた』と『お前』以外に呼び名が無いというのはあんまりにも不便というものです。路傍の草にさえ、一つ一つの名前があるというのに」

 だってその日、私のロメオ様が、狭い庭へと面した二階にある私の部屋のバルコニーから、私を訪ねて下さったのです。
 それを殆ど古代の妻問いのようだとさえ思ったから、私も意固地になってそんな反論をし、改めて、彼の名前を聞いたのです。なのに。

「そうだな……では、僕の次の呼び名はロメオとしよう。ねぇ、どうだろう、僕のジュリエッタ」

 私達の秘密が知れること――そも、それを避ける為に互いの名を知らぬままの恋人なのです――どころか、婚姻前の娘の所に通うという、己の品位を疑われる危険あえものを顧みず。
 わざわざ書生先を抜け出して私に逢いに来て下さったというのに。
 ですのに、私の常磐様――ロメオ様はそう言ってはにかみ、部屋に入り込むどころか、カーテンを開けることもせず、その隙間から、一冊の未だ紙の匂いが残る、装丁されたばかりの洋書を差し出すだけでした。

「ほら、この本をご覧。ジュリエッタというのはね、今読んでいるこの本に出てくる娘の名前なのだけどね――その相手役がロメオと言って。一目で恋に落ちた二人は、こうして密かに逢い引きを重ねるのだそうよ」

 ちょうど、今日の僕のように窓から忍んでジュリエッタの家を訪ねたりなどして……と、そこまでを聞いた私は、ついに辛抱が出来なくなり、本を差し出すロメオ様の手だけでなく、そのお顔も見たいと、はしたなくも、己から部屋のカーテンを一気に引いて開きました。

「――そう、まじまじと見るもんじゃないよ、ジュリエッタ」

 閉じた本に長い睫の影を落とすようにはにかんだ私のロメオ様の顔は、窓から見えないように明かりを絞って床へと置いたランプ越しの光でも、真っ赤に染まっておりました。
 私はそのお顔を見て、「あぁ、やっぱりこの方は、いつも渡して下さっていた恋文通りの殿方だ」と、初めて違いに言葉を重ねた時から繰り返し思うことをまた思い。
 互いに立ったまま窓越しに、互いの手と手を握りあい、寝間着にしている浴衣の中からでも震えが伝わりそうな程に、胸を高鳴らせたものでした。
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