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2013年 11月11日
例によってヤンデレです。
 全ての始まりは、或る、気持ちの良い春の朝に期せずもたらされた報せでした。
 ――昨晩、私の恋人が死にました。

 お父様にもお母様にも、女学校の友人にも、誰にも内緒の秘密の恋人でございました。
 私は彼の、彼は私の、秘密にして唯一無二の、互いを互いの半身と呼び合う程の。
 秘密の恋人でありながら、何時公にされても何ら疚しいことのない、仲むつまじい恋人で同士で御座いました。

 ――ですが、私は愛しい彼が死んだということを、彼が死んだ翌朝に、自宅のサンルームにて知ったのです。
 嗚呼何故、こんな残酷な巡り合わせてとなったのでしょうか。

 昨晩、約束の通りに訪れて下さらなかった彼を詰りながら眠りについたのがいけなかったのでしょうか。
 本気で恨んだ訳ではなかったのに。


※ 

 それは、開いた両開きの窓から僅かに吹く風に、土の臭いと朝霧のざらつきが未だ混ざったような、朧気なる春の朝、朝食の席でのことでした。

「そういえばね、昨晩佐々木の所の書生で……あぁ、確か常磐ときわと言ったかな。屋敷から抜けだそうとして木から落ちて亡くなったらしい。何でも、運悪く落ちた所に片付け忘れて幹に刺された鎌があったそうで。こう、鶏のようにばっさりと、ね」


 目を通していた新聞を閉じたお父様が、お茶目に片目を瞑ってみせながら、今日もしっかりと締めたタイの上から、親指で首を左から右に撫でたのと、お母様が「あなた!」と非難のお声を上げたのと。
 私が、持ち上げたばかりの、父が知人から貰ったという紅茶の入ったカップを取り落とし、真っ白なレエスのクロスを茶色く染めたのは、ほぼ同時のことでした。

 生意気にも西洋式に、ねえやに買わせたパンと、輸入して挽いている珈琲との朝食。その匂いに、一気に鉄さびの臭いが混ざったような気がし、私はそのまま部屋へと駆け戻り、寝台へと潜り込んで延々と泣き崩れ、ついにはそのまま気を失い、眠りにつきました。

 扉の向こうから様子を尋ねたお母様とねえやは、私がお父様の話に気分を悪くしたのと、冬から春という今の季節の変わり目での不調が合わさって貧血を起こしたのだろうと言いました。

「さくらや、お医者様を呼ぼうか?」
「いいえ、いりません」

 扉の向こう、そう言うお父様、お母様の言葉に寝台の中で首を振り、私の秘密の恋人が天上の人となったその日から丸二日日。
 私は、昼はぼうっと天上を眺め、そのうち日が暮れ、いつも彼が尋ねて来て下さった夜半になると、もう辛抱溜まらず、溺れるかのように泣き崩れて過ごしました。

「常磐様、常磐様が……私のロメオさまが、いなくなってしまった。わたしを置いていってしまった……」

 常磐様。私は、あなたのジュリエッタは、あなたが私を置いて主様の所に行ってしまうこの日まで、あなたが水木様というお名前であったことさえ、お父様のお知り合いの、士族上がりの学者様の書生であったことさえ知らなかったのです。




「前にも言ったように、僕の名前はいつか、学問で身を立てて、君に妻問いする時に名乗ることにするよ。それまでは、君の名前も聞かないでおこう。もしもうっかり呼んでしまったなら、きっと僕は、今日初めて許された、この夜半の逢瀬だけでは満足できなくなるだろうから」

 ええ、確かに。
 初めて手紙では無く直に言葉を交わしたその時に、そう最初にお約束を立てた私達です。
 でも、その日の私は我が儘で、いつのなら聞き分け良く頷くことにさえ首を振り、私と彼の間とを隔てる、自室のカーテンの裾を握ってこう言い返しました。

「……ですが、それ以外に何の約束も無い、『あなた』と『お前』以外に呼び名が無いというのはあんまりにも不便というものです。路傍の草にさえ、一つ一つの名前があるというのに」

 だってその日、私のロメオ様が、狭い庭へと面した二階にある私の部屋のバルコニーから、私を訪ねて下さったのです。
 それを殆ど古代の妻問いのようだとさえ思ったから、私も意固地になってそんな反論をし、改めて、彼の名前を聞いたのです。なのに。

「そうだな……では、僕の次の呼び名はロメオとしよう。ねぇ、どうだろう、僕のジュリエッタ」

 私達の秘密が知れること――そも、それを避ける為に互いの名を知らぬままの恋人なのです――どころか、婚姻前の娘の所に通うという、己の品位を疑われる危険あえものを顧みず。
 わざわざ書生先を抜け出して私に逢いに来て下さったというのに。
 ですのに、私の常磐様――ロメオ様はそう言ってはにかみ、部屋に入り込むどころか、カーテンを開けることもせず、その隙間から、一冊の未だ紙の匂いが残る、装丁されたばかりの洋書を差し出すだけでした。

「ほら、この本をご覧。ジュリエッタというのはね、今読んでいるこの本に出てくる娘の名前なのだけどね――その相手役がロメオと言って。一目で恋に落ちた二人は、こうして密かに逢い引きを重ねるのだそうよ」

 ちょうど、今日の僕のように窓から忍んでジュリエッタの家を訪ねたりなどして……と、そこまでを聞いた私は、ついに辛抱が出来なくなり、本を差し出すロメオ様の手だけでなく、そのお顔も見たいと、はしたなくも、己から部屋のカーテンを一気に引いて開きました。

「――そう、まじまじと見るもんじゃないよ、ジュリエッタ」

 閉じた本に長い睫の影を落とすようにはにかんだ私のロメオ様の顔は、窓から見えないように明かりを絞って床へと置いたランプ越しの光でも、真っ赤に染まっておりました。
 私はそのお顔を見て、「あぁ、やっぱりこの方は、いつも渡して下さっていた恋文通りの殿方だ」と、初めて違いに言葉を重ねた時から繰り返し思うことをまた思い。
 互いに立ったまま窓越しに、互いの手と手を握りあい、寝間着にしている浴衣の中からでも震えが伝わりそうな程に、胸を高鳴らせたものでした。
 
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 ――賢明な皆様は勿論お分かりであると思いますが、ロメオ様と私は、関係の元々から、こうして夜半に違いの家を行き来するような、盛り場の酌婦と遊びの過ぎる学生のような、崩れた出会いをした訳ではありません。
 元々は、健全且つ小さな出会いと、他愛ない手紙のやり取りから始まったのです。

 新年度が始まりました昨年の秋から、家と父の職場とにほど近い、外国からの宣教師が建てた私塾から成った女学へと通い始めた私は、通学途中にある商店街の、古道具家と前で足を止めることを日課にしておりました。

 何故ならば、その古道具屋こそが、私の通う女学校や、お父様のお勤めしている大学、その隣にある予科がある小高い丘の周囲にぐるりと広がる、学生や研究者、またはそのような方々を訪ねる高貴な方々の為に整備された所謂『市街地』という場所と、その緩やかな傾斜を下りきった麓にある、農地ばかりで閑散とした『それ以外』とを隔てる丁度境界にあるからなのです。

 ここらの『市街地』というものは、街中とは比べるべくもありませんが、それでも周囲ぐるりが未だに水飲み百姓など囲うような農地と山脈とであることを考えれば、中々に立派な街で御座います。

 それらは、馬車や人力車くるまといった乗り物の便を考えた道幅の広い表通りと、昔からそこに並ぶ小間物や食べ物、そして紙や筆を扱うお店と、そこから一本入った、これまた広く、江戸の面影を残した土の道には古い塀やお堀で囲まれた、幕臣時代からある立派な平屋のお屋敷と、御一新の際に造られた堅牢なお屋敷とが並び、ガス灯の明かりも届かないような、屋敷街で構成されております。

 明と暗。
 日本建築と西洋建築。
 全く違う二つで構成されていましたが、その二つに共通するということは――そこに居や店を構えられる人間であるということは――貧農の子女とは比べものにならぬ財力なり、身分なり、学力なりを持つという証明になるのです。
 そうして、我が子を花嫁修業より先に、外国から来た宣教師の作った私塾から成ったハイカラな、歴史も浅い女学校に娘を入れようなどと考える親というのは、嫁入り前に箔を付ける必要のあるお家か、卒業後の年季奉公による学費の免除をアテにしたお家かになる、という訳なのです。
 そうして、前者の娘は、この石畳の街の何処かに岐路に付き、後者に当たるお家の子は、そも女学の寮に泊まり込むことと相成ります。

 つまり、この、『市街地』と『それ以外』を隔てる古道具屋の前を超えるということは、私の家が市街地に無く、尚かつわざわざ人力車くるまなど必要無い程の近所であるということを証明し――はて、では屋敷の子女や寮生以外で、女学生などになれる身分は――と、考えれば、私が帰る家は自ずと分かるというものです。

 ――そう、私の家は、誰が見ても明らかな程に目立ち、そして『市街地』ならばいざ知らず、『それ以外』に立つには余りにも場違いで。
 私は、それが溜まらなく恥ずかしくて、毎日毎日、この古道具屋の前から暫し動けなくなる、という寸法なのです。


 坂を下がりきったこの場所からもよぉく見える、未だ農家が多く、閑散とした田園の中に、森を背にして大きく聳える、周囲の農地や質素な平屋から頭二つほども飛び出た、灰色の雛の群れの中で一際白く背高のっぽの育ち過ぎた雛のように間の抜けた。
 平民が住むには華美過ぎて、ご令嬢が住むには質素すぎる、しかしながら西洋建築の随を懲らしたその小さなのっぽのお屋敷こそが、私の帰るべきお家なのです。

 元々は宣教師が住む小屋がぽつりと有るだけでした。だけれども、所以あって、お父様の勤める大学の所蔵となっていたソレを、お父様が大学にお勤めになる際に譲って戴き、私が幼い時に引っ越して来たのです。

 そうして、お父様が教鞭を執る建築という分野を生かして図面を引き、人夫を呼び、授業の一環として学生を関わらせ――おかげでお父様の家であることは、大学の皆様に広く知れ渡ってしまっています――近頃やっと完成し、新しく建てたのがピカピカとお日様を反射しそうな程に白い石と漆喰で出来た堅牢な、西洋式のお屋敷なのです。

 申し訳なさそうに地面に張り付く平屋の横で、森の木よりも高く、三角のお屋根を抱いて清潔そうに白く輝く石と漆喰の壁に、仏蘭西から取り寄せた、花のような色ガラスが填った両開きの格子窓。

 石作りのお屋敷は、真ん中に塔を抱いた二階建てで、まるで海辺の灯台のように、遠くからでもよく目立ちます。
 小高い丘の上にある、女学校の窓からでさえ。その横の川を挟んで御座います、お父様の勤める大学から、その隣の予科から、もきっとよく見えることでしょう。

 ……現に、私と同じ教室で授業を受ける皆様は――特に孤児や農村のお嬢様を中心とした、特待生として寄宿舎に寝起きする皆様は――うっとりとした顔で私のお家を見下ろします。
 曰く、「どんな人が住んでいるのかしら」「大学の先生様ですって」「美しい奥様がいらっしゃるとか」「きっと、素敵な書生様も寝起きしていらっしゃるわ」などと。
 そうして最後には、やれ婚約者から聞いただの、小耳に挟んだだのと、理由は毎回違うながら、まるで鬼の首を取ったかのように誰かがこう言う訳なのです「いいえ、アレはさくら様のお家なのですってよ」と。
 そうして、最後に私に向かうのは、無言と羨望の眼差しで、それは家政科の授業で縫う浴衣や雑巾の縫い目のように、きっちりと決まっているのです。

 放課の時間など、ヒソヒソとそういった噂が交わされるのを聞く度に、私は本に顔を埋め、赤くなる頬を誤魔化します。
 なぜかといえば、皆様が憧れる、お城のような家に住んでいるという――その事実が、私にはとても恥ずかしくて溜まらないのです。

 例えば、私の女学校というのは、それこそ女性の宣教師の方が自分のお子の為に開いた私塾と、それと併設した孤児院が元になったのだといいます。
 女学校として認可を頂いたのはほんの最近のことですが、木造平屋で急遽新築された学生寮以外、校舎も、孤児院も、皆、それこそ我が家の牧師館と同等か、それ以上に古く、趣のある建物です。

 オンボロで陰気で、幽霊でも出そうだと評する方もおりますが、私にはピカピカしくなく落ち着いて上品に見えましたし――なにより、西洋人が監修したというだけあって、パアツや装飾の一つ一つが「必要あって」そこに置かれているようで実に気持ちがいいのです。

 お父様の言葉ではありませんが、必要性など考えず、見栄えだけを考えて見よう見まねで日本人によって取り付けられたエムブレムや突起で飾られた建物には出せない味というものがあるのです。
 そういった点では、きちんと研究と研鑽を重ね、更には日本の建材や建築方式をも調べ、若い頃にはただ洋行に行くだけでなく宮大工にさえ指導を仰いだというお父様の腕は確かに素晴らしいものです。

 ……ですが、どんなに素晴らしい建築家の先生でございましても、「時」だけは再現が出来ないのです。
 そういう点に置いて――我が家などというのは、周囲の風景との調和も取れていない上に、未だ新築の輝きを失わず、学校の建物と比べて余りにお粗末です。
 嗚呼、そう思えば、私の足が古道具屋に必ず縫い付けられていることにも我ながら得心がいくというものです。
 何故ならばあのショーウインドウの向こうには、私が欲しくて溜まらない趣や落ち着きというものが、それこそ満杯に詰まっているのですから。

 私のお父様の家というのは、その点に於いて、この店先に置かれた在り来たりな柄の火鉢や、漆の禿げた煙草盆や、褪せた天鵞絨の貼られた椅子なんかなどにさえ、到底及ばない重みしかないのです。
 だというのに、それを西洋式だと、宮殿のようだと称されることに、「本当の宮殿はこんなものではないのに……」と、分別や分というものを上辺だけとは言え知った私は、何ともいえない羞恥を感じるようになった訳なのです。

 更には私の場合、同じ道を歩む中にはお父様の教え子や、お父様の授業に憧れて、予科で勉学に励む方々もいるのです。
 いつでしたか、擦れ違った学生服の方々が「今日は半ドンだから遊びに行こう」といったお話をしながら、この古道具屋に寄らずに畑の方へと歩き出そうとする私を見つけて、追い越し際にこうヒソヒソとお話を致しました。

「見たかい? アレはきっと本郷博士のお嬢様だよ」
「ほう、アレが『白亜の城の姫君』かい」

 その呼び方を聞いた時、私は何ともいえない侮蔑を受けたかのように思い、暫くその場から動けなくなりました。

 恥ずかしいと思っている住処へ帰ることを揶揄されて、しかも華族どころか財閥や資産家でも無いのに、ただ、父の教え子であるだけの見ず知らずの殿方に、いきなり『姫君』などと揶揄されたのです。

 そんなにお高く止まってみえたのかと反省すると共に、何とも恥ずかしく悔しくて、私はその日、遅くまで眠ることが出来ませんでした。
 
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用語解説。

帝国大学=ある時期までは、国立大全般この呼び方です。

予科=大学予科=現在の高校に当たる施設です。公立の、第一とか第二とかナンバリングが付いてる高校は、元を辿ると大体これです。

女学校=大学付属とか、女性宣教師や個人が、女子教育に着目して開いた私塾や孤児院が発祥てところが多いようです(但し宗派によって富裕層向けだったり庶民向けだったり)。
卒業後無償で宣教師を務めると学費免除の学校もあったようです。

舞台の時代は特に設定してませんが、予科が16〜18歳入学、女学校が三年教育16卒業くらいの感覚で書いてます。

でも、一期生が飛び級で予科に入れた鴎外先生の『ヰタせクスアリス』よりは後で間違いないです。
 その日以来、私は放課後といえば大学の方にある国立図書館で少し寄り道をし、古道具屋の店先の、ショウウインドウに飾られた小間物やお人形に見とれる振りなどしながら、他の学生や書生の皆様の目を避け自宅へと帰るようになりました。

 ――だけれど、その時分の私は知りませんでした。

 放課後、いつもそうして古道具を見ている私が、予科の殿方にすっかりその習慣を覚えられ――だからこそロメオ様も、嫁入り前の娘である私に声を掛け、手紙を渡そうなどと思い立ったということに。



「ねぇ君、これを、受け取ってはくれぬだろうか」

 或る日通り雨に遭い、仕方なく古道具屋の軒下へと納まった私をそういって呼び止めた彼に、振り向こうと思いましたのは、彼が今まで擦れ違った学生と違い、ご学友も供もお連れでいなかったからでした。

「ああ、お願いだからそう怯えないで。受け取ってくれたのならば、僕はすぐに退散するから」

 俯き加減で――それでも、ぴくりと震えた私の様子は目に入ったようです――そう言った彼は最初から軒先に居た私と違い、黒い髪から腕に抱えた学帽と、学生服の肩から全てずぶ濡れで、いかにも寒そうなのに色白の頬と耳とが薄桃色に色づいていました。

 だといいますのに、そんな彼が恭しく差し出して下さっていたのは一枚の手ぬぐいで、それは皺も無く、全く濡れても居ないような様子でした。

(……もしかして、風邪で気分がお悪いのかしらん?)

 彼の頬が殿方にしては余りにも赤く染まっていますものだから、私は最初、そう思いました。
 でも、だとしたら、濡れているその方が何故、彼と比べて草履以外に殆ども濡れてもいない私にソレを差し出しているのか、私には皆目と見当が付きません。

 それが顔に表れていたのでしょうか、彼はぎっと歯を食いしばるように顔を歪めると、抱えていた学帽を目深に被り直して目元を隠し、「とにかくそういう訳だから……」と言い置いて、雨の中、坂を上ように走り出しました。

 私はというと、軒下におさまったまま、段々と小さくなって行くその背中を、家から傘を持ったねえやが迎えに来るまでの間、ずっとずっと、ぼうっと眺めておりました。

 ですので、彼から頂いたご厚意を、持て余してとかく懐に抱いたまま、結局の所濡れることもなく家に帰り付きました。

 私は、彼から頂いた手ぬぐいを使うこともなく握りしめたままで――ですから、その中に手紙が入っていることに、着替えて夕食を食べ終わり、改めて持ち上げてみるまで気付かなかったのです。

「白亜のお屋敷の、寂しそうな姫君へ――?」

 そういった書き出しで始まった手紙は、女性のように柔らかな字で認められており、品の良いお香の香りが染みついておりました。

 その手紙曰く、「いつも、図書館で見掛ける楽しそうに本を読む、古道具屋の下でしょんもりと悲しそうに佇むあなたとお話をしてみたく、手紙を書きました」「図書館で、私はあなたの向かいの席にいつも腰掛けております」「どうか、気の向いた時で結構です。そのお顔を上げて、一目でいいので私にお顔を見せて下さい」とのことでした。

「……これが、噂に聞く、恋文という物なのかしら?」

 お話をしてみたい――そう言った書き出しでしたのに、女学校のお友達が偶に貰うという、話しかけていいかとか、何処かでお会いしては下さらないだろうか、などと言った情熱的且つ厚かましい言葉は一切並べられていない素直なその手紙に。

 ですのに、購読している雑誌に、毎月何通も投稿される現代的な詩歌のように、綺麗な言葉が並べられた、私を気遣うようなその手紙に、私は嫌悪でなく好感を覚えたものでした。何より。

「白亜のお屋敷の、寂しそうな姫君……ですか……」

 例えば、あの時坂で擦れ違った父の教え子でありそうな殿方が言ったのでしたら、嫌みったらしく眉を顰めたでしょうその言葉も。

読み終わった後思わず胸に抱えたこの手紙の、甘い香の匂いと流麗な筆致に乗せられると、なんとも素直に擽ったく感じるものなのでした。



 それから、私は二日程悩んだ後、また図書館通いを再会し、ふと、本を読むのに疲れたような振りをして、顔を上げました。

 その時、正しく同じ拍子に本から顔を上げた彼の、切れ長で猫のような瞳が私の瞳を捉えてふと弧を描き、また嬉しそうに読んでいた洋書に顔を埋めた時。

 その耳がうっすら赤くなっているのを見掛けた時に、私の心は間違い無く、私のロメオ様の物となったのです。

 うっかり置き忘れた振りをして図書館の長机の上へと置いていった手ぬぐいと、その中に入れた彼の手紙へのお返事を機に、私と彼の秘密の文通は始まり――それから程なくして、その書簡のやり取りは、秘密のお付き合いへと昇華致しました。

 彼は文学青年で、私は彼が、お屋敷街のいずれかの家の書生であることと、予科に通い、大学への進学を目指しながらも文士を志していること。

 そうして、予科に通うだけあって英語だけでなく他の外国語も堪能であること。

 その理由はと言えば、珍しい洋書読みたさから、予科では必須の英語以外に、書生先の旦那様や先輩に学んだからだと――そこから私は、彼の書生先は恐らく個人で洋行や書籍の輸入などする伝手がお有りの方なのだろうと予想しました――いうことでございました。

 いつだかのお手紙には、「仕送りと旦那様のお手伝いのお駄賃では、本を余り買えないから、図書館に通うようになったのだ」と記されておりました。

 そうして、今時流行の文学青年が持つという、己は特別だからという鼻持ちならない自信というものが全く無く、女学校を卒業するまでに何時かお嫁に行くのだろう、といった漠然とした進路しか描けない私よりも、幾ばくか己の足下を見ておいででした。

「今はしがない書生の身であり、しかもただの予科生でしかありませんので。僕のようなしがない書生が、あなたに懸想することで、あなたの将来を潰したくはないのです。ですから、仮にこの手紙が見つかってもいいようにあだ名を付けましょう」

 お付き合いを始めてすぐ、互いの見解を埋めようといって交わされたその手紙に書かれた一文が全てで。彼は以降の手紙にも、最初の手紙に一応は記した私の本名を書くということは致しませんでした。

 ――以来、手紙の上での私は、彼の好きな小説や西洋のお芝居の女主人公、果ては現在劇で掛かっている演目に合わせて、色々なあだ名を付けて戴き、それを互いに呼び合いました。

「勘吉とお宮……は不吉そうだ止めておこう。それではまずは、君を僕のエリスと呼ばせて欲しい。勿論、僕は君を手放して何処かへ行くつもりは無いが……」

 最初はそう始まって、それから後は白雪の姫に、葛の葉、マドンナ、オフィーリア、お嬢さん、サロメ……そういった、国内外を問わず色々なお話の女主人公のお名前で、彼は手紙の中の私を呼び、私はその女主人公になりきって、そのお話の主人公になりきって、うっとりとなりながら。

時に頬笑み、時に有り余る恋情に涙さえ浮かべ、彼の仮のお名前を手紙に認めました。

 彼は、手紙に新しい私の名を記す時、それと一緒に、そのお話が一体どういう筋で、いかに私が気に入りそうに面白いお話であるのかを、いつも一緒に書き記しました。
 
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 最初は手紙の上だけで、だけれど次第にどちらともなく、長机の向かいに座ったままで、互いに本の内容を必死で目で追ううちに思わず呟いたという体で、互いの名前を呟くようになり。
 そのうちに、向かい合っていた二人は長机の右と左に揃って並ぶようになり、本に夢中で気付かないふりをしながら、わざと互いの肩をぶつけ、膝をぶつけ、立ち上がる際に着物の袖や学生服の裾で違いの頭を掠めてと、何かに付けて偶然を装って触れ合うようになりました。

 それらは、端から見れば破廉恥な行いに見えたでしょうが、互いに知ったことではありません。何故なら私達は、ただ互いに熱中して本を読んでいるだけなのだし、私達が読む本の中で、恋人同士というものは、我が国の文学の中であってさえ、時に一夜を共にし、時に情熱的な接吻さえもを交わすものなのですから。

 それらと比べたのでしたら、高窓から午後のお日様が照る、飴色に磨き上げられた長机に並んで座り、互いの膝に気付かない振りをしてお日様よりもぽかぽかと熱を持つ互いの手を置いて休ませ、時折相手を慰撫することも。
 示し合わせて本を探しに出て、狭い書架の間で高い棚と棚を隔てて黙々と本を探しながら、本の間から互いに声を掛け合うことも、まぁなんとも健全なお付き合いであることでしょう。

 そうした図書館での小さな逢瀬を重ね、次には人の来ない路地裏や、打ち捨てられた屋敷の壁の裏側など、互いに秘密の場所を探しては声を掛け合い、手を繋いで並んで座り、志を同じにするかのように語らい、元々が一つであったように抱き合い。

 初めて接吻を交わし、別れ際に「いつでもあなたに会いたい」と、はしたなくも欲深い願望を私が漏らし、彼が了承したあの日。
 開いた窓のこちらと向こうで、初めて果たした逢瀬で呼ばれてそれ以来、ずっと呼ばれるようになったままのジュリエッタとなったのです。

 図書室で違いの膝をつつき合い、月夜の下では窓に腰掛けた彼と、窓に面した机の椅子に腰掛けた私とで、彼の手ほどきを受けながら珍しい洋書を読み合い、互いに忌憚なく感想をぶつけ。
 時に意見のぶつかり合いから険悪になり、それでも最後は笑って――私はきっと、近い将来に彼とこんな家庭を築いていくのだと信じて疑いませんでした。

「次の秋に大学に受かったならば、きっと君のお父上の学部に行くよ。そうして、物語のロメオと違い、僕は僕のジュリエッタを永久に幸せにするんだ」

 そういって私の額に控えめな接吻をして二階にある私の部屋から危なげなく窓を降り、手を振り裏門を出て行った彼がもう居ないだなどと。

 つい数日前に頂いた接吻の温かさも、髪を撫でる彼の、私と比べて骨の多く大きく、それでいてひんやりとした手が耳たぶに当たる感触も残っているのに。
 こうして机の中から取りだした彼から頂いた手紙の束には、未だに彼の焚きしめた香の匂いが香っているというのに。

 ――なのに、彼は居ないのです。私のロメオ様は、もう私を、ジュリエッタを呼んでなどはくれないのです。
 ――私が、離れたくないなどと我が儘を言わなければ、私のロメオ様は木から落ちて、己の首と胴体を分かれさせないで済んだのです。

 私は、ジュリエッタのように、ロメオ様を追って、恋に殉じて死ぬべきなのでしょう。でも、未だ、私のロメオ様が死んだなどと、私は信じたくないのです。
 ですから、死ぬことも叶わないまま、かといって生きるとはどういったことかを忘れたまま、私はただ、締め切った部屋で泣き崩れて過ごすだけなのでした。



 お部屋へと籠もった三日目の朝――、いよいよお父様が呼ばわったお医者様の診察を受けました。

 幼い頃からお世話になっている、大学病院に勤めるお医者様は、「きっと、季節の疲れが出て心身共に不安定になったのでしょう。お嬢様くらいの年頃にはよくあることです」と優しく言って、気分の落ち着くお薬を下さいました。

 そうして頂いたお薬がよく効いて、何とも目を開けていられない程に眠くなって再び床に就いた私ですが、そう大人しくも寝ていられない事態となりました。
 両親が、お医者様に私が部屋に閉じこもったいきさつを、私が眠ったと思って話したことを切っ掛けに、三人はひそひそと世間話を始めました。

「――えぇ、死に方が死に方ですからね。佐々木さんが秘密裏に私を呼んで、それで検死をしたんですよ。いやはや、確かにアレは……女子どもなら、聞いただけで胸を悪くするかも知れない」

 そうして私は聞くともなしに聞いた世間話は専ら、私のロメオ様のお話で、そのお話によれば、遺体が明日にでも、荼毘に伏されてお骨にされて、数日中に郷里のお母様が引き取りにいらっしゃるというのです。

「佐々木は自分の書生だというのに、屋敷に彼を置くのを嫌がってね――何とも、今のさくらのように家の娘が泣くのだと。だから、墓の近くにある農家に小金を払って、納屋に遺体を置かせて戴いているらしい」
「しっ、あなた、もし、さくらが聞いて、また気分を悪くしたらどうするのですか」
「お前、見てごらんよ、さくらはよぉく寝ているよ」
「いえ、寝ていても声というのは存外聞こえているものですよ。あぁ可愛そうなさくら。たった二晩でこんなにも窶れて……」

 それきり寝室のドアは閉ざされ、一人になった私は、またさめざめと泣き出しながら――やがて戴いたお薬に引っ張られるようにして、深い眠りへと着きました。
 そうして――こんな夢を見たのです。
 
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「――ねぇ君、いい加減、起きておくれよ。機嫌を直して、その目で僕を見ておくれ、僕の可愛いジュリエッタ」

 耳元でそう、優しく囁かれると共に、ヒヤリとした、氷のように冷たい何かに頬を撫でられ包まれ、私は唐突に目を醒ましました。
 寝ぼけ眼で右と左を見れば、そこは窓も扉も無く、ただ、初雪のように真っ白な部屋の中でした。

 そうして、その白い部屋の中をぐるりと見回した、当の私はといえば、ぽつりとその場所に置かれた、触りのよい黒い天鵞絨が張られた長椅子の上で、これまた肌触り良く綺麗に磨かれた肘掛けに身を預けるようにして座っておりました。

 だけれど私の頭ははというと、まるで夏の暑い日に日傘もささずに歩き続けた時や、深い眠りから唐突に目覚めた時のようにぼうっとして、今まで何処に居たのか、何故ここにいるのかが、どうにも思い出せないのです。

 それでも、こうして長椅子に横になっているからといって、事の子細が思い出せないことを理解するくらいの分別は残っていました。
 ですので私は貧血を起こした時のように殊更ゆっくりと、長椅子の上で半身を起こしたのでした。

 すると、見下ろした私の身体は、寝間着として着ていた浴衣ではなく、密かに気に入りで身につける、赤の強い桜色――つまりは肉色の襦袢ただ一枚を、下帯どころか腰紐の一本も無く、ただ袖を通した状態で羽織っているだけなのでした。

「まぁ、嫌ですわ私ったら……泣き疲れて眠るだなんて」

 泣きはらしたように重たい瞼から考えますに、私は恐らく、自宅では無い何処かで何か悲しく辛いことがあり――それが何なのかはこの時思い出せませんでしたが――着替えもそこそこに泣き疲れて眠ってしまったのでしょう。

 纏っているこれが小袖の長襦袢であることから、きっと訪問着を着付けて出かけるような場所だったのでしょうが、幸いなことに、肝心要の小袖と帯を周囲に撒き散らすような醜態は晒さずに済んだようです。

「嗚呼、きっと、ねぇやも呆れて放っていってしまったのね」

 誰にともなく呟いてみると、着てるとも言えない襦袢ただ一枚のこの身が、何とも一層心許なく、そして身もだえする程に恥ずかしくもなり。
 私は、目を伏せたまま左右の手で襦袢の襟を引き寄せて、長椅子に身を預けたまま、己を抱えるようにして背筋を曲げ、丸く蹲りました。

 ですが、その時――。

「なんだ、別にそのままでも僕は一向に構わなかったのに」
「ひっ!」

 そんな、残念そうなお声と共に、また、氷のようにひやっとしたものが、今度は丸まったことにより露わになった、項から背中までを、上から下に丁寧に辿って行きました。

 その、まるで今まで氷水にでも浸けていたかのような冷たさに身を震わせ、私が思わず顔を上げるのと。

 項を離れたソレの――私の項を撫でていた掌の持ち主が、「ヤァごめん、ごめん。そんなに睨まないでおくれ」と、苦笑を漏らしながら、見慣れた学生服の肩を大げさに竦めてみせたのは、殆ど同時のことでありました。

「今晩は。今夜は随分と遅くなってすまなかったね。可愛いジュリエッタ」
「あぁ……ロメオ様……!」

 その、見慣れたお顔をまじまじと眺めた瞬間、私は抱えた膝をも放り出し、弾かれたように長椅子から立ち上がり。
 長身を僅かに屈めて私を覗き込む男性――私だけの愛しいロメオ様の胸だけを目指して、今が何時で、此処が何処であるということも、己の破廉恥な格好のことも、全て忘れて飛び込みました。

「おっと」

 そんな私をふらつきもせず支えた、生っちょろいなどと称される書生らしく中性的で細くも、ただの娘である私よりよっぽど太くてしっかりとした胴と胸も。

 彼の首に腕を回して縋り付くように抱きつく私の胴に蛇のように巻き付き抱えた、するりと長い学生服の下の腕も。
 いつものように額を寄せた首筋も――同じように私の首筋に埋められた彼の鼻先、吐息、少し長めの前髪さえも。

 何故だか、氷のように冷たくて、私の身体はたちまち、己の意志とは関係なく、まるで雪の日の朝に寝間着のまま外へ放り出されたかの如く、ガタガタと震え出しました。

「ロメオ様、ロメオさ……ひっ!」

 驚きと戸惑いで顔を上げた私の両頬をぱっと包み込んだ、骨っぽく細く長い手指もまた、氷のように冷たく。
その冷たさに思わず強く跳ね上がった私の顔を、だけれど彼は両手で包み込んだまま、鼻先の触れそうな程の近くでまじまじと覗き込んだ後――今にも泣き出しそうに顔を歪めました。

 まるで、痛ましい事故にあった恋人を見舞い、その痛みを自分の物とするかのように。

「あぁ、可愛そうなジュリエッタ……たった一晩会わないだけで、瞼は腫れて、頬はこんなにこけて窶れて。全く、なんて哀れなのだろう……」
「だって、だってっ……あなた様が、私を残して死んでしまったと――!」

 そう叫んだ私は、はっと目を見開き――自分の口を両手で押さえて、ロメオ様から一歩離れました。

 そんな私にロメオ様は咄嗟にお手を伸ばし――だけれど直ぐに身体の横へと下げ――なお一層辛そうなお顔をし、普段より淡い、殆ど肌の色の近い桃色になった唇を悔しげにぎゅっと噛みしめて俯きました。

 まるで、初めて私にお手紙を下さった時のように、緊張と後悔と羞恥と歯がゆさが入り交じったかのような、悲壮なお顔で。

「あ――」

 そのお顔の悲痛さに、軋むように痛む胸と、彼は、本当に私のロメオ様だと思われるのに、今こうして私の前に居るということはロメオ様では無いかも知れないという疑念と――そうして一握りの希望と、それを確かめることへの躊躇の重さに。

 私の喉は言葉を紡げないまま、ただヒューヒューと笛のようになることしか出来ず、それに相対するロメオ様も、一歩を下がった私に手を伸ばそうとしてはまた落とすことを繰り返し、暫しの無言が続きました。

「……いかにも、僕はこの世で命を落とした身だ……」
「そうで……ございます、か」

 しんしんと振る粉雪のように、ようよう重さを増して行く沈黙を破ったロメオ様のその掠れたお声とお顔は、まるで血を吐くように掠れて苦しそうで。

 身体のよこで強く握られ、ブルブルと震える拳が、噛みしめられた唇が――その頭の先から爪先まで、彼の身体と呼べる場所全てと、心が。
 彼の苦しみを如実に表現しているかのように感じられ、とうとう私は、何をいったらいいか分からないまま、ただそんなぼんやりとした相づちを打つことが精一杯でした。

 ――彼が死んだというのは嘘だったのだという、喜びが砕けた悲しみも。
 ――何の確かな約束も取り付けないまま、己の半身とも慕った絆を放り棄て。私一人だけをこの頼りない現世に置いていった恨み言も。
 ――いずれは伴侶にと誓い合ったのに、とうとうあなたの本名さえも知らないままであったという空しさも。

 またもう一度会えたなら、言おうと思っていたことも、言わなくてはと思っていたことも。
 全て、全て真っ白な空間に溶けるようにして消えて行くなか、唯一残った――思えば、ロメオ様との密会の中で、あらゆる感情を得た中で最後に残るのはいつもこの一つだけでした――我が身を焼くほどの愛おしさに身を任せ。

 同じように愛しさで溶けて細められた切れ長の瞳に囚われ、そっと壊れ物のように触れられるまま、私は、氷のように冷たいその身に、呪わしい体温を持った己の身を預け。
 強く強く、鋼のような腕に抱き寄せられながら、まるで互いの熱と冷たさを分け合うようにして、何度も何度も触れ合う接吻を。

 顔の至る所に落とし続け――やがては温い舌と冷たい舌とを絡め合わせ、一体どちらの身体が冷たく、どちらの身体が温かいのか、分からなくなるまで交わし合いました。

「ん……くっ。はふっ……もっと、もっと舌を出して下さいまし。か、らまり合う所が、見られる程に」
「ジュリエ――っは、んんっ。ふはっ」

 だけれど、どんなに頑張って舌を吸っても、前歯の先で甘く捺印のように噛みついても。

 根本から舐め上げ、しゃぶりあげるような、普段はいくら請われても恥ずかしくて上手く出来ない献身的な口づけを、くちゃくちゃと恥ずかしい音をわざと立てながら交わしても。
 彼の――私のロミオ様の身体は、いつものような、抱きしめられた私の身が焼き切れる程の熱を持つことはなく。

「ふっ……あぁっ。ロメオ様、もっと、もっと……」

 その事実に、私は卑猥に接吻を強請り、続かぬ息に大きく喘ぎながら、ぽろりと、ただ一粒の涙を流したのでした。
 
> わたくしとロメオ様の夢 > 6
6
R15くらいです。
「そう……先ほども言った通り、確かに僕は死んだ身だ」

 再会から、どれくらいの時間が経った頃でしょうか――。

 彼が私の喉に額を預けるようにしてそう言った時、気付けば私は長椅子の上に仰向けにひっくり返り、羽織っただけの襦袢も、肘の辺りまで落とされて、一糸まとわぬ身を露わにしたまま、ロメオ様に組み敷かれておりました。

「だが、だからこそ君に、愛しい君にしか願えない頼みがある」
 「頼み……で、ございますか?」

 そう答えた私の声は、まるで女学校での運動の時間に、近頃新しく授業に導入された庭球で何度もコートを走り回って、何度も球を打った時のように息が上がり。

 それがとても恥ずかしくて――私を組み敷くロメオ様の、目ではなく顎先の辺りを見上げながら、ようよう発したその言葉も、酷く息が上がって掠れておりました。

 そうして――何故だか、見下ろされた私の頬に掛かるロメオ様の息も、温度こそ冬の木枯らしのように冷たいというのに、やはり激しい運動をしたように浅く、更に時折、その冷たさに喉でも痛んで唾を飲み込むのか、私が見つめる顎先から下の喉仏も、何度か上下に動きました。

 今まで数え切れぬ程に接吻を繰り返して来た私達ですが、こんな風に激しい運動の後のように息が上がったのも――ロメオ様の纏う学生服の袖が、裾が、皺が、飾りボタンが。せわしなく喉もとに掛かる湿気った冷たい吐息が――恥ずかしくて合わせることの出来ずにいる彼の視線が。

 何も纏わぬ肌に擦れる感触を、撫で上げる感触を、まるでロメオ様と身に纏う全てがピリピリと電気を帯びているように如実に感じられることは、全くもって初めてのことでありました。

 そうして――とっても不思議なことに、そういった身体のあちこちを電極にして、流れる電気は全て、ロメオ様の膝に左右から夾み付けられるようにして押さえつけられた腰元に溜まって行き――そのむず痒さをどうにかしたくて身を捩る程に、両膝によって強く挟み込まれた腰は彼の纏うズボンの膝と擦れ合って、動けば動く程に腰に電気が溜まって行くという具合なのです。

 そうして、その電気はというと、腰を痺れさせると同時に、まるで甘味を口いっぱいに頬張った時のような多幸感と、薬味が効きすぎたうどんや蕎麦を不意に口に放り込んだ時の、何が起こったか身体の反応に理解が追いついて行かない時のような驚きやとまどいといった、相反する感覚を心に伝えて行くのです。

 その感覚を受けた心が、その多幸感と戸惑いの間できゅーんと揺れ動くと、また腰がびくりと跳ねて、心に多幸感ととまどいが生まれてと、とにかく、永久に、まるで甘味でも味わうかのような、ふわふわとした多幸感に包まれ続けるといった具合なのです。

「あぁ……ジュリエッタ……っ! そんな顔で僕を見上げないでおくれ……返事を、聞くのが怖くなってしまう」

 その上、きゅーんと心を痺れさせたままでロメオ様を見上げると、眉を寄せたロメオ様は何故か悲しそうにそう言って。

 何かを言わねばと口を開いた私の両頬を抑え、私を組み敷いたことで今までよりより深く、情熱的な接吻を仕掛け、私にもそれを強請るのです。

「あんっ……私に……でき、る、ことでしたらなんでも……して、さしあげます」

 ですから、何度目かの接吻を終え、痺れた舌を動かしそう言い、ようよう微笑み返した時。

 私はいよいよ頭の中に靄の掛かったかのような心地になり、もうロメオ様の顔を見上げるだけで腰の辺りが電気に疼き――その疼きを己から求めるように、膝を摺り合わせるようにして意識せずに腰を揺らしておりました。

「あぁ――」
「きゃっ!」

 そのまま、上がった息を整える為の、ゼイゼイという早く深い呼吸を何度繰り返した時でしょうか。

 そうお返事をしたロメオ様が不意にお顔を上げ、落とした視線がじっと向いた場所を、私も僅かばかりに顎を引いて追いかけて――そうして思わず首を竦めて目を閉じました。

 何故なら、ロメオ様の視線が向いたそこでは、襦袢が大きく左右にはだけられたことで露わになった、誰にも見せたことの無い、両の乳房に向かっていたからです。

「そ、そんな所は見ては嫌です……!」
「何故だい、ジュリエッタ――こんなに綺麗で健気なのに」

 思わず襦袢の裾を引き寄せようとした両の腕を長椅子の肘掛けの上にまとめて掴み上げられ、恐慌状態になって思わず薄目を開き掛けた私でしたが。

「ひっ……!」

 次に目に入った光景と、心臓を氷で冷やされたような冷たさに、再び言葉を失い、ぎゅっと目を閉じて顔を背けました。

 見下ろしたそこで、私の乳房はロメオ様の大きな手に握り込まれるようにして、まるでお餅か葬式用の大きなお饅頭にでもそうするように――そこにあるのが私の身体の一部ではなく、ただの物であるように――ぎゅっと捕まれていたからです。

 普段から、着付けの時に見苦しい程の大きさに育ったからと、ぐるぐると締め付けて平らに均しているような場所です。ですから、私自身がそれを見るのも、寝間着からの着替えと入浴の時に限られています。

 だからといって、自分の乳房など、まじまじと眺めるような物ではありませんし、ましてや、自分の手でさえ掴み掛かることなど滅多に無い場所です。

 ですから、自分の身体の一部でありながら、その実感が薄く、人どころか己でさえ碌に触らないその場所に施された、その全くの無造作な扱いに、私は衝撃を受け――しかも、その乱暴な狼藉を働いているのは、私に常に敬意を持って接して下さる、私の秘密の恋人なのです――同時に、まるで心臓を直接握り込まれたような、私の乳房が身体に何かしらかを送り込むような鞴になったような錯覚を覚えました。

 何故だか、握り込まれる度に、まるで暖炉や竈に鞴で空気を送り込んで一層に火の勢いを上げるかのように。

 彼の両膝に挟み込まれた腰に全身から届くピリピリが、なお一層強くなって、まるで腰を中心に、体中がそれこそ熱風で炙られているかのように疼き、ついには全身までもが汗ばんでくるのです。
 
> わたくしとロメオ様の夢 > 7
7
「いやっ、いやです……堪忍して下さい……そういうことをしてはいや……」
「ほう、本当に? ――この場所は嫌がっていないように見えますが……」
「し、知りませんっ! そんなこと……」
「あぁ……思った通りに柔らかい……離したくない」

 それが怖くて、恐ろしくて、私は首を左右に振りながら暴れるのですが、彼は、ロメオ様は許してくれず、それどころか、一層に荒い、まるで獣のような息を私の首筋に落としながら、なお一層丹念に、心臓のすぐ上の肉を、乳房を、丹念に揉み込むのです。

「ねぇ、目を開けてごらん? 可愛い僕のジュリエッタ……愛しい人。お願いだから、ねぇ」

 何度も何度も繰り返されるそれに、翻弄されていた私でしたが、恍惚としたその言葉と、きゅっと、乳房の全体ではなく先端にだけ感じた圧に観念して目を開け――そうして、後悔致しました。

 そこでは、つい今しがた目の前にありましたロメオ様が、私の乳房の上に移動し、お餅のように捏ね回された胸の上で茱萸のように色づくその先端を、じっと見ておりました。

「やっ……やだっ! そんなの……はずかしい、です。ロメオ様」
「いや、恥ずべきことでないのだよ、ジュリエッタ……君の乳房は、僕の為にそうなったのだから……」

 と、思えば。なんと、赤くふくれたそこに恭しくも口づけを落とし、本当に茱萸の実を口にするかのように、舌を伸ばし――そのまま、まるで乳の出を促すように揉み込みながら、ちゅうちゅうと音のしそうな程に吸い付くではありませんか。

 そのことと、彼のその行動に、私はがぁんと頭を殴られたような衝撃を受けたのでした。

 お恥ずかしいことなのですが、私はその時まで、そこは、赤ん坊に乳を含ませる為にあるのだと、そう考えておりました。
 確かに、己の胸を見下ろして「赤子はこんな物をどうやって吸うのかしらん」と考えたこともあったように思います。

 ですが、きっとそれは私がまだ子どもであるせいで、子を孕んだなら、幼い頃は平らだった物が急に隆起したように、また形が変わるのだろうと思っておりました。

 だのに、まさかその思い込みの答えが、こうして赤く茱萸のようにポツリと膨れるだなどと一体誰が予想できるでしょうか。

 しかも、ロメオ様の言い分を信じるのならば、まさかそれが、赤子に乳を含ませる為などではなく、こうして物のように揉み込まれることで変化がおこって、しかもその変化の理由が、殿方にこうして咥え嬲って戴こうと、捧げる為の反応だなんて。

 女の身体とは、何と、罪深く破廉恥な造りをしているのでしょうか。

「はぁっ……やぁっ! くすぐったいっ……! ピリピリします……あぁん、ロメオ様……」

 しかも、どうしたことでしょう。チュウチュウと、熱心に揉み込まれ、吸い出される度に、乳など出ない筈の乳房の中を今度は今までと逆に、腰の痺れを胸から吸い上げられるようにして『なにか』が駆け上って行くのです。

 そうすると、イヨイヨ腰の辺りがじーん、じーんと痺れ出して、するともう息などつげず――気付けば私は、今や私の腰に完全に座り込むようにして押し付けられたロメオ様の腰に、膝を曲げて腰を上げ、熱心に腰を擦りつけておりました。

「本当に、こんなに僕のことを求めてくれているのだね、君は……」
「あ……」

 唐突に、胸から口を離されたということに、私は一時気付かず、間抜けな顔で半身を起こした彼を見上げておりました。

 そうして、何処か嬉しそうに頬笑み、頬に小さな接吻をして下さった彼の視線が、その一連の動作で肌に擦れる衣服によって起こされた、今まで乳房を弄ばれ続けたことで身体に帯電した電気がパチパチと鳴るような刺激に揺れた腰を捉えた時。

 私は初めて、己の腰が、まるで痙攣でも起こしたかのように私自身の意志と関係も無く揺れいることに気付きました。

「あっ、あの、あのっ……」

 ただ痙攣を起こしただけ。ですのに。

 一体どうしたというのでしょう。私は何か、途轍もなく破廉恥な現場を――接吻や抱擁よりも気まずい何かを見られたような気分になり、いつの間にか自由になっていた両手で顔を覆いました。

「言っただろう、誰でもそうなるのだと……さ、顔を見せておくれ」
「あ、ぅ……んんッ……ふぅあ……」
「そうそう、もっと溶けきったいやらしい顔で僕を見上げれば良い」

 だけれど、その両手は簡単に奪い取られて両の指先を絡めるようにして握り込まれ――次には私は、まるで唾液で溺れてしまうかのような、激しい接吻を繰り返すこととなりました。

 その間、唇や舌をまるで形を変えるかの如く強く吸われる度に、「私の乳房もこのようにして吸われたのだ」と、そのようなことばかりを考えしまったせいでしょう。

「あぁ……ンっ」

 幾度めかの接吻の最中から、散々に辱められた乳房は、彼の学生服の胸と胸が擦れ合うだけで、どうしようもない、まるで高熱で頬や首筋を腫らした時に、それが治って引いて行く最中に感じるような、じーん、じーんとした重い疼きを起こすようになりました。

 それだけ強く、乳房を嬲られ、腫れ上がったということなのかも知れないのですが――それらと違うのは、頬やら首やらを腫らした時と違って、乳房を腫らしたこの疼きは、どうにも、癖になるのです。

 どれくらい腫れが引いたのか、どれ程の痺れが残っているのか、自分で揉み込んで確かめてみたい――または、確かめて欲しいと思う程に。

 そうして、現に私は気付けば、深い接吻を繰り返しながら僅かに背を浮かせ、あえて自分から彼の胸に自分の胸を押し付けることにより、彼によって弄ばれた乳房がどれくらい腫れているのかを、その腫れの起こす疼きがまだ続いているのかを、確かめ始めていたのでした。

 だけれども、そんなことは本当に言えばその時の私にはもうどうでもいいことであって、今、私はただ、一人の女として、人間として――ロメオ様のジュリエッタとして、一対の存在として、一つに引っ付いていたい気分なのでした。

 全身を心地よさに振るわせながら、もう、衣服も、身分も、性別も、私達を隔てるもの全てが煩わしような、そんな気分であるのです。

 ――そうして、何度も口づけを交わし、私の熱い息と凍てつく息とが混ざり合って気道を焼き、ひぃひぃと吐き出す息まで飲み込まれながら、私は気付いたのでした。

 舌をまさぐられ、チュウチュウとしつこくながら、擦りつける胸を胸で圧迫され、腰を押さえつけられ――身体の何処にも逃げ場の無い状態で、私に注がれているその息が、息ではなく『言葉』だということに。
 
> わたくしとロメオ様の夢 > 8
8
話の核が見えました。
ここでタイトル回収です。
「――、っ。――」

 私はロメオ様と違い、語学に明るく無く、授業で習う英語さえも覚束ない為に、独逸語か、仏蘭西語かは分かりません。

 だけれど不思議な音律のソレは、まるで今まで秘密の逢瀬の中で諳んじて来た詩のように美しい音律で。

 私の胸に有るはずの伽藍堂に時に大きく、くぐわんぐわんと響き、時に蠢動をする蛇のようにのったりと、私の身体の奥を目指して、何ともいえない感触と共に這い込むのです。

 内側から、疼く乳房を、触れ合ったお腹を、唇を、まるで豆腐を強く揺らして崩して行くようにとろかして、腰――この際だから言ってしまうならば、特に下肢の付け根の部分を――痺れさせて行くのです。

 このままずっと聞いていたのなら、特にぽかぽかと、まるで温水にでも漬けられたのように熱くなって行く、お腹の中から溶けて、別の生き物へと変化して行くかのような恐怖を感じました。

 ――早く、口唇の結合を外さなければ、この言葉を吐き出さなければ。
 そうしなけれな、私はたちまちのうちに、身体の中を虫のように這い、お腹の奥を溶かすこの言葉達に作り変えられてしまう。

 何度も、何度もそう思いました。
 拒否をしなければいけない。
 この言葉を聞いてはいけないと。
 けれど。

「――っ、ぁんっ……んっ――」

 気が付けば、私はいつの間にか自由となった彼の手に、彼の胸と触れ合った僅かな隙間の中で乳房を揉み込まれながら、先ほどまでチュウチュウと吸い付かれていた乳房の先を先ほど吸われた時のように引っ張られながら。

 その度に身体の隅々を流れる電気にびくん、びくんと腰を跳ねさせ、自由になった腕でその肩に縋り付きながら腰を押し付け。

 まるで、そう啼くように調律された楽器のように彼の繰り返す音律を、その言葉を、まるで自ら上がった人間が初めて取り込む空気のように。

 彼の舌を、先ほどからされ続けていたように自分の口の中に貪欲に吸い込みながら、気付けば同じように口を動かし、彼と同じ言葉をつっかえつっかえに唱えておりました。

「――、あぁんっ! ――! ――っ」
「うっ……。――っ、――!」

 全く分からない、ともすれば歌のように響くその旋律は、全く言葉としては聴き取れませんでしたが、それでも。

 ぎこちなくも、理解出来た音だけを何度も繰り返す毎に、彼の手は褒美でも与えるようにして、私の頬を、腹を、臍を、腰を、とにかく色々な場所を撫でて下さいました。

 その度に彼に触れられる嬉しさに酔い、無我夢中で呪文を何度も唱え返し、高い声を上げれば上げる程に、その撫で方は段々と、いつもの猫を撫でる時のような繊細さを無くし。

 私の身体を、まるで自分の物に触れるように遠慮会釈なく、だけれど的確に痺れを増幅させる所に触れるのです。

 そうして、彼の吐き出す言葉が、生み出す電気が、私を千々に乱れさせれば乱れさせる程に、私の言葉を吸い込む彼も息を荒げ、私が押し付ける腰に、腰を押し付け返して揺らしたり、時折感極まった様子で長い吐息を吐き出すのです。

 私はそれが嬉しくて嬉しくて、一層、彼の吐息や反応を吸い出そうと、もっと私の言葉を、反応を、私の知らない私を、吸い込んで、喉を鳴らして飲み込んで欲しいと。私は益々に乱れ、魚のように身を捩らすのです。

 そうして――イヨイヨ最初から最後まで、淀みなく発した呪文が、最後までつっかえることなく、彼の口の中に飲み込まれたその時。

「んっ……ぁあんっ!? な、何を!!」

 一層深さと角度を変える接吻に酔いながら、ふと唇が離れた時、私は一瞬、自分の身体の何処を触れられたのか、全く分かりませんでした。

 だけれど次には、いつだか酷い風邪を引いて酷い鼻づまりを起こした時に、無理矢理に鼻をかんだ時のような痛みが、ビリビリと痺れていた下肢の辺りから響き、私は訳の分からない恐怖を覚えました。

 そうして身体が縮こまると、痛みは更に強くなってしまい、私はいよいよ恐怖で顔を引きつらせ、暴れることも忘れ、瘧のようにブルブルと身体を震わせことしか出来ませんでした。

「大丈夫、大丈夫だから息を吸って……そうそう、大丈夫、大丈夫……」

 彼は、互いの吐息の熱さ冷たさの全く分からない距離の鼻先から、私の首筋へと額を埋めて。傷んだ白百合のような匂いのする吐息で、何かを堪えるように苦しげに、こうおっしゃいました。

「本当に、貞操など守らずに君を遠くに浚い、思うままに触れてしまえば良かった……」
「え……」

 その言葉の悲痛さに、私は、未だ彼の指先――といっても爪の根本までくらいとほんの少しですが――が、私の内側何処かにある伽藍堂をぐにぐにと引っ掻く度に感じていた痛みさえもが塗りつぶされ、私は、彼を見上げました。

「……そんな顔を、するものではないよ」

 私が一体どんな顔をしていたのかは分かりません。だけれど、それは恐らく泣き笑いだったのではないかと私は思うのです。

 そう言った彼の――私の半身であり、秘密の恋人で、死に別れた身である愛しいロメオ様の顔が、今にも悲痛に泣きそうであるのに、何やらこれから訪れる大いなる喜びに呑まれそうな、泣きながら笑っているかのようなお顔だったからです。

「僕はただ――やっぱり、君の言葉で聞かせて欲しいと思っただけなのだ。僕の願いを、叶えると」

「あっ……」

 そう言いながら彼は頬笑み、今まで私の胸の上に置いていた手でもって、するりと私の胸を撫で、その冷たい指先で私の肋骨を辿るように撫で、臍をくすぐり、更にその下に、掌を下にして指を伸ばして――。

「ねぇ、言っておくれ、ジュリエッタ。ここに――」
「は……んっ」

 そうして、私の臍から下差し込まれた指が、感触も生々しく未だ別の生き物のように蠢く場所が上から圧迫されて、彼の指を爪の形までもを理解させられるかのように締め上げ、私は苦鳴とも悲鳴とも付かぬか細い声を上げ、顎を上げて、彼の手の軌道を確かめました。

「ここに――この腹の中にある胎に僕の精を受けて、この中で僕を作り替えて、生き返らせてくれると」
 
> わたくしとロメオ様の夢 > 9
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性描写有です。
 彼の手は、下腹を大きく包むように、守るように、握り込むように掌を僅かに丸めてそこに――私の中、私の知らない伽藍堂はそこにあるのだと、それが昔に聞いた子を孕む為にある袋だということを、私は初めて理解したのでした――しっかりと置かれておりました。

「ねぇ、言っておくれ、ジュリエッタ。僕を――僕の命も肉も魂も、君の内側で作り直してくれると」
「あ……」

 次に彼は、下腹の中からぐちゃりと指を引き抜くと、そのぬるつく指を私の股の間で拭い、その電気に跳ねた私の頭を抱き寄せ、まるで親が子を甘やかすように甘くとろけていて、だのに母に子が哀願するかのように必死な声でそう言いつのり、下半身を密着させるようにして、私に強く覆い被さりましたした。

「僕の全てを、永遠に、君の物にしてくれると」

 実の所、そう言った彼の言葉の半分も、その時の私は理解出来ていなかったように思います。

 だけれど、それがどういうことか、彼の、愛しい人の熱の失われた掌に覆われた私の子袋は、それとは対象的に、何とも胸が焼けて潰れてしまいそうな程の愛しさと――形だけは笑みを作った顔の中、切れ長の目の奥に点る炎に炙られた心は。

 一途な恋心と口づけの仕方以外に何も知らない、ほんの小娘でしかない私の『女』の部分は、その言葉の意味を本能で理解していたのかも知れません。

「――ロメオ様。私は、あなたのジュリエッタは、必ずあなたを生き返らせます。この貧相な身体で十月十日を愛しんで、またあなた様としてこの世に送り出してみせましょう」

 だってそうでなければ、いくら夢のような世界のことといっても、このような芝居掛かった殊勝な台詞が、まるで詩を諳んじるかのようにつるりと、本当につるりと、私のような取るに足らない小娘の口から零れるようなことは有るでしょうか。

「嗚呼っ……! 麗しい僕のジュリエッタ! どうか、夢から醒めた現でも、どうか僕を受け取っておくれ!」

 それと共に、ぽろりと一筋の涙がこぼれることが――その涙を、未だ私の子袋が零した滴に濡れた彼の手が拭い、その甘酸っぱい臭いのした、ぬめぬめとした指の痕を、まるでこれ以上愛しい物など無いとばかりに破顔した彼の舌が丹念に舐め取って行くだなどということが。

「えぇ、えぇっ……! 下さい。あなたを私に……!」

 その舌の動きを追う度に、密着した腰が、びくり、びくりと跳ね上がるだなんてことが。
 このように、まるで、石灰で引いた線と線とを踏み越えるように、小川を「えいやっ」と飛び越えるように簡単に、己の身に起こりえるだなんて、私は今まで想像もしたこともありませんでした。

 こんな……背徳的且つ卑猥なことが、今までロメオ様以外の男も知らず、ロメオ様との逢い引き以外に浮いた話も縁談も一切無かった。
 ただの小娘でしかない、己の身に起こることがあり得るだなんて。

「あぁ、やっと――!」

 私の上に覆い被さったまま、身体を起こし、徐に学生服の上着を脱ぎ捨て、下半身の衣服を僅かにくつろげた彼が感極まったような様子で何かをおっしゃいました。

 だけれど私は、殆ど吐息混じりで耳をくすぐるソレに、上手く耳を傾けることが出来ませんでした。

 何故ならば、彼を追うように僅かに頭を起こした私の意識はといえば、そのせいで覗き込んでしまった、彼がぐっと割り開いた己の頼りない太股の内側に――今まで彼が何かを探るように指先を動かしていた伽藍堂へと吸い込まれていましたから。

「つっ……」

 彼が覗き込み、息を飲んで喉を鳴らした場所がどの様なさまであるかは、長椅子の上に仰向けに転がされた私には見えません。
 だけれども、私は知っておりました、

 彼が私の太股を恭しく掲げ持ち、大きく開かせたそこには――私から見えないそこには、ぬめぬめと蜜に濡れた、鮮やかな肉色に染まった花が、これみよがしに、猥雑に咲いている筈なのです。

 彼の指をくわえ込み、ぐっぷりと音を立て、ぬめぬめと酸っぱい臭いのするぬめりを滴らせておりました場所は、彼が己を宿して生まれ代わらせて欲しいとまで言う場所は、そうそう居心地の良さそうな場所ではなく。

 実の所、ただの肉色の、私でさえも己の内にそんな物が在ったのだなんて知らなかったような、ぬめぬめと、見ているだけで何とも心のざわつく、猥雑な造形をした場所――私はそれを、遠い昔、父の実家で土蔵に迷い込んだ時に見たことがあるのを思い出したのです。

 ――男女が睦み合う、春画として。

 嗚呼、そうです。アレを見た時、何だか分からない絵だというのに、妙にお尻の辺りがざわざわして、太股を摺り合わせながらも、気付けば食い入るように見つめてしまいました。

 (何故、こんなことをするのかしらん?)

 そんな疑問と共に眺めたその絵の中で、よく分からないことをしていた男女は――やっぱり今のような体制で、男性が女性を組み敷き――殆ど茶色と灰色で刷られた絵の中で。何故だか女人の股の間だけがぬめぬめと、何度も、何度も肉筆で辰砂を重ねたような鮮やかで光沢のある赤色で色付けされていたのです。

 そこに大きな朱色の花を咲かすことにこそ、この浮世絵の持ち主の心血が注がれでもしたかのように。

 後に、ソレが、どのような行為であるのかを知り、何故だか見てはいけない物を見てしまったかのように感じ、私はそのことを今の今まで忘れていた次第だったのです。

 ――だけれど、それが私の生きる世界の裏側で、常日頃に行われているということは、知識として分かっては居るつもりでした。
 通りかかった縁日に立つという小さな小屋で夜な夜な行われていると噂には聞く下世話な見世物として。

 女学生が近寄ってはいけないと言われるいかがわしい茶屋や、殿方の遊びに行く弓引きの店の二階で行われていると噂されることが。 そう――この段になってやっと私は、どうやら己が、そのような噂と同じようなことになろうと気付いたのです。 

「あっ! いっ、いたい! 痛いです!!」
「はっ……あぁ、ごめん、ごめんっ……」

 そうしてソレに私が気付いた時。
 一度離れた彼の身体は再び私の上へと重なって――大きく咲いた肉色の花弁の、自分でも触れたことのない内側に、まるで囲炉裏で焼いた火鉢を内臓に突っ込まれたかのような、じわじわと肉を焼かれながら、焼けた先から肉を刮げ落とされて行くような、火傷とも擦り傷とも付かない痛みが走ったのです。
 
> わたくしとロメオ様の夢 > 10
10
「いたぁ……やっ、あっ……はあっ……はぁーっ!」
「はぁっ……あ、っ、すまない、すまない本当に……っ!」

 痛みに思わずのたうちそうになった身体は、押し広げられた太股に思い切り重を掛けられた事で簡単に押さえつけられ、突然のことに上がった息は、私の頬を撫でるロメオ様の手の冷たさと、すぐ耳元で聞こえる、余裕の無い荒い吐息と、その間に交ざる謝罪の言葉とに霧散しました。

 何度も意識してゆっくりと呼吸をし、内臓をこそげ取ろうとするような痛みが消え、ピリピリとした痛みと火傷のような熱さだけが残るようになって、私はいつの間にかきつく閉じていた目を、ゆっくりと開けました。

 そこには、吐息の届きそうな私と同じように苦しげに息を整える彼のお顔があり、苦しそうなその唇からは時折荒い息が漏れました。

「……ロメオさま、も……っ、苦しいの…ですか……?」

 私の上に重なる彼が何をしたのか、私は朧気にしか理解しておりませんでした。

 でも、このような行為を『一つになる』とか『重なる』と表現することがあるのですから、もしかすれば、私が苦しい分、ロメオ様も苦しいのかも知れません。

 嗚呼、慕う殿方を、いつか一緒になりたいとさえ思う殿方を苦しませることしか出来ないなど、私は何と酷い女なのでしょうか。
 彼は、私に全てを賭けて下さる程に、私を欲しているというのに――それと同じほどの情熱を私の身体は持てないというのでしょうか。

「ごめんなさいっぁ、ロメオさま……私が、痛いばっかりに、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「っッ……!」

 そう思えば、己がふがいなくて情けなくて――私は、今にも焼け落ちてしまいそうな腹の内の痛みよりも、悔しさに涙して、ロメオ様の背を何度も何度も撫でながら、ついに泣き出してしまいました。

 ごめんなさいを繰り返し、スン、スン、と洟を啜り幼子のように泣きじゃくる私に、ロメオ様は何を思ったのか、その胸に顔を押し付けた私には分かりません。

 だけれど撫で擦る背中は私の手の動きに合わせてびくり、びくりと震え、その上荒い息は益々と荒くなりましたので、慰める筈が更なる痛みを与えてしまったのだと思った私は、痛みと混乱とで、いよいよどうして良いのか分からなくなりました。

「ごめんっ、ジュリエッタ……」

 だけれどその時。彼は、その背に回していた私の両手を取り上げ、己のそれと、指を絡め合うようにつなぎ合わせ。
 そうして私の額に額を寄せて、涙でぐしゃぐしゃになっているだろう私の顔を、さも愛しげに覗き込みました。

「……ごめん、ごめんっ、ジュリエッタっ! 優しくするだなんてそんなこと、無理だ……気持ち良すぎて」

 最後の一言は、まるで秘密を打ち明けるかのようにして、私の耳元でぽつん、と、涙の滴のように鳴りました。

 そうして、いよいよ混乱を極め、己のふがいなさを呪っていた私は、とうとう彼のその言葉に縋って、洟を啜り、未だ涙を溢れさせながら、こう言い返しました。

「いくらでも、どうぞ、いくらでも気持ち良くなって下さいませ……私、は、あなたの、ジュリエッタなのですから……あぐぅっ!」

 ――それが果たしてどのような効果をもたらしたのか。
 その一言と共に、見上げる彼の目の色が変わり。同時に、今まで段々と慣れていたヒリヒリとした痛みを訴えていた花弁が、また一層強い業火で炙られたかのように痛んで、おまけにぐぐっと、尚更奥に内臓を押し上げられるような圧迫を得たのです。

 内側から外側から、身体を押しつぶされるような痛みに私は長くみっともなく悲鳴を上げ、押さえつけられていた脚も、びくり、びくりと痙攣しました。

 だけれど、荒い息の中、私に許しを請うた彼は今度こそ私を許してくれず、握り合った両手になお一層の力を込めて、ぐっ、ぐと、私の脚の間の花弁へと腰を押し付けました。

 その度にぐちぐちと鳴った鈍い音は花弁の垂らす蜜でしょうか……私の花弁は、焼かれる熱を冷ます為に、先ほど頬に塗られ、舐め取られた蜜に塗れて、恐らく何度も塗り込まれてぬめぬめと輝く光沢を得た、あの浮世絵の辰砂のようにいやらしく赤く粘ついているのでしょう。

 その様と、先ほど、頬に塗りたくられた蜜を舐め取られたその瞬間に強く感じた腰の疼きのことを思い出した途端、今まで焼かれ広げられる痛みだけだった腹の奥に、今までで一番強い電気が走って、私は花弁に着き込まれた灼熱を帯びるそれを、ぎゅううっとまるで絞り上げるように締め上げました。

「はぁっ……あああああんっ!」
「ぐっ、あぁぁ……ううっ……!」

 その瞬間、呻いた彼は一層に荒くなった息を整えながら、更に、ごめん、ごめんと、まるで悪事を咎められた幼子のように一心不乱に言葉を重ねました。

「次に君に会えた時には、きっと気持ち良くしてあげるから、だから――」 

 その後早口で捲し立てられた言葉は、残念なことに、ぐっぐっと何度も抜き差しされ、焼けただれた皮膚をこそぎ落とすような動きを先ほどよりも早く、深く行われた際の水音と、痛みに遠のく私の意識には届きませんでした。

 何度も抜いたり刺したりをされながら私は、許しますとか、お許し下さいだとかを、まるで酷い傷が膿んで起こる高熱に浮かされたかのように、何度も何度も唱え、重ね合わさった彼の五指を握り返して耐えておりました。

「あっ……っぁ……! ジュリ、エッタ…あぁっ……!」
「ぁ……ロメオ、さま……みずきさま……あつ、い……」

 それが四半時か一刻か――どれ程続いたのかは分かりません、だけれども、身を焼く傷みも、熱に浮かされたかのような彼の顔を見上げ、揺さぶられるうち殆ど消え、ぐちゅぐちゅと猥雑な音と共に焼けただれた内側の壁の執拗に刮げ落とされる度に痒みに似た強い疼きを覚え、それに気付いたロメオ様がそこばかりをいじめ始めた頃。

 一層早く内部を擦り上げられたのと共に、腹の奥を炎で直に炙られているような熱さを感じながら、私は意識を落としました。
 ――あと少しで、何かが満たされたような物足りなさと、こうして内も外も重なり合った彼へと覚えた一層の離れがたさから、彼に手を伸ばし、必死に瞼を開けようとしながらも。

 私の意識はまるで、泥濘に足下から引きずり込まれるように、彼の声も、ジンジンとした痛みを訴える身体も、置き去りに沈んでいきます。

「愛しい人、これで暫しの別れだ……頼んだ、よ?」

 そんな彼の声と、額への優しい接吻の感触を最後に――私は夢から醒め、そうして戻って来たのでした。
 彼が、私を彼の物にしてくれた、彼を私に全て捧げると誓ってくださった――愛しいロメオ様が居ない現世うつしよに。
 
> わたくしとロメオ様の為に
わたくしとロメオ様の為に
 
> わたくしとロメオ様の為に > 11
11
自慰描写があります。
 目を醒ました時、私は昼間お医者様に見て貰った時のまま、肉色の襦袢ではなく、着古した褐色の浴衣と半幅の帯とを身につけて、寝台へと青向けに転がっておりました。

 ねえやも、お父様お母様も、お医者様も――先ほどまで熱心に私を愛して下さっていたあの人もおらず、ただ、閉め忘れた窓からの風に翻るレエスのカーテンの向こうからこちらを覗き込む満月に照らされて、ただ、一人きり。

 いつもこの時間にこの窓を控えめに叩き、バルコニーに座って控えめに片手を上げて見せる人は永遠に私の所に訪れない。何故ならあれは夢だったのだから。

「ううっ……ひっく、うぁ……うあああああんっ……!」

 それを実感した途端、私は仰向けに天井を見上げたまま、幼子のように慟哭し、涙を拭くどころか寝返りさえ打たないままに、わんわんと、先ほどまでの幸福な夢の中での痛みに泣きじゃくった時以上に泣き叫び、シーツを握りしめ、ただひたすらに涙を零し続けました。

 ――今度こそ、泣き死んでしまえと言うように。

 幸福や愛情というものは、最初から与えられないこと以上に、突然奪われること以上に、一度気まぐれに与えられて取り上げられる方が何倍も、何万倍も苦しいのだということを、この時私は初めて知りました。

 そうして、月光を跳ね返す白い漆喰の天井を仇敵のように睨み付け、仰臥したまま歯を食いしばり、唇を噛みしめ、泣き続けてどれくらい経った時でしょう。

「ひ……あんっ!」

 泣きじゃくりながら全く意識せず、僅かに、ほんの僅かに、手足を曲げるか首を傾けるかの身じろぎをした途端、私の身体の中心を貫くように、痛みとも痒みとも付かない疼痛が、確かに駆け抜けました。

「う、ぁ……っ!」

 ともすれば、身体の奥――臍の下の内臓から起こった、剥がれかけたかさぶたや、治りかけて皮膚の盛り上がった火傷の跡から起こるようなその痛みと痒みの混ざり合った疼きが一体何処から起こっているのか、今の私にはちゃあんと分かっておりました。

 それは恐らく、辰砂を塗り込めたように真っ赤に咲いた、私の脚の内側の花弁から、その内側にある、子を孕む為の、彼を迎え入れる為の場所から起こったのです。いいえ、そうに違いないのです。そうでなければおかしいのです!

「あ……ぁ、あぁあっ!」

 ――そう気付けば、後のことはもう、決まっておりました。

 私は、ここ数日碌に物を食べて居なかったこと、そして今し方まで全身を振るわせ、泣き死んでも可笑しく無い程に泣きじゃくっていたことを差し引いても、まるで激しい運動の後のように重怠い身体を、その芯から響く痛みにも構わず弾かれたように起き上がらせ。

 蹴り上げるように布団を剥ぐと、浴衣の裾を脚が全て剥き出しになるまで絡げて、両膝を深く立て、まるで獣がそうするかのように股をあられもなく開き上げ、左手でなお一層に開かせると、右手の指を揃えて、彼を咥えただろう口を大きく開けている伽藍堂へと差し込みました。

「あ、ぁんっ。あぁっ、んんんっ……」

 あの幸福な夢の残滓を、彼との交わりの証を探して指先で無遠慮にまさぐる、指でまさぐるその間も――その間も、私の股の間はズキン、ズキンと断続的に疼痛を響かせ、それを自覚すればする程に、私の背筋を通り、先ほど夢の中で確かに感じた電気に痺れるかのような甘い悦びが、再び駆け上がり。

 気付けば私は、彼がそうやったように、ざらざらとした毛に覆われたそのあわいの中と外を、何度も何度も往復させておりました。
 そうして――嗚呼そうして、ついに見つけたのでした。

 ぐちぐちと指先に蜜と共に絡みつく、淫らな花の内側、ロメオ様が発見した、私の身がグズグズととろけ出す場所を! 
 私の見ていたあの夢が、夢では無いという確かな証拠を!!

「あぁっ、ロメオ様……ロメオさまっ! ああああんっ!!」

 そこを押し込むように素早く数度刷り上げると、不思議なことに開いたままの脚に急に力が入らなくなり、腰が抜けたように脱力して、私は荒い息で獣の言葉のような声を叫んだ後、再び寝台へと倒れ込み、びくんびくんと不随意に太股を痙攣させました。

 きゅうきゅうと歯のない口で噛みしめられるように締め付けられる指を引き抜き、月明かりにその手を透かすと、嗚呼やはり! その指先には赤い色の僅かに混じった甘酸っぱい匂いのする蜜が滴っておりました。
 あの時ロメオ様が私から溢れ出させたのと同じ、あの蜜が……!

「あぁ……ロメオ様、ロメオ様っ……!」

 やはり、アレは夢ではなかったのです。
 私はやはりロメオ様の物になって、そして――嗚呼そして、誓ったのです! 彼の全てを私の物にすると、私が彼の産みの母であり彼の物になると!!

「待ってて、待ってて下さい……すぐに迎えに、参りますから……」

 ぽろり、と。
 不意に目から零れた嬉し涙をそのままに、私は蜜にいやらしく濡れそぼった指先をまるで水飴を食すように舌で舐りながら身を起こしました。
 暗く、さみしい小屋の中で、私を――唯一無二の恋人を、己の物である女を、彼の母となる私を――待っているであろう彼を、いつもの逢瀬とは反対に、今度は私から直接に尋ねる為に。
 
> わたくしとロメオ様の為に > 12
12
「月が、綺麗ですね……」

 空の真上に、思わすそう呟く程に美しい月の掛かる夜でした。

 ですが不思議なことに、私は屋敷を抜け出すまでの間も、一面が星に覆われた田畑の間の泥んだ道を走り、彼の元に向かう間も、一度も人どころか、狐狸や猫といった動物とさえ擦れ違わず――普段は眠れない程に五月蠅く合唱する、虫や蛙の鳴き声を聞くこともありませんでした。

 思えば、愛しいロメオ様と夢の中で、呪文と共に接吻を交わし、身体を交わらせたあの瞬間から今の今まで。
 彼の亡骸に、私が彼の魂に夢で促されたままそれを掛けたように、私もまた、ロメオ様に妖術や魔術といった物を、掛けられていたのやもしれません。

 ――そも、こうして今、このような幸福な身となれば尚のこと、私はこうも思うのです。

 余りに強すぎる思慕や恋情。
 そういったものは、例えそこに私達が唱えたような厳かな呪文がなくも、私達が行ったような儀式的且つ厳かな身体の交わりがなくとも。

 視線一つ、言葉一つ――ともすれば意味ありげに交わしあった目線の一つがもう互いにとっての違えることが出来ない契約であり、何よりも強固な呪まじないであり呪のろいなのでは、と。

 とかく、恋情という呪いと、それによって課せられた死者蘇生の使命に囚われて、俗に人の言う正気というものを見失っていたと後に言われるこの時の私が確かに行ったと断言出来ることと言えば。

 二日二晩を寝込んで過ごした挙げ句に、真夜中に目覚め、親と使用人の目を盗んで屋敷を抜け出し、泥と水に泥んだ道を、誰にも会うことなく振り向くこともなく一心に、途中で脱げた雪駄の行方さえ気にせず。

 私の秘密の恋人が――下宿先を抜けだそうとして失敗し、置き忘れた鎌に首を切り落とされた屍が安置されている百姓小屋に向かい、己の鼓動と吐息だけの響くのと月明かりとを頼りに、一心に、とかく一心に、走ったということだけなのでした。

 霊は一晩で千里を走ると申しますが、唯人であり、しかも足かけ二日ほど、重湯のように薄い粥や汁を促されて舐める以外に殆ど飲まず食わずで泣き暮らし、すっかり萎えた私の足は、屋敷を抜け出して一町を行くか行かないかの辺りで既にふらつき始め、屋敷から一里程離れたそのみすぼらしい小屋へと到着する頃には、殆ど地面を這いずるようにして、泥まみれになっておりました。

 嗚呼、それでも、でもそれでも!
 私は辿り着くことが出来たのです! 

 私の大切な恋人の眠る場所に、私に逢う為だけに命を落とした、誰よりも愛しいロメオ様が――水木様が、荼毘に伏され、郷里に連れ帰られて離ればなれになる前に、どうにかこうにか間に合ったのです。

 彼にとっては不幸であり、ともすれば彼の唯一の伴侶である私からしても大変に屈辱的なことですが――その時の私達には幸いなことに、小屋には本来通夜や葬儀に必要で有るはずの寝ずの番の人間も、どころか見張りも、誰もおりませんでした。

 更には鍵など掛けるだけ無駄であると、私の目にさえ分かる掘っ立て小屋です。ですので、私は周囲に気を遣うこともなく、まるで普段の逢い引きのように、気張りなく、そうするのが極自然であるかのように、するりと潜り込みました。

「う……うっぐ……」

 瓦さえ乗っていない、板を貼り合わせて打ち付けただけの、二間の広さが有るか無いかのみすぼらしい小屋は、いつも静かで清潔な雰囲気を漂わせる彼には見合わぬ程にみすぼらしく、埃の臭いと――噎せ返る程に濃い血と、膿が腐れたような腐臭が漂っており、私は入り口の引き戸に縋ったまま蹲りました。

 激しく咳き込みながら、目に沁みる臭いに慣れるまで暫しそうやって目を閉じて顔を背けつづけた私ですが、どうにか戸の内側へと這い進み、手探りで戸を閉じて、意を決して目を開けた私の驚きを、嗚呼、なんと表現したら良いのでしょうか……!

 小屋の真ん中には古ぼけた茣蓙が敷かれ、その上には、勿論私の愛しい人が寝かされておりました。

 白い木綿の死に装束を着せられ、作法通りに胸に護りの刀を置かれ――その首から上は、何かで斑に染まった汚らしいズタ袋に隠されて、秀麗なそのお顔を望むことが出来ませんでしたが、それでも私には分かるのです。

 えぇ、筵さえ掛けて戴けない、まるで牛馬の死体の如きその扱いに、まるで我が身を蔑ろに扱われたかのように、屈辱に目頭が熱くなったことは否定致しません。

 けれども、私の双眸を濡らす物はその時、既に、強い腐臭に鼻と喉を焼かれたことによる目の痛みでも、屈辱に流れる涙にでもなく、確かに感涙に濡れておりました。

 ――みすぼらしく、雨風を凌ぐだけの場所である小屋には、四方八方に塞がらぬ隙間が開いており、そうして、壁とも天井とも付かず、あちこちに空いた孔から覗く青白い光は――まるで女学校の礼拝堂にあるステンドグラスのように神々しく。

 そうして礼拝堂のソレが全て中心に添えられた主の像を照らし出す為にあるのと同じように――私の大切なロメオ様の血痕が散っても尚、作り物のように青白く美しい身体のあちこちに、まるで彼の蘇生を言祝ぐかのように華々しく、彼の亡骸を飾り付けているのです。

(あぁ……やはり命を、熱を失っても、あなたは誰よりも美しい……)

 私は光に吸い寄せられる蛾のように小屋の中へと歩み寄り、青白い月光に血の色を失った肌を輝かせる彼の白い装束の袷へと手を這わせ、守り刀を手で払いのけるようにして裸の胸を、鎖骨を、ズタ袋に隠された頸と喉との境を、頬を撫で、跨るようにして覆い被さりました。
 
> わたくしとロメオ様の為に > 13(死姦有)
13(死姦有)
 そうして、彼の脚の上へと膝を落として脚を開いて跨って――それは丁度、夢で彼が私を組み敷いた時と殆ど同じような体制でした――口は、乾いた血のべっとりこびりついたズタ袋に向かい、何度も何度も接吻を落とし、時に頸に残った血の跡を舐め取り、その何ともいえぬ生臭さを舌で転がしながら。

 手は、段々と装束の袷を開き、いつも私を抱えて下さった胸板を撫で廻し、そうして遊ばせる指が探り当てた尖りを指先で摘み上げたり指先で引っ掻いたり。時折太股の上にて指先でくるりと円を描いたり。

「――っ、――ァ、――……ん」

 そのような悪戯を何度も繰り返しながら、彼から教え聞いた呪文を唱え続けました。

 すると不思議なことに、温かさを失った死体である筈の彼は、まるで教室の長椅子の冷たい木肌に、座っているうちに熱が移って行くように、段々と私の熱が移って、生き物らしい弾力は全く失って。
 まるで、冷たい石のようであるのに、人肌のような温もりだけが蘇って来るのです。

 そうして、彼の身体が温もりを帯びて来る程に、私の身体には、夢で彼に与えられた物か、ソレ以上の熱が生まれ、寝間着の浴衣を着ていることさえ煩わしくなる程に、汗みずくとなって、身体のあちこちが疼くようになりました。

 そうして――嗚呼、本当に不思議なことに。
 つい先ほどまで、嘔吐く程に気持ちが悪い臭いであった筈なのに。

 今の私には、彼の流す血の臭いが、彼の肌が温まることによって、まるで香木を香炉にくゆらしたかのように立ち上る、生き物の腐って行く時特有の、悪くなった卵のようなあの臭いが。

 もしも薫風というものに本当に匂いがついているのなら、こうであるに違いないと、そう確信できるかのように。

 得も言われぬ芳香のように感じられて、彼の全身を撫で廻し、乾いた血を口にする度、鼻腔から肺一杯に腐乱臭を吸い込む度に、まるでお正月に屠蘇を舐めた時のように、どうしょうもなく酩酊して、もっともっとと求めてしまうのです。

 そうして、気付けば私は、己の浴衣から帯を抜いて諸肌脱いだまま、同じく下半身にだけ丸まった装束を残したのみとなった彼の死体に、布団に突っ伏すかのようにぴったりと重なって。

 顎の上まで捲ったズタ袋に鼻先を突っ込んで、膿んだ頸の傷から彼の乾いた血をば直接じゅるじゅると吸いながら、疼き、立ち上がった胸の上の突起を、執拗に抓ったり擦ったりするうちに鬱血し、同じように立ち上がったらしい彼のソレに擦りつけながら身体を揺らし。

 更には彼の膝を己の両脚で挟み込んで発情期の犬のように腰を揺らし、彼の味と芳香とを身体全体で楽しみながら、同時に、己の身から立ち上る香を、彼の身体に擦りつけておりました。

「じゅっ……じゅるっ……ぷはっ。……――っ……ん」

 そうして、私の肌から立ち上るいやらしい生き物の臭いと、彼の身から立ち上る、厳かで私を何処までも興奮させる死者の臭いとが混ざり合って一層に身を疼かせる香と化し、彼の血を、身を一心に舐め吸う私の口だけでなく、彼の膝の圧迫により、気持ち悦く痺れだした腰の奥の伽藍堂が、彼の身をくわえ込もうと、ぐちぐちと音を立てて涎を垂らしだした頃。

 腰を押し付けて揺らすうちに、私は――はたと気付いたのです。

 膝を立て、腰を揺らすうちに、彼の脚の間へとわりこませた私の臑が揺れる度、段々と当たる堅さと面積と熱さを増やして行く、熱の存在に。
 ――夢の中で、腹の奥で感じた焼け火箸の熱さと、まるで家の基盤に槌で叩き込む棒杭のような質量を持った、彼の物に。

 それを認識した途端、私の中に沸き上がった衝動を己の裡で理解するより先に、私の手は、気付けば、彼の亡骸の上に相変わらずに伏したままに、僅かに腰をずらし、それに右手を伸ばしておりました。

「あふ……あつ、い」

 それが、最初に思ったことでした。
 ざらざらとした木綿越しに、掌を伏せるようにして握り込んだにも関わらず、それはやはり火傷しそうに滾っており、その形を確かめる為、下に、下にと這わせた手をぬるりと湿らせました。

「あっ……やだっ!」

 まさか、私という重しが常に腹に乗っているせいで、お腹が圧迫され、尿でも漏れてしまったのかと、私は相変わらず彼の血に焼かれ陶酔していた身を起こし、濡れて下肢に張り付く彼の衣を確かめました。

 けれど、そこにはまるで無色の染みがあるだけで尿のような臭いなどはせず――寧ろ、何処かで嗅いだことのあるような、死体の生臭さとも、血の臭いとも全くもって違う臭いがありました。

 すぐにそれが、何時だかお父様のご用事で連れて行って戴いた港の、腐った魚などを投げ捨てていた堀から漂った臭い――つまりは磯の臭い――に似ていることに気付きました。

(……男の人も、女のように下肢を濡らすのかしらん?)

 そう思うと、好奇心の方が勝り、私はそっと、彼の腰の所で固まっていた装束を緩め、濡れて赤黒い棒のような輪郭に張り付いている布を、洗い張りした薄絹を剥がすようにして、そっと、そっと捲ってみました。

 ――そうして、剥がれた布を引っ張った拍子に、ぴん、と撓って眼前へと現れた物を真ん前から目にし。

「あ……っ……!」

 私は目を剥き、大きく息を呑みました。
 
> わたくしとロメオ様の為に > 14(死姦有)
14(死姦有)
 目の前に現れたソレはといえば、なんともいえぬ形をし、私の指の動きに、ぶるり、ぶるりと。寒さに震えより一層膨らむ冬の雀のように震え、先端の孔へと溜まった滴を四方に散らしました。

 頭に傘でも被ったかのように、頭のぷくりと膨らんだ、竹の子のように雄々しくて、網傘を纏った茸のように血の流れを浮き上がらせた、ソレを確かに私は見たことがあったのです。それはあの浮世絵で、辰砂で塗り固められた、女の股の間の華を、まるで覗き込むように、嗚呼確かに描かれた男性の身体に描いてあったのです。

 ――そうです、私は生娘であるというのに、ちゃんと分かっていたのです!
 私の辰砂の色をした華に、蜜でぬめぬめと濡れ、現実でも私の指を蛸の吸盤や幼い頃に指を入れた磯巾着のように吸い付いたそれに、突き入れられたのが。

 痛みと未知の刺激との間で泣き叫んだ私を虐め、押さえつけて犯したものが。

 この、まるで殻から引き出された軟体生物のような、グロテスクでありながら何処か哀れな杭であったということを!

 そうして、それを胎に受け止めて、そうして私は彼をば正しい意味で手に入れるのだと、私は分かって此処へと来たのです。

 だから、私の次にすることは、この、納まるべき殻から引きずり出されたような哀れな生き物の上に、殆ど羽織って居るだけのようになった浴衣の裾をはしたなく絡げて跨ることなのです。

 命の絶たれた身体の上で、治まるべき術も納まるべき場所も無くして、所在なさげに震える『彼』を、私の内側にある、赤く咲き、くわえ込んだ己の指をも、きゅうきゅうと締め付ける伽藍堂に、招いてあげれば宜しいのです。

 だけれど嗚呼、まじまじと、哀れな『彼』を見下すうち、どうしようもない哀れみと、もっと所在なさげに震えさせてやりたいという、どうにも尾ていの疼くような甘やかで意地悪な気持ちと――同時に、哀れさと同居する何ともいえない愛しさ――を抱いた私の次にしたことといえば。

「ふふっ……お前、そんなに私に入りたいのかい?」

 そう囁いて、未だ震える『彼』の頭の上に、その持ち主であるロメオ様と逢瀬の度、目を合わす度に交わすような、激しく、互いの境界線を犯し尽くすような物でなく。

「おぉよしよし、ね、そんなに震えないで、いい子におし……んっ」

 別れ際、それを渋る私にいつもロメオ様が私の頬や額に落としてくれていたような、まるで頑是無い幼い子どもを寝かしつけるかのような、柔らかな、唇と、つるりとした先端とが触れ合うだけのそれでした。

 ――にも関わらず、彼は、その小さな口づけにさえ反応し、ブルブルと震えるものだから。

「うんっ……うっ、はぁっ……んちゅっ、ちゅ、んくっ」

 気付けば『彼』の震えを止めようと、両手で強く握り込み、先端と言わず、筋の浮いた身の部分に、その下で震える袋のような場所に、震えながら浮いた玉のような汗に、より黒々と浮かび上がった血管に。

 何度も何度も口づけを落としつつ、時に舐め上げ、時に少しだけ舌を出したまま、ぞろりと擦り付け――と、慈愛に見せかけた色々な被虐を、まるで残酷な遊技を楽しむ稚児のように、夢中で仕掛けておりました。

 ――そうして、どれ程の時間没頭していたのでしょうか。

 垂れた滴を追って傘の下を舐め上げた時、独特のえぐみと共にビリビリと背中を駆け上がって行った電流と、ぶるぶると身を反らしながら小刻みに震える『彼』との動きが殆ど同じになったその時。

 漸く正気に戻った私が口を離して改めて見下ろした『彼』は、己の垂らした滴と、私の涎とに塗れてイヨイヨ軟体生物そのものの姿でてらてらと輝きながら、ぴくり、ぴくりと震えていた先ほどとは比べようもなく、今にも泣き出しそうな子供のように小刻みにプルプルと震えていたのです。

 すると、私の身のうちの華も、それと呼応するように、きゅう、きゅうと脚の間で引き絞られるのがはっきりと分かりました。

「……おいで……。私のロメオ様……っ……!」

 そうして、私は漸く、『彼』を――誰よりも愛しいロメオ様の分身を、私の華を容赦無く散らす杭を、私の胎に彼を与えて下さる物を、己の腹の奥へ、奥へと、飲み込むように迎え入れたのです。

「はひゅっ……! んくっ、ぐっ……はぁああっ!」

 押し上げられるその感触を、なんと例えたら良いのでしょうか。まるで間違って大きな飴を呑んでしまった時のように、涎を流し何度も喉を鳴らしたのは、私の咽喉でしたでしょうか、それとも腹の中だったでしょうか。

 ズルズル、ズブズブと沈み込む度に、これ以上は無いのではないかと思うよりも奥に、容易く進む杭に串刺しにされながら、まるで昔お請で聞いた地獄のように。

 焼けた鉄で腹から喉を串刺しにされているような、頭を真っ白に染め上げるようなその感覚は、私にとって苦しみだったでしょうか。それとも強すぎる快楽の形であったのでしょうか。

 ただ機械的に、上下に刷り上げて居た物を、子を孕む程の奥に押し付けたまま、彼の冷たい胸に手を置いて、魚のように腹を反らして押し付けると、頭が真っ白になり、腰が砕けそうになると気付いたのは何時だったでしょうか。

「はっぁ、あっ、あっ、ロメオさ……ま、はやくぅっ……」

 ただ確かに覚えていると言い切れることは、やがて私の腹に浴びせかけられた物は夢で感じたよりも遙かに熱く、その飛沫は彼の唇が私のそれを割り、攻略しようとする時よりも激しく私の深い場所を打ち。

 更にそれを受け取った私の胎はといえば、情熱的な接吻を受け、口一杯に満たされる物を夢中で嚥下する時のように、彼の舌や指先をを幼子のようにしゃぶる時のように、ごくり、ごくりと、美味しそうに内側を蠢かせたのでした。

 ――その時になって、えぇ、呆れたことに、私は漸く分かったのでした。

 彼の身に命が宿っていた時、私達が――いいえ、恐らく世に言う恋人達というものが――戯れに繰り返して来た接吻も、抱擁も、互いの指先に零した水飴など舐め合うのも。

 ――全ては、この一瞬を知る為に、女が己の半身を身の内側に迎え入れ、孕むことによって、好いた男を永遠に手に入れる為にあるのだということに。

「あっ、ああっ……あっ、ロメオさま……! 私は間違いもなくあなたのもので、あなたはやがて間違い無く私の物になるのだわ」

 私は未だ、僅かな身動きにさえ痺れて腰が抜けたようになる身体を持て余しながら、それでもズルリと這い上がり、未だ熱いロメオ様を半分だけ身の内にくわえ込んだまま、顔の半分を隠すズタ袋越しに、何度も何度も接吻を落としたのでした。

 今は今晩限りの別れだとしても、やがてこの薄く頼りない腹の中で育まれて私の物となる、彼の秀でた額に、鼻筋に――今は濁って虚ろに開かれているだろう――いつもは磨いた玉のように私を写し出す瞳に、私とロメオ様とを永久へと引き裂いた頸にぱっくりと空いた傷に。

 狂ったように幾度も幾度も接吻を落とし、腕を回して抱擁し、いつの間にかまた、無心に腰を揺らし、喉を反らし、浅く眠っては起きて、それを繰り返したのでした。

 そうして、『所有』の快楽に酔いながら、幾度頭を真っ白にし、身を押し付け、彼を所有したことでしょうか。

 壁に、天井に無数に開いた穴から射す月光が朝日に取って変わる頃、その清浄な空気に映った己の肢体は、白濁とした液体や血液にドロドロと塗れ、何とも似つかわしくない程に汚れておりました。

 私の浴衣も装束も、背中で落とした洗いざらしの髪までもカピカピと乾いたソレと、ロメオ様の血とで紅白に彩られ、これでは果たしてどちらが死体であるのか……そう考えて、なんとも言えず笑いが込みあげて来ました。

「ふふ……おそろい、ですわね」

 そう言った私の言葉は、掠れて殆ど声になっていなかったことでしょう。
 だけど、彼の上に折り重なるように頽れながら、その一言を言ったことは確かに覚えて居るのです。
 
> わたくしとロメオ様のそれから
わたくしとロメオ様のそれから
 
> わたくしとロメオ様のそれから > 15
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 それから――それから今までのことは、殆どが、後に再会した彼に聞いたことと、己の断片的な記憶を合わせた物ですので、顛末として語れることは殆どありません。 

 そう、あれから後、この十五年程の事を、私は殆ど自分のこととして覚えていないのです。
 ただ、他人事として聞いた私のそれからのお話を、すこうしだけさせて戴きましょう。

 翌朝、彼の死体を荼毘に伏す為に、小屋へ訪れた僧侶や人夫の皆様は、さぞ驚いたことでしょう。

 ――実際に、驚いたのだと思います。

 なんせ、死体の上に髪を振り乱し、口といわず髪と言わず、裸体の隅々までもをこびり付いた血と体液に濡らした――襤褸雑巾のようであったとは、後にお父様が語った言だと常磐様はおっしゃりました――娘が、覆い被さって、幸福そうで満足そうな、安らかな顔で寝ているのですから。

 ――こうして、今まで隠し続けた私達の関係は公のものとなって晒され、私は晴れて、常磐様のものとなった訳なのでありました。

 皆様、私が死んでいたと思ったそうですが、実際の所、私はこの通り五体満足で生きていた訳でして――とかく、両親へと引き渡され、私はそれから数ヶ月ほど、家から一歩も出ず、療養という形で過ごしました。

 私は、その間のことは知りませんが、どうやら、『死体に誑かされた可愛そうなお嬢様』として、新聞や下世話な雑誌を賑わせたようだと、後に一緒に暮らすこととなった彼が、苦笑しながら古本屋で仕入れたというそれらの雑誌を見せて下さった雑誌で知りました。

 常磐様のことを父や母に叱責されたかと言えば――全くそのようなことはありませんでした。

 どころか、自室に籠もる私を訪ねてくれることさえ無く――だけれど私を叩き出すでも無視するでもなく、ただねえやに一日二食の膳だけは運ばせ続け、身の回りの世話をさせていたようでありました。

 尤も、私はどちらが朝の、どちらが夕の膳であったのか、そも、運んで下さったねえやが何時から別のねえやに代わっていたのか。一体何人と代わったのか、それさえもよく覚えて居ないのです。

 だけれどそうして、父に、母に、ぞんざいに扱われる度に、自分がイヨイヨ血の柵を捨て去って、ロメオ様ただお一人の物となって行くのを感じ、この上無い恍惚に酔うのでありました。

 ですので、明くる朝、胃に入れた物を全てその場に吐き戻してしまった時も、私が真っ先に感じた物は、苦しさよりも真っ先に、例えようのない恍惚だったように思います。

 まだ胎動も始まりません。
 犬の帯さえ必要の無い、命と言えるかも疑問のその魂を、私は確かに感じ、そうして感じたからこそ、心から酔いしれたのです。

 ――嗚呼、私は彼に相応しいように、臓腑の内から隅々まで、少しずつ、身も心も作り変えられているのです。

 幸運にも、余り腹の膨らまぬ体質であった私は、両親が私に会いに来ないこと、私の世話をするねえやが、遠くから事情も知らずに雇われた女であることから、マンマと長いこと、常磐様を己の胎でスクスクと育み続けることに成功しました。

 そうして明くる日、私に縁談があることを伝えに久々に顔を合わせた、憔悴したお父様は、まぁるく膨らんだ私の腹を見た途端、ついに倒れてしまいまして――薄情なことに、その後すぐにお嫁に出された私には、父がその後どうなってしまったのか、杳として知れず、知りたいとも思わないのです。

「ねぇ、結婚ですってよ、常磐様……どんな、方なのでしょうね? 私達との間に入り込みたいだなんて」

 私にとっては、時折、私の腹を蹴り上げて、たまに私の臓腑を圧迫して悪戯して、真に私の物であるのに私の物でない、常磐様が全てでしたから。

 そうして結婚した私は、何故か常磐様の書生先でありました佐々木様の采配によって、彼と同じ、書生だという男性と、料亭にて身内だけを集め、密やかな祝言を挙げ――そうして我が子から引き離され、高原の別荘地に用意された小さな家にて一人、静養することになりました。

 少しの間だけは、夫となる人と過ごしたような気もするのですが、夫は寝室でも絶えず己の腹を撫でる私に、怒り、怒鳴りつけ。

 殴ろうとすれば拳を納め、最後には涙を流して震えながら「俺が悪かった」だの「軽く押しただけ」だの「ただ、君を手に入れようとしている奴が妬ましかっただけなんだ、まさか死ぬとは思わなかった」などと、よく分からないことを言っておりましたが……。

 夫となったその人が喋る度、何かを訴えるかのように――または苦悶するかのように――段々と激しくなった彼の胎動を宥めること夢中になって、碌に聞いてもおりませんでした。

 程なくして常磐様は無事に私の腹からお生まれになり、だけれど生まれると直ぐに、私からは引き離され、どこか遠くへ里子にやられてしまいました。

 ですので、私が生まれたばかりの、再び、私の物であって私の物でなくなった常磐様にしてさしあげられたことと言えば、初乳を含ませたことと、「朱鷹しゅたか」という幼名を差し上げることだけでした。

 それが済み、彼とまるきり同じの切れ長の目が抱き上げる父のかいなから、私の姿を目で追い続けても、「すみません、さくらさん」と母が泣き崩れても――私は「そうですか」と言っただけで、涙を流すこともせず、ただその言葉を受け入れました。

 ――何故なら、私には分かっていたからです。今度は死に別れた訳では無いということが、まるで手に取るかのように、よく、よぅく分かっていたのです。

 そうして今度は、彼の番であるということも、私にはようく分かっておりました。
 今は離ればなれに朱鷹は――いつかまた、私に逢いに来るのだと。 

 そうして――産後の肥立ちが悪く、暫く静養するということで、父か夫か、はたまた母の実家が手を回したのかは分かりませんが――この別荘で、通いの女中一人と下男一人と共に、ずっと暮らしているのです。

 嗚呼そうして、彼の置いていった思い出を――生まれて再び別れるまでに着ていた肌着や、帯の隙間に忍ばせた恋文、縫い上げたおむつなど――を抱き、涙に明け暮れ何度一人で寝起きしたことでしょうか。

 ある日の真夜中、私は、コツコツと誰かが窓を打つ音で目を醒まし、娘の時分にそうしたように、大きく胸を高鳴らせながら、導かれるようにそっと、そっと窓を開けました。
 ――初めての、あの夜のように。

「今晩は、良い夜だね」
「えぇ、本当に月も綺麗で……」

 だけれど今度はあの時とは違い、私は、鎧戸もカーテンも全てを開け放ち、そうして窓の向こうに佇むその人に、大きく腕を広げました。

「――やあ、大分待たせてしまったね、ジュリエッタ」
「いいえ、いいえ! そんなことはありませんよ……! ロメオ様、常磐――朱鷹!」

 そこに居たのは、記憶よりも遙かに若い、だけれど幾度か見掛けた学生服と帽子とに身を包み、闇に紛れるように黒い外套を羽織った、紛れもなく私の秘密の恋人の、常磐様でございました。

 艶々とした頬に、切れ長の黒目――なのに、ほんの少し下がった目尻と、厚めの唇は私に少しだけ似てしまった、愛しい私の秘密の恋人が、少年の姿で。

 ――えぇ、それからの私達は、片時も離れえぬまま、ずっとずぅっと、仲むつまじく過ごし続けたのでした。
 ――毎日を慈しみ合い、愛し合い、睦み合いながら。
 
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