あたしとマサの出会い編
アナザー:君の幼なじみ
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「つッ!」

 そこまで考えて、咄嗟に身体を反らして頭の上のマサの手を避けた。肩を抱き、いきなりの動きに付いていけずに中空に手を出したままのマサを睨む。

「あーぁ、折角なついたにゃんこに逃げられちゃったにゃぁー」

 そう言ってその手で、猫っ毛の前髪を掻き上げる。
 まるでそれこそ、被った猫を前髪と共に後ろ脱ぎ捨てるようにして。
 そしてそれだけで――奴の顔からもう先ほどまでの笑みは無くなっていた。
 いや、笑ってはいるのだが。その笑顔が何とも言えずギラギラとしている。
 まるで、獲物に飛びかかろうと、うりうりお尻を振って気合いを入れる時の猫のように。

「あああぅ、あう、う」

 ――背筋にぞくりと走ったものの正体を確かめる前に口が動いた。

「いいか、今から変な質問をするぞ」
「何を今更、俺とキミとの仲でしょー?」

 今までで一番ちゃんと喋れたおかげで頭に伸ばされた腕にびくりと肩を震わせると、自称マサという男はきょとりと猫目を見開いた後、ひらひらと振った手を机においた。

「ほら、これで安心だろ」

 危険を訴えていた心臓がほっと落ち着き、詰めていた息を吐く。
 自称マサは、あたしを『君』と呼んだ。ということはあたしは、極度の緊張の余り個人情報をベラベラ喋ったりはしていないようだ。

「き、聞くぞ、きくったら、聞くんだからなっ」
「はいはーい」
「マサ、マサは……お、お前は」
「あー、また口調戻った。折角餌付け調教までしたのに」
「は、ちょ、ちょうきょ……!」

 唐突に口走られた些か危険な響きの言葉にあたしは今度こそ椅子からずり落ちそうになった……のを、向かいから身を乗り出したマサに髪を掴んで引き留められた。

「おっと、危ない」
「いたっ……!」

 惚れ惚れするほどの男顔だと言われるあたしが、未練がましく伸ばしている『女』の部分、背中まである自慢の黒髪を躊躇い無く縄でも引き寄せるように。
 そしてその端正な顔のなんたる嬉しそうなこと! あぁ確かに調教って単語も自然と口に出るだろうよ、人畜無害そうな顔しおってに。

「このクソ野郎が!」
「ん……」

 目の前の光景に頭が真っ白になった直後、浮かんだ罵声をそのまま浴びせてしまったが、マサは一向に構いはしない。

「痛くなかった?」

 どころか、まったく構った様子もなく、あたしの頭を真っ白にした行為を繰り返して、こちらの思考を、今度は罵声さえ出て来ない所に持ってく。

「うあああああっ! さわ、さわるな!!」

 だってだって、あたしと違い、真っ当なコミュニケーションと会話が成立するようなやつでもこれ、二の句が告げなくなるに決まっている!

 物心付いてからは幼なじみにもさわらせたことの無い髪の毛先に、く、く口づけって、えっ。
 やめ、においをかぐな、笑うなはなせ、はなせっ!! ひったくるぞ!!

「んーと、しいて言うなら何でも知ってるお兄さん的な?」
「は?」

 自慢の髪を取り返そうと綱引き宜しく両手でグイグイ引っ張っていた所から唐突に我に返った。
 ぱらりと、捕まれた時と同じくらい無造作に、ぱっと手を離された髪がばらけてピザのお皿に突っ込みそうになり、あわてて手元にたぐり寄せる。
 幸いなことに、ソースも付いてなければ、目の前の正体不明男に髪の毛入りのカフェオレを飲ませる心配もなさそうだ。
 嫌がらせとしては覿面だろが遠慮する。
 ――なんだか知らんが、今のあたしは、この男に髪の毛一本どころか引っかいて爪の間に残る皮膚さえ与えたくない。

「よしよし、怖かったろうあたしの髪」
「それは毛髪に言う台詞かい?」

 まぁいいから座りなよ、と促されて初めて、マサの顔が自分の目線より下にあることに気づき、同時に自分が椅子から立ち上がっていたことに気づく。

「驚いたな……記憶が無い」
「あーやっぱ無意識か今の」

 大体、この男があたしの可愛い髪を蹂躙して、「知らなかった、これ、はちみつの匂いがしたんだね」とのたまった辺りから。

「凄かったよ。「離せ、今すぐ離せ、破裂して死ぬ!」っていいながら連獅子の勢いで髪を振り回された」

 他人の口から聞けば、本当にとんでもない痴態だ。心なしか頭痛までしてくる。

「……鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けてからの記憶がない」
「なるほど、純粋なキミは俺の殺し文句に本当に殺されそうになったと」

 言われ慣れてないんだね。照れちゃって、かーわいい。と、また目を細められたのに、大人しく椅子に座りなおして、ぷいっとそっぽを向く。

「精神科を受診するか、純粋に歌舞伎を愛でることがおすすめ」
「えーっ、流暢に喋れるようになった途端デートのおさそいー? 積極的ー」
「そんな訳があるか」

 連れないなぁと、器用にも顔に掛かる前髪をふぅと吐いた息でまくり、マサはぶーたれて頬杖をついた。

 動揺の余り連獅子の様相を呈す初対面の女がどうやったら可愛く照れていると思うのか。
 そんな奴はあたしのような男顔の女でなく、男前の歌舞伎役者を見ていれば宜しい。
 そのような意味だと懇切丁寧に説明してやった所で、はたと気づく。
 ――そうだ、あたしはこの男と初対面であるが、この男はあたしを前から知っているのだ。
 そして、さっきの一言は、「お前は誰だ」というあたしの問いへの答えだということにも、やっとこさ考えが行き着いた。
 だが、今の通り動揺していたため、確証はもてない。
 だから――確かめねばいけない。
 ふぅと息をついて殆ど氷水になったアイスティで唇をしめらせ、再びマサに向き直った。

「マサは」
「ん?」
「マサじゃなく、『何でも知ってるお兄さん』なのか?」
「ブッ!」

 端正な顔に生まれると、丸い目をいっそうに剥いて、唇を歪めて盛大に吹き出しても端正だと初めて知った。

「くくく……! そこ、そこに話を戻すの……!」

 その知る喜びに身をゆだね、恍惚とすることでこの怒りを逃がそう、そうしよう。
 言い聞かせ、テーブルに乗せた拳をプルプルと震わせていると、漸くそれに気づいたマサが、「怒らないで?」と秀麗な眉を寄せてのたまい、あたしの拳を包んだ。
 その手が存外あったかいものだから、益々猫のようだと思った。
 更に、条件反射のように伸ばした手が長い髪を指に絡めて、チクリと痛みが走るまで引っ張られればなおさらに。
 ――別の所もチクリとしたが、これはきっと服のタグの取り忘れであろう。

「正確には、このキャンパスとキミのこと限定で、しかも大体だけどね」 実際、キミの髪から蜂蜜の匂いがすることを知らなかったと、真顔で言われ、咄嗟に壁の方を向く。
「つまり『何でも知ってるお兄さん』は自己による過大評価か」
「そんなこともないよ」

 と、マサは絡めた時と同じく唐突にあたしの髪を解放した。
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