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あたしとマサの話
あたしとマサの出会い編
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アナザー:君の幼なじみ
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> あたしとマサの出会い編
あたしとマサの出会い編
> あたしとマサの出会い編 > 1
1
出会い、というほど大げさな物じゃあないけど、奴が最初にあたしと接触して来たのは、近所の大学のカフェだった。
前の日の徹夜が響いて、ご飯を作る気にならなかったし、一週間も引きこもっていたから、人の声が聞きたかった。
あたしは、人間というものを見るのも、自分が人間として見られるのも煩わしいと常日頃思っている。
だけど、人間の声を聞くのは嫌いじゃない。
だってほら、キャッチボールが出来ない人でも、バッティングセンターでミットを構えることは出来るじゃない。
投げ返さなくていいのなら、あたしは言葉を浴びるのが嫌いじゃないのだ。
大学には、カフェとは別にランチメニューの充実した食堂がある。だから、ジャスト昼時を狙うと以外と空いていたりするのだ。
だけどその日は珍しく込んでて……でも何とか、一階の半分の面積を覆う二階席。
その一番隅、殆ど壁と同化するように角に合わせて寄せられた二人用席に座ることが出来た。
二階席はわざわざ階段を登らなきゃいけない上、階段が入り口の正反対にある。
だから、そこはカフェで一番人気がなくて、だからこそ、あたしのお気に入りだった。
あたしとそう年も変わらないくせに、学生生活を謳歌している奴らと同じ空気を吸うまでは出来ても、肩を並べるのはまっぴらごめんだから。
二階席でしかも壁際。下手をしたら注文する人さえ気づかない些細な場所。勿論、カフェの入り口からは見えないし、一階ホールから見上げても見えない。
「ミ、ミル、ル、クティを……」
「かしこまりました」
なんて、どもりながら注文するまでに、まずは「すみませぇん!」なんて声を掠れさせ、ブンブン手を振らなきゃいけないほどに、店員さえ通りかからない。
(ふふっ、人がゴミのよう……)
なんて、一階の混雑に呆れて鼻を鳴らしたのだって、下の煩い固まり達は気づいていなかっただろう。
だから、ここに座っている人を『偶然』捕まえるのは、よっぽど注意して探さないと難しいだろう。
だからうん、やっぱり『出会い』っていうのは適切な言い方じゃないかもしれない。
奴の言い分によると、奴は私の視界の外からずっとあたしを伺っていたそうだから。
つまり、あたしが『奴との出会い』と言って話し出そうとしているこの話は、奴にとっては『あたしの生活圏内に飛び込んだ』話なのだ。
「縄跳びみたく、タイミングを見て、ぴょんって」
その時の話をする奴の、もうこんな前置きだけでも、あたしと奴との間にある天と地ほどの差が分かるというものだ。
> あたしとマサの出会い編 > 2
2
とかく、あたしたち二人の出会いは、肩を預ける壁とほぼ同化するようにして、混雑の極みなホールを意識から閉め脱してあたしに。
奴が「タイミングを見て、ぴょん」と、話しかけて来たこの一言から始まるのだ。
「ここ、空いてますか」
「あ……あう?」
人混みを見下ろすのも、次のクエストの戦略を立てるのにも早々に飽きて。
読書にシフトしていたあたしは、その声に目で追っていた文字からやや視線をはずした
本の下から見えのは、いつの間にかこの二階席にまで浸食していた沢山の脚と声。
そんな状況にも気づかず本を読んでいた自分が急に恥ずかしくなって、思案に眉を寄せる振りをして声を出す。
あぁ諸氏よ! どうか驚かないで聞いて欲しい。
人間という因果な生き物は、三日くらい誰とも会話をしないと声の出し方さえ忘れるのだ。
我ながら、最初によく注文が言えたものだと思う。
それ以前に、どうやって店員さんを呼び止めたのだったかも思い出せない。
「えっと」
――大丈夫、声はちゃんと出た。
早く返事をしないと。焦りながらも、何とか声を絞り出す。
「空いてます……よ?」
ゆっくり顔を上げながらようようその台詞を言い終えて完全に正面を見据えたその時には。
空席の有無を確認したはずの奴は、既に私の真正面に座っていた。
「はへっ?」
なぁんて思わず変な声を出してしまったのには、コミュニケーション不全以上に理由がある。
いきなり視界に奴が現れたこと。
見ず知らずの人間に相席を申し入れるスカウターでも計算できない社交性。
しかも勝手に座った上、中々通らない店員をたやすく呼び止めて「カフェラテ一つ」なんて涼しい声で言っているその空気の読めなさ。
そして――それらなんか霞んでしまうくらいの、もっととびっきりな理由も。
「あれ、どうかしましたか?」
――ふふふ、諸子よ、驚くなかれ。
眉を上げ、思わず大声を出したあたしを見るその顔が、きょうび大学どころかそこらへんの街中でも見かけないような、女のように端正な顔の男だったからだ。
「ん?」
幼い子どものように、無邪気にかくんと首を傾げる様さえ、様になっているのだから、これはいよいよ本物の端正だろう。
(あぁ、端正だ。空気を読むことを免除される生き物、端正だ)
なるほど、ならば空気など読まなくても許されるだろう。
むしろ、こんな端正に相席を申し入れられて断ったら、友人から村八分になるに違いない。
職場でお局に苦いお茶を入れられるに違いない。
まぁ、ネトゲの中でさえギルド以外に友人が居ない、学校どころか定職にも就いていないあたしにはまっさら関係ないことだけど。
「えっと、とっと、えっ……あうっ」
しかし、だがしかし、こちとら、男どころか家族とも挨拶以外の会話をしていない身。
化粧だってしてない上に、異性で唯一の友人で幼なじみにはには「お前って羨ましいくらいに男前な顔してるよな」とマジマジ言われるような顔立ち。
顔を付き合わせた時点でお腹を向けて横になってるかの完全な敗北なのだ。声を失い頭が真っ白になるのは必然ってものだろう。
「あっと、えっとあの……」
読みさしの本を唯一の盾に正視に耐えない顔を隠し、もごもごと口を動かしてみるのが関の山というやつだ。
はっきり言って気持ちが悪い奴だ。普通なら別の世界の住人と仮定して、即刻コミュニケーションを諦めるレベルだ。
じっさい、近所のコンビニでバイトしているおねぇさんは、あたしを男だと間違えて告白してから、一切話しかけてくれない。
勇気を出して声を掛けた相手が同性、しかも顔を真っ赤にして「あたし、おん、おんっ」とか内股でふにゃふにゃモゴモゴと答えてくるだなんて。
恐らくトラウマ物のキモさだったことだろう。
目を合わせてしまった途端、思い出して凹んでしまった。つい、俯く。
「ん? やっぱり迷惑だった?」
が、目の前の端正はというと、あたしとコミュニケーションを取ることを全く諦めなかったのである。
「ちちちち、がががっ、ちが、ちが……!」
「うん。で、なぁに?」
「あわ……!」
俯いた顔をのぞき込まれて、がばっと顔を上げて思わず背筋を伸ばした。
そうしたら嫌でも、枠で切り取ったように視界いっぱいに入ってしまう、見事な端正。紛うことなき端正。
染めているのか、ふわふわなキャラメル色の猫っ毛。大きな目が微笑むように細められると、丸い癖に目尻のきりっとした、所謂猫目だってことが分かる。
身体にフィットしたビロードのような質感の茶色い上着の二の腕は細くて、なのに見える首や肩はぷにぷにしていない。もし筋肉がついていたとしたら相当柔軟な身体なのだろう。
幼いころよく読んだ大好きな絵本の「猫の国のアビシニアンの王子様」を思い出してしまった。
そしてその王子様はといえば、顔を上げたままいきなり固まったまま、自分を凝視し始めたあたしに、にっとチェシャ猫のように微笑む。
そして、まるで猫が香箱を組むように頬杖をついて、その真ん中に小さなおとがいを乗せたのだった。
「はな、ななし……が」
「俺に? 何の話があるの?」
きょとり、首を傾げたその視線は、明後日の方向に視線を逸らそうとした私の目を追いかけて微笑む。
――完全に、人の話を一語一句逃さず漏らさず聞く姿勢だ。
「えっ、えっと、話、話は……」
てめぇの無駄にいい顔で頭から全部吹き飛んじまったよバカーっ!
半泣きになりながら睨むけど、端正王子は動じない。どころか、嬉しそうにうんうんと頷いてみせる。
気づいているのだろうか、「あなたの話にとても興味があります」というその姿勢は、話が下手な人間に対しての拷問だ。
そして、聞く側にとってもそれは変わらないはずなのに。
「あっ、あな、あなた……」
――あなたは、あれですか、マゾヒストですか?
その一言を口に出しそうになって両手で口をおさえて気づいた。
あぁそうか、言ってる意味が分からないって顔をして、また本に目を落とせばそれでいいのだと。
と、その時、端正野郎の頼んだ飲み物がやっと到着した。店員に「ありがとう」と花の咲くような笑顔で笑い、端正はそれを一口啜った。
その後、口を真一文字に結んで睨みつけるあたしを見て、またチェシャ猫笑み。
「あ、因みに黙秘権は無いからね」
そう言って、「追加で君の飲み物のおかわりと、あと、サイドメニューを頼むくらいの余裕はあるよ」と、テーブルからお財布を拾い上げて振ってみせる。
――嗚呼、違いますね、マゾヒストでなくてサディストですねあなた。
がくりと頭を落とした私は、また、「あ、あのあ……」から言葉を発し、そしてやっとこ、一番最初に発しようとした言葉を思い出したのだった。
> あたしとマサの出会い編 > 3
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「……うえっと、言いましたっけ?」
「えっと、誰が? 君、それとも俺?」
「あたし! 言いましたっけ、いいですよって、席」
「あっちゃぁ。そこまで戻ったか」
漸くその言葉を発したその時、ランチの混雑は大分落ち着き、端正野郎とあたしの間には二人前のピザの平らげ終わったお皿が置かれ。
更にあたしは、その端正野郎が「マサ」と言う名前で、この学校の院生だと言うことを知った。益々猫のようだ。
「ほら、がんばって、結論まであと一息だ。言えたらアイス買ったげるから」
「あたし、あたしが……まだいいって、言って無いのに何で座りましたか! 初対面だろうが! 緊張しないのですか相席マニアかおのれは」
「うん、さっきよりは少し言葉が自然になったね」
マサ野郎は私が言葉を発する度、あたしの前髪を掻き上げるようにして頭を撫でる。
最初は「もうこの世の終わりってか、世紀末みたいな顔してるよ」などと指摘されていたあたしだが。
そろそろ、引っ張られる前髪にも、額に当たる、猫に引っかかれてるみたいな爪のちくちくにも慣れてしまっている。
目立たない席とはいえ人前で、端正な男に頭を撫でられてみてくれ。
あたしでなくてもきっと、もうどうにでもなぁれって気分になるはずだ。もう何もこわくない。
「黙って質問に答えやがれ」
「あら、汚い言葉使い」
そして、そうやって慣れるまで頭を撫でられたということは、暫く食べること以外に使われなかった口も十分なウォーミングアップが済んで絶好調だ。
そう、私とコミュニケーションを計る時の第二関門がこれだ。慣れてない人と会話にならない代わり、少し気心が知れた人には何でもべらべらと喋ってしまうのだ。
そうして大体は、苦労して喋らせた結果がこんな性格だと知ると、酷くがっかりした顔をする。
「キミのような女の子は、そんな汚い言葉を使っちゃだめだよー」
「あいたっ」
が、マサは全く気にする様子が無い。
どころか、背中まであるあたしの髪を一層グシャグシャと乱し、少しばかり嬉しそうでさえある。
「おしおきだから痛くしてるんだよ」
「嘘ださっきから撫で方が乱雑だ」
――あたしと話してこんな顔をする奴というのを、あたしは幼なじみしか知らない。
「……ん?」
「どーした?」
ということは、生まれた時から付き合いがあって、月に一度は飲みに行く幼なじみとさえ、つい数刻前に相席した名前も知らない男と同じくらいの絆しか作れないということか。
「なんか知らないけど、しょんぼりしてるのは分かったから頭撫でとくね」
「えぇい、さわるなうざったい! おぐしが乱れに乱れるわ!」
「……言い回しの矯正は諦めようか。まぁ、喋れただけで上出来だね」
きっと、喋る相手遊ぶ相手に困らないくらい恵まれた容姿と人格を持つと、脳がハードな刺激を求めて少しおかしくなるのだ。
あぁそうか、きっとそうに違いない。
「まぁー。おかしいっちゃおかしいかな?」
気付けばそれも声に出ていて、マサはあたしの頭を撫でながらげらげらと笑い出す。はて、もしや酒でも入れてしまったんだろうか。いやいや、ここは大学のカフェテリア。間違ってもアルコールのたぐいは無いであろう。
「まぁ、酔ってはいるけどアルコールじゃないよ」
しまった、また言葉になっていたらしい。頭を撫でられて気づくとは、やはり久々に外出すると頭の巡りが悪いようだ。
なら何に酔ってるというのだかと思考を巡らすと、しいていうなら幸せかな、と返事が返ってきた。
「なんせ一週間ぶりだもんねぇ。キミが大学くるの。思わず声もかけるっての」
あぁそうかそうかなるほど、だからこいつは、ついあたしなど相手に相席などという暴挙に――っておい!
> あたしとマサの出会い編 > 4
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「つッ!」
そこまで考えて、咄嗟に身体を反らして頭の上のマサの手を避けた。肩を抱き、いきなりの動きに付いていけずに中空に手を出したままのマサを睨む。
「あーぁ、折角なついたにゃんこに逃げられちゃったにゃぁー」
そう言ってその手で、猫っ毛の前髪を掻き上げる。
まるでそれこそ、被った猫を前髪と共に後ろ脱ぎ捨てるようにして。
そしてそれだけで――奴の顔からもう先ほどまでの笑みは無くなっていた。
いや、笑ってはいるのだが。その笑顔が何とも言えずギラギラとしている。
まるで、獲物に飛びかかろうと、うりうりお尻を振って気合いを入れる時の猫のように。
「あああぅ、あう、う」
――背筋にぞくりと走ったものの正体を確かめる前に口が動いた。
「いいか、今から変な質問をするぞ」
「何を今更、俺とキミとの仲でしょー?」
今までで一番ちゃんと喋れたおかげで頭に伸ばされた腕にびくりと肩を震わせると、自称マサという男はきょとりと猫目を見開いた後、ひらひらと振った手を机においた。
「ほら、これで安心だろ」
危険を訴えていた心臓がほっと落ち着き、詰めていた息を吐く。
自称マサは、あたしを『君』と呼んだ。ということはあたしは、極度の緊張の余り個人情報をベラベラ喋ったりはしていないようだ。
「き、聞くぞ、きくったら、聞くんだからなっ」
「はいはーい」
「マサ、マサは……お、お前は」
「あー、また口調戻った。折角餌付け調教までしたのに」
「は、ちょ、ちょうきょ……!」
唐突に口走られた些か危険な響きの言葉にあたしは今度こそ椅子からずり落ちそうになった……のを、向かいから身を乗り出したマサに髪を掴んで引き留められた。
「おっと、危ない」
「いたっ……!」
惚れ惚れするほどの男顔だと言われるあたしが、未練がましく伸ばしている『女』の部分、背中まである自慢の黒髪を躊躇い無く縄でも引き寄せるように。
そしてその端正な顔のなんたる嬉しそうなこと! あぁ確かに調教って単語も自然と口に出るだろうよ、人畜無害そうな顔しおってに。
「このクソ野郎が!」
「ん……」
目の前の光景に頭が真っ白になった直後、浮かんだ罵声をそのまま浴びせてしまったが、マサは一向に構いはしない。
「痛くなかった?」
どころか、まったく構った様子もなく、あたしの頭を真っ白にした行為を繰り返して、こちらの思考を、今度は罵声さえ出て来ない所に持ってく。
「うあああああっ! さわ、さわるな!!」
だってだって、あたしと違い、真っ当なコミュニケーションと会話が成立するようなやつでもこれ、二の句が告げなくなるに決まっている!
物心付いてからは幼なじみにもさわらせたことの無い髪の毛先に、く、く口づけって、えっ。
やめ、においをかぐな、笑うなはなせ、はなせっ!! ひったくるぞ!!
「んーと、しいて言うなら何でも知ってるお兄さん的な?」
「は?」
自慢の髪を取り返そうと綱引き宜しく両手でグイグイ引っ張っていた所から唐突に我に返った。
ぱらりと、捕まれた時と同じくらい無造作に、ぱっと手を離された髪がばらけてピザのお皿に突っ込みそうになり、あわてて手元にたぐり寄せる。
幸いなことに、ソースも付いてなければ、目の前の正体不明男に髪の毛入りのカフェオレを飲ませる心配もなさそうだ。
嫌がらせとしては覿面だろが遠慮する。
――なんだか知らんが、今のあたしは、この男に髪の毛一本どころか引っかいて爪の間に残る皮膚さえ与えたくない。
「よしよし、怖かったろうあたしの髪」
「それは毛髪に言う台詞かい?」
まぁいいから座りなよ、と促されて初めて、マサの顔が自分の目線より下にあることに気づき、同時に自分が椅子から立ち上がっていたことに気づく。
「驚いたな……記憶が無い」
「あーやっぱ無意識か今の」
大体、この男があたしの可愛い髪を蹂躙して、「知らなかった、これ、はちみつの匂いがしたんだね」とのたまった辺りから。
「凄かったよ。「離せ、今すぐ離せ、破裂して死ぬ!」っていいながら連獅子の勢いで髪を振り回された」
他人の口から聞けば、本当にとんでもない痴態だ。心なしか頭痛までしてくる。
「……鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けてからの記憶がない」
「なるほど、純粋なキミは俺の殺し文句に本当に殺されそうになったと」
言われ慣れてないんだね。照れちゃって、かーわいい。と、また目を細められたのに、大人しく椅子に座りなおして、ぷいっとそっぽを向く。
「精神科を受診するか、純粋に歌舞伎を愛でることがおすすめ」
「えーっ、流暢に喋れるようになった途端デートのおさそいー? 積極的ー」
「そんな訳があるか」
連れないなぁと、器用にも顔に掛かる前髪をふぅと吐いた息でまくり、マサはぶーたれて頬杖をついた。
動揺の余り連獅子の様相を呈す初対面の女がどうやったら可愛く照れていると思うのか。
そんな奴はあたしのような男顔の女でなく、男前の歌舞伎役者を見ていれば宜しい。
そのような意味だと懇切丁寧に説明してやった所で、はたと気づく。
――そうだ、あたしはこの男と初対面であるが、この男はあたしを前から知っているのだ。
そして、さっきの一言は、「お前は誰だ」というあたしの問いへの答えだということにも、やっとこさ考えが行き着いた。
だが、今の通り動揺していたため、確証はもてない。
だから――確かめねばいけない。
ふぅと息をついて殆ど氷水になったアイスティで唇をしめらせ、再びマサに向き直った。
「マサは」
「ん?」
「マサじゃなく、『何でも知ってるお兄さん』なのか?」
「ブッ!」
端正な顔に生まれると、丸い目をいっそうに剥いて、唇を歪めて盛大に吹き出しても端正だと初めて知った。
「くくく……! そこ、そこに話を戻すの……!」
その知る喜びに身をゆだね、恍惚とすることでこの怒りを逃がそう、そうしよう。
言い聞かせ、テーブルに乗せた拳をプルプルと震わせていると、漸くそれに気づいたマサが、「怒らないで?」と秀麗な眉を寄せてのたまい、あたしの拳を包んだ。
その手が存外あったかいものだから、益々猫のようだと思った。
更に、条件反射のように伸ばした手が長い髪を指に絡めて、チクリと痛みが走るまで引っ張られればなおさらに。
――別の所もチクリとしたが、これはきっと服のタグの取り忘れであろう。
「正確には、このキャンパスとキミのこと限定で、しかも大体だけどね」 実際、キミの髪から蜂蜜の匂いがすることを知らなかったと、真顔で言われ、咄嗟に壁の方を向く。
「つまり『何でも知ってるお兄さん』は自己による過大評価か」
「そんなこともないよ」
と、マサは絡めた時と同じく唐突にあたしの髪を解放した。
> あたしとマサの出会い編 > 5
5
「例えばこのカフェ」
そのまま長い指でカフェの全体を指すように、中空に八の字を描く。それにつられるように見回すと、流石に客は疎らになっていた。
「今日の昼にあんなに混んでたのは、このカフェの向かいの棟で、ゼミ発表より規模が大きくて学会程の権限がない、他校同学部との懇親会があったからとか」
「へぇ」
「本当に学会とかになるとカフェに入りきらないからね。キミは半年くらいの常連だから知らないだろうけど」
今日以上の混雑と聞いて、マサのたぐり寄せる情報に一時わいた好奇心の芽は一瞬にして縮んだ。
「うん、止しておいた方がいい。キミは人混み嫌いでしょ?」
また口に出していただろうかと口に両手を当てれば、「あれ、当たり?」などと無邪気に笑まれた。
それを見て、ふと肩の力が抜ける。
「くくくく……」
「おや、新しい遊びかい?」
嗚呼、極度の緊張から安心すると、高笑いなど出るのだな、あたしというのは。
こいつは、あたしのことを何でも知っていると言ったが、恐らくは、このカフェで見かける範疇でしか知らないのだろう。
――例えば、本が好きとか、コーヒーより紅茶派だとか、いつも何時頃ここに居るかとか。
そういう注意深く見るか調べるかすれば分かることを、さも知っていかのように話しながら推量で探る。占い師なんかが使う手口だ。
つまり、この男があたしについて何か知っていようと、それは占いのようなもので、推量の域を出ないのだ。
そして、そういうトークは、あたしのように話しかけられると萎縮する癖にベラベラ喋りたがる人間には覿面だ。
……といったことを、説明の難しさに何度も聞き返されたりどもり、最後にはマサに借りたノートの切れ端に絵を描いて何とか説明した。
「うん、まぁその通り。キミのことに関しては情報がないから殆ど推量。で、今みたくキミにぶつけて正誤を見てる」
今までよりも複雑な内容が、図形の力も借りながらも、初めて自分の言葉で伝わったことに達成感を得て、あたしはフンと胸を張った。
「キミは賢いねぇ。てっきり変な壷とか買わされるタイプかと」
「そんな無駄遣いはしない」
その頭を、理由は知らないながら、あたしを騙そうとしていた男が誉めて撫でるというのも、それが心地いいというのも変な話だが。
とかくこの時、いよいよあたしの時代と言っても過言でないほどの達成感を得ていた。
しかし、物事は必衰。この時代は次の一言であっけなく幕切れを迎える。
「じゃあ、キミに関する情報でとっときの、これはどうかな」
「ほう、生い立ちでも当てるか?」
「いんにゃ。あのさ、キミさ……」
マサはニヤリと嫌らしく笑うと、こちらに身を乗り出し、耳に口を寄せて来た。
どうやらまたあたしの動揺を誘うつもりらしい。その手には乗るかと、鷹揚に片目を瞑ってみせたら、マサも笑顔を返して。
「この学校の生徒じゃないよね。というか、仕事も学業も何もしてないでしょ。毎日明け方まで一人で何してるの? やらしいこと?」
「え……?」
言葉の意味を理解する前にくちゅ、と耳元で音がなった。耳に軽くキスされたのだ。それが与える感覚に背筋を反らすより先、吐息混じりの声が、やや上擦って、吐息混じりの言葉をあたしに流し込んだ。
「寝不足で隈まで作って、あぁ勿体ない。手もこんなボロボロにして」
手のひら優しくなで回す手が、ここ暫く、本と同じだけ握り続けたコントローラーで出来たタコをつつく。
「しかも昨晩は苛立って壁まで殴ったね? この、ダメニートが」
> あたしとマサの出会い編 > 6
6
侮蔑と慈しみの両方。それを両方吹き込まれて、人付き合い初心者の頭が混乱しない訳がない。
――言葉を吹き込まれたそこから、全ての音が消えるような錯覚を受けた。
「ほら、とっときの情報だったでしょ?」
にも関わらず、身体を離して微笑むマサは、さっきまでのマサだった。 何でもないように身体を離し、悪びれもなく肩をすくめる。
それが、その仕草が、とっても恐ろしかった。
だって、だってそれって、あたしがマサを知らないのに、マサがあたしをしっているっていうことを。このどうしようもないねじれを。
(こいつは……当たり前のこととして処理してるってことでしょ?)
――でも、マサのその手管、あたしは責められないのかも知れない。
「ね、なんで」
「ん?」
「なんで、知ってるの?」
こくりと喉を鳴らして振り絞った声も、漫画や三文芝居のように白々しかったから。
「……俺が、『何でも知ってるお兄さん』だからじゃ不満?」
「おおいに……不満」
自分が知らない人間が、自分のことを知っているというのは凄くいやだといったことを、がんばって伝えたところ。
マサは椅子の背を後ろに傾け、さもめんどくさそうに肩を竦め。
「俺ら、それほど他人じゃないと思うけどなぁ」
と、顔の前で両手を三角に合わせ、間にふぅとため息を溢して。そして、その手と前髪の伺うように上目遣いであたしを見上げて。
「だって、俺ら、ちょっと前からもう名前で呼び合う仲じゃん」
――本日何度めかの爆弾を与えてきた。
「なま、え……? 名前だと!」
「そ、お名前。俺、ずっと呼んでたじゃない。いっぱいの愛情を込めて、『キミ』って」
再び伏せた色の白く薄い瞼には、淡い桃色が宿っている。先ほどまでのにやにや笑いとは違い、あたしの顔をちらと見てはまた顔を伏せる潤んだ瞳。
「みんなマキちゃんって呼ぶでしょ。でもそれじゃダメなんだよ。俺だけの呼び方じゃなきゃ」
口元を覆う手のひらごしに言っているからには、それはどうやら独り言のようなのだが、有無をいわさぬ雰囲気を持っている。
「お前は何を言って……」
これに一番近いものをあたしは最近みた。
その存在と黒目の全てで「私は貴方が大好きです」と訴えた。そう謙虚に伏せられた癖に、長い睫の下で、ずっと自分の正当性を訴えていたもの。
何とも傲慢で押しつけがましい癖に、早とちりした自分じゃなくて、あたしが女に生まれたことを責める。
――あたしがあたしであることを、あたしの存在の全部を肯定しつつ、否定することを許された。
「ねぇ、ほんとは呼ぶ度にゾクゾクしてたんだよ真君(まきみ)ちゃん
――熱っぽく潤む、恋する、少女の瞳。
> あたしとマサの出会い編 > 7
7
「やめ……て」
そんな目でみないでくれ。あたしはお前のような、彼女のような人間に惚れられるような器をもっていない。
美しくて、人と交わりたいと、あたしなんかのような人を慈しみたいと思っているような人間に、君たちに応えられる器なんかをもってなんかいないんだ。
「みないで……!」
――だから、そんな目でみないでくれ、あたしに何も期待しないでくれ!
そんな真摯な目で見られたらバレてしまう。見えてしまう。
あたしが醜いことが。いかに卑屈で大柄で、そして――自分に自信がなのか。
だから、こんな近くであたしをみないで!
「やだ!」
その目から逃れる為に目を閉じて、更に顔を隠そうと咄嗟に両腕を顔の前で交差させた。だが、そんなものはマサには全く通用しなかった。
「いっ……!」
顎を捕らえて来た手をがむしゃらに頭を振って払いのけたら、今度は髪の毛を捕まれた。
痛みによる不可抗力で上を見上げれば、やっぱり顔を隠す前と同じ。一方的な思慕があたしを見下ろしていた。
「あのね『キミ』の本当の名前を知った時、本当に嬉しかったんだよ。友達にさえ秘密なこと、知れたんだってね」
「お前に知られる筋合いはない」
――真君という名前があたしは嫌いだった。
最初はどこだろうか。まーくん、まー坊、男女とからかわれた時だったろうか。
小学校を卒業して以降、上だけを取り、『マキ』とだけ呼ばせ、それを無理に定着させた。
苦労は要らなかった。高校の半ばから学校に行かなくなったので、呼ばれる必要がなかったのだ。
家族もマキ、で呼ばせていて、本当の名を知るのは、戸籍だけになったと思っていたし、やっぱり真君よりマキの方が好きだ。
――だけど。
「それで、『キミ』って呼び名を思いついた時も嬉しかった。誰かに呼びかけるだけで、名前を呼べるって」
「……普通に、真君って呼んでも多分お前だけしか呼ばないぞ」
どうせ誰も呼ばない名前なら、この男に呼ばせるのも酔狂というものかも知れないとふと思った。
「呼んでいいの?」
「髪を離せばな」
相手が髪を離すと同時、後ろに下がろうとしたが、両手で頬を包まれた。
「ぶぎゅ」
「ぶさいく」
相手も必死だったらしく、以外と強く押されて頬が潰れて変な声が出た。それを笑われるのは中々の屈辱だ。
「でも、それが俺の『キミ』」
「マサのじゃない」
文句を言おうと思ってあけた口の行き場をなくし、とりあえずとがらせる。
あたしが欲しいなんてやはり頭がおかしい。おまけにクソ野郎のストーカーで、人に勝手にあだなを付けて。
――絶対逃げた方がいい。そう思うのに、怖くない。どうしたものか。
「……どうしよう、どう考えても変態でストーカーなのに、お前が怖くない」
「それは……ちょっと心配かも」
「なら、どうすればいいんだ。『何でも知ってるお兄さん』」
どうにもならないのでそう聞いてみら、マサは少し瞳を潤ませた後に、ちょっと考え、そしてにんまりと笑った。
「キミは優しいから、自分に惚れている男を突き放せないんだな」
「知ってたから来たんだろう」
「まぁ、そうだね」
まずはそこから調教して行かないと、と、許容したつもりも無いのに頬を撫でながら呟いたので、やはりこの男はクソ野郎だなと内心で舌打ちした。
> アナザー:君の幼なじみ
アナザー:君の幼なじみ
> アナザー:君の幼なじみ > 途中まで
初出:2013.09
途中まで
同じ診断メーカーで、『ツンデレニート』と出た時に途中まで書いて断念したBL。
本編中の”キミちゃんの幼なじみ”とは彼のこと。
切っ掛けといえば今回もアネキだった。
「すーちゃんーぅー! おねーちゃんのおへやにわすれものがいっぱいあるよぉ」
受話器から聞こえた舌ったらずの甘えた声に、俺は電話口で頭を抱えた。
アネキは元々が甘ったれで語尾の伸びた話し方だが、仕事の時以上の媚びモードは前日の酒が抜けきってない証拠だろう。
「あのね、忘れ物ね、いっぱいでもってけないからすーちゃんとりにきてっ」
「アネキ……外出する服がねーよ……」
もーすーちゃんのドジっこさぁんとケタケタ笑う声に、電話の子機を床に叩きつけてやろうかと思いつつ、何とか耐えた。
……どーせ、俺の運動神経だと自分の足におもくそ投げつけるのがオチだし。
すーちゃんこと俺は昴。所謂、自宅警備員という奴をやっている。
給料という名の小遣いは月十万。支払いはアネキ。
仕事は、一応はアネキの所有物であるこの2LDKマンションの管理と、アネキとアネキの女の子に群がる面倒な客の排除だ。
面倒な客はお持ち帰りするフリをしてここに送らせ、俺が彼氏よろしく女の子を回収するという仕掛け。
つっても腕っ節は全くたたないので、殴り合いの喧嘩をしたりはしない。主にアネキだけを回収するドアマンだ。
そこら辺のニートと一緒にしないで欲しい。身長百六十、体重も五十そこそこの男の自宅警備にはそれなりのテクニックが要るのだから。
他にも精神的、肉体的苦痛も沢山あり、中々厳しい仕事である。
――正直、給料があって、実質一人暮らしで、アネキが客に組ませたデスクトップが使えなけりゃ、すぐに辞めている。
「えーっ、服ならおねぇちゃんのあるでしょぉ?」
「ねーよ!」
いぶかしげな声をあげるアネキに俺は思わず頭を抱えた。
確かにいつもなら、衣装部屋になっているアネキの部屋に出勤用と同伴用と貸付用のドレスがぎっちり詰まっている。
まぁ、あっても絶対に着ないが。
「だって昨日、『クリーニングの日』だったろが」
アネキの頭から都合良くすっぽぬけている事実を突きつけると、電話口ではしばしの間があった。
「……あぁ! だからかぁー」
「だから着る服がねーんだよ」
「あたしのお部屋にすーちゃんの服、いーっぱいわすれものされてるの」
「いってぇ……」
がくっと項垂れた拍子に電話台向かいの壁におもっくそ頭をぶつけた。
月一の『クリーニングの日』はアネキの気まぐれで決まる。
しかも大体、コンビニ以外家からほぼ一歩も出ない生活をしている俺が珍しく外出している時だったり、眠っている早朝だったりする。
「自分で洗うの面倒なのーっ!」
と、衣装部屋から一回以上袖を通した衣装とソレに付随する下着やガーターベルトなどを運び出し一括でクリーニングに出すのだ。
曰く、「あたしはすーちゃんと違って綺麗好きだからがまんできないのーっ」ってことらしい。
(部屋に洗濯機が無く、俺が私物を持参するまで掃除機どころかフローリングモップもなかった癖に!)
で、その『綺麗好き』には、アネキの部屋の一部とカウントされている俺も勿論含まれていることになる。
数着しかない俺の一張羅(某洋服メーカーのブカブカジャージ)と、アネキが買い与える滅多に着ない外行きのワードローブ、あげくに下着までやシーツのたぐいまで持って行かれるのだ。
「アネキと違って全部ちゃんと洗ってる」
と言っても、
「すーちゃんの洗ってるなんて信用できなぁい。どーせお風呂の後に洗面器とボディソープで洗ってるんでしょ!」
と、反論され、否定できず。しかも服も、ジャージ以外はほとんどアネキの配給なので逆らえずだ。
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この後、ねぇちゃんの部屋着を着て電車に乗ることになり、ねぇちゃんの婚約者のサド野郎に(男)に痴漢を働かれての痴漢プレイに持ってこうとしていた筈。
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