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朱を交わらせ君が為
> わたくしとロメオ様のこれまで > 4
4
最初は手紙の上だけで、だけれど次第にどちらともなく、長机の向かいに座ったままで、互いに本の内容を必死で目で追ううちに思わず呟いたという体で、互いの名前を呟くようになり。
そのうちに、向かい合っていた二人は長机の右と左に揃って並ぶようになり、本に夢中で気付かないふりをしながら、わざと互いの肩をぶつけ、膝をぶつけ、立ち上がる際に着物の袖や学生服の裾で違いの頭を掠めてと、何かに付けて偶然を装って触れ合うようになりました。
それらは、端から見れば破廉恥な行いに見えたでしょうが、互いに知ったことではありません。何故なら私達は、ただ互いに熱中して本を読んでいるだけなのだし、私達が読む本の中で、恋人同士というものは、我が国の文学の中であってさえ、時に一夜を共にし、時に情熱的な接吻さえもを交わすものなのですから。
それらと比べたのでしたら、高窓から午後のお日様が照る、飴色に磨き上げられた長机に並んで座り、互いの膝に気付かない振りをしてお日様よりもぽかぽかと熱を持つ互いの手を置いて休ませ、時折相手を慰撫することも。
示し合わせて本を探しに出て、狭い書架の間で高い棚と棚を隔てて黙々と本を探しながら、本の間から互いに声を掛け合うことも、まぁなんとも健全なお付き合いであることでしょう。
そうした図書館での小さな逢瀬を重ね、次には人の来ない路地裏や、打ち捨てられた屋敷の壁の裏側など、互いに秘密の場所を探しては声を掛け合い、手を繋いで並んで座り、志を同じにするかのように語らい、元々が一つであったように抱き合い。
初めて接吻を交わし、別れ際に「いつでもあなたに会いたい」と、はしたなくも欲深い願望を私が漏らし、彼が了承したあの日。
開いた窓のこちらと向こうで、初めて果たした逢瀬で呼ばれてそれ以来、ずっと呼ばれるようになったままのジュリエッタとなったのです。
図書室で違いの膝をつつき合い、月夜の下では窓に腰掛けた彼と、窓に面した机の椅子に腰掛けた私とで、彼の手ほどきを受けながら珍しい洋書を読み合い、互いに忌憚なく感想をぶつけ。
時に意見のぶつかり合いから険悪になり、それでも最後は笑って――私はきっと、近い将来に彼とこんな家庭を築いていくのだと信じて疑いませんでした。
「次の秋に大学に受かったならば、きっと君のお父上の学部に行くよ。そうして、物語のロメオと違い、僕は僕のジュリエッタを永久に幸せにするんだ」
そういって私の額に控えめな接吻をして二階にある私の部屋から危なげなく窓を降り、手を振り裏門を出て行った彼がもう居ないだなどと。
つい数日前に頂いた接吻の温かさも、髪を撫でる彼の、私と比べて骨の多く大きく、それでいてひんやりとした手が耳たぶに当たる感触も残っているのに。
こうして机の中から取りだした彼から頂いた手紙の束には、未だに彼の焚きしめた香の匂いが香っているというのに。
――なのに、彼は居ないのです。私のロメオ様は、もう私を、ジュリエッタを呼んでなどはくれないのです。
――私が、離れたくないなどと我が儘を言わなければ、私のロメオ様は木から落ちて、己の首と胴体を分かれさせないで済んだのです。
私は、ジュリエッタのように、ロメオ様を追って、恋に殉じて死ぬべきなのでしょう。でも、未だ、私のロメオ様が死んだなどと、私は信じたくないのです。
ですから、死ぬことも叶わないまま、かといって生きるとはどういったことかを忘れたまま、私はただ、締め切った部屋で泣き崩れて過ごすだけなのでした。
※
お部屋へと籠もった三日目の朝――、いよいよお父様が呼ばわったお医者様の診察を受けました。
幼い頃からお世話になっている、大学病院に勤めるお医者様は、「きっと、季節の疲れが出て心身共に不安定になったのでしょう。お嬢様くらいの年頃にはよくあることです」と優しく言って、気分の落ち着くお薬を下さいました。
そうして頂いたお薬がよく効いて、何とも目を開けていられない程に眠くなって再び床に就いた私ですが、そう大人しくも寝ていられない事態となりました。
両親が、お医者様に私が部屋に閉じこもったいきさつを、私が眠ったと思って話したことを切っ掛けに、三人はひそひそと世間話を始めました。
「――えぇ、死に方が死に方ですからね。佐々木さんが秘密裏に私を呼んで、それで検死をしたんですよ。いやはや、確かにアレは……女子どもなら、聞いただけで胸を悪くするかも知れない」
そうして私は聞くともなしに聞いた世間話は専ら、私のロメオ様のお話で、そのお話によれば、遺体が明日にでも、荼毘に伏されてお骨にされて、数日中に郷里のお母様が引き取りにいらっしゃるというのです。
「佐々木は自分の書生だというのに、屋敷に彼を置くのを嫌がってね――何とも、今のさくらのように家の娘が泣くのだと。だから、墓の近くにある農家に小金を払って、納屋に遺体を置かせて戴いているらしい」
「しっ、あなた、もし、さくらが聞いて、また気分を悪くしたらどうするのですか」
「お前、見てごらんよ、さくらはよぉく寝ているよ」
「いえ、寝ていても声というのは存外聞こえているものですよ。あぁ可愛そうなさくら。たった二晩でこんなにも窶れて……」
それきり寝室のドアは閉ざされ、一人になった私は、またさめざめと泣き出しながら――やがて戴いたお薬に引っ張られるようにして、深い眠りへと着きました。
そうして――こんな夢を見たのです。
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